第23章 プロレスの掟(おきて)
テレビ中継で初めてプロレスを観戦したのは67年も昔のことである。中学時代は柔道と相撲で鍛え、横綱吉葉山にスカウトされてこともあり格闘技は好きだった。ミスター高橋レフリーの著作「プロレス」で若いころからの考え方が正しかったと裏付けられた。
第22章 日本プロレスの夜明け
テレビ放送が始まった昭和20年代後半から30年代の日本中を熱くしたのは力道山のプロレスだった。アメリカ人に空手チョップの雨を降らせる力道山の勇姿は、水泳の古畑広之進などとともに、敗戦のショック覚めやらない国民に自信を取り戻させた。
第21章 チャンバラ映画
物のない時代に、生きることに精いっぱいだった人々の大きな慰めは映画だった。戦前からチャンバラ映画は、単純な娯楽性とスカッとする立ち回りで、どの映画館も超満員の観客を集めた。戦後GHQの規制で禁止されていたが昭和25年ごろから復活した。
第20章 カラオケ
日本人の2人に1人はカラオケを楽しむ。おじさんたちは夜の酒場でマイク片手に仕事のうさを晴らせば、若者や主婦はカラオケボックスで盛り上がる。戦後が産んだ最大の庶民文化だが、そのカラオケが生まれ発展するには思わぬ工夫があった。
第19章 女性の性革命
昭和35年6月25日、ソ連の輸入船が600トンのニシンを積んで稚内へ入港したこの日に出版された本が日本中の話題をさらった。謝国権産婦人科医の「性生活の知恵」である。ピノキオのような人形を使って性交の体位を表現した写真は人々に衝撃だった。
第18章 即席ラーメンの歴史
終戦後の食生活で最も革新的だったのは即席ラーメンの登場である。食堂へ行かなくても、行列に並ばなくても、ラーメンが簡単に食べられる。若いころはとにかく腹が空いていた。しかもそれほどお金に余裕がなかったので即席ラーメンはありがたかった。
第17章 札幌をアカシヤの街に
歌謡曲への登場数を調べると、札幌にはアカシヤの花やアカシヤ並木が似合います。ニセアカシヤから「ニセ」を取り去り、「はりえじゅ」に「アカシヤ」というブランド名を贈呈しようではありませんか。そして、詩情溢れる人情豊かな街札幌を創造しましょう。
第16章 忘れえぬ友
これまで様々な方々との出会いと別れを経験し、すでに亡くなられた忘れえぬ友もいます。折に触れて手を合わせると、いまもあの声が聞こえます。月刊専門誌「学校事務」に連載した「いまだから笑い話」より思い出の深い友を抜粋しました。
第15章 悩んでいるときに
これまでに様々な経験をし、いまでは考えられないようなこともありました。月刊専門誌「学校事務」に連載した「いまだから笑い話」より、あなたが悩んでいるときに役に立ちそうなものを抜粋し、新たに四編を追加しました。
第14章 夢を追いかけて
新聞付録のテキストを見ながら、中に何も入っていないまんじゅう(饅頭=マントウ)づくりに何度も挑戦して失敗しました。料理教室で基礎を学びながらかんたんパンの作り方に出合い、テキスト作成者の常温と云う表現が実際とは異なることを学びました。
第13章 神々の贈り物
文書管理の改革を目指した八戸市学校事務研究協議会の取り組みをリアルタイムで、月刊専門誌「学校事務(学事出版)」の平成7年12月号から平成8年11月号まで連載したときの生原稿。その後の追加も含め、教育現場であるべき姿を求めた努力の軌跡です。
第12章 文書管理ノート
文書を作成したアプリケーションソフトに関係なく、画面で読むための形にして、見たままのイメージで印刷することもできるようにしました。必要があれば必要な部分のみをプリントアウトできます。これがペーパレスの考え方です。
第11章 学校事務の機能化
全国学校事務研究会主催の昭和63年度「第20回全国学校事務研究東京大会」で、全国学校事務研究会北海道支部として「学校事務の機能化をめざしてー物品管理体系から出発した情報化に望むものー」発表しました。その元原稿を転載。
第10章 ITサポートと失敗
パソコンの操作技術を生かそうとボランティア活動の経験をもとに、地域の方々へIT講習会を開催していると行政主導団体からパソコン講習の講師要請を受けました。地域住民のためという美名で気分屋の餌食にされ、団体の役員も講師もゴミの扱いでした。
第9章 いとしのジェニー
初めて購入した店頭展示パソコンにジェニーという名を付けました。ワープロのように中々云うことを聞いてくれませんが、Excel の前身である Multiplan に出会えました。部品を交換してアップグレードしているうちにマザーボードが焼け焦げてしまったのです。
第8章 パソコンのある生活
52歳の秋に初めてパソコンを購入し、世界に一台しかない自作コンピュータの魅力に取りつかれて自作機の世界にのめりこみました。パソコンの空き時間を利用して宇宙人探しの「SETI@Home」計画に参加。あなたも夢を追いかけてみませんか。
第7章 機関紙幌掲載短編集
札幌市内の学校事務職員が集う研究研修団体の機関誌「幌」より、「神威岬」「むしょぐらし」「完走認定第148位」「いまだから笑い話」「意固地」「パソコンの殺し方」「パークゴルフは楽しい」「一筆書き残し候」を転載。
第6章 木もれび掲載短編集
白石区の学校事務職員が集う研修サークルの会誌「木もれび」より、アマチュア無線免許取得の「あ~、花の中年」、文句を言いながら現実から逃げてはいけない「原稿用紙のない世界」、後輩への苦言と指針「蜘蛛の糸」を転載。
第5章 独身時代の短編集
毎晩宿直をしながら書き続けて職場のちょんが会誌に掲載した短編。「吹雪の中へ消えて」、「去っていったウイーナ」、「この日このとき」。新任教師の連発する擬態語をもとに会話のみで構成した「迷言先生大いに怒る」短編作品などを転載。
第4章 昭和36~40年度の経験
北海学園大学経済学部へ入学し、グリ-クラブ活動で実施が夢とされていた第一回と名がつくものを手掛けることで開拓者魂が身につきました。文化協議会で「道東講演」復活へ向けた「地方公演」を実施し、挑戦すれば夢がかなうことを体感しました。
第3章 昭和33~35年度の経験
見渡す限り平らな石狩平野の中央部を吹き抜ける強い風、歩くとふわふわゆれる道路、気味が悪いほど赤く濁っている飲料水、新篠津村は泥炭地帯でした。文化祭で三学年の劇「シュテルゼフ峠」演じた仲間は80歳を超えていまなお同窓会が続いています。
第2章 昭和30~32年度の経験
見渡す限り平らな石狩平野の中央部を吹き抜ける強い風、歩くとふわふわゆれる道路、気味が悪いほど赤く濁っている飲料水、新篠津村は泥炭地帯でした。文化祭で三学年の劇「シュテルゼフ峠」演じた仲間は80歳を超えていまなお同窓会が続いています。
第1章 昭和24~29年度の経験
昭和25年10月に朝鮮半島情勢の緊張が高まり、開拓地の小学校校舎と校地は駐留軍の演習地として接収区域に含まれました。機械化部隊が学校の前を火山灰を舞い上げて走り、夜間演習で真っ赤に焼けた銃弾が尾を引いて飛んでいるのが幾筋もみえました。