1 あ~、花の中年
雪深い2月のことでございます。職員室の片隅みで若い先生方がコソコソと話しこんでおります。若ハゲどもがまたなにかタクランデルな、などという失礼なことはまるで考えずに声をかけたのでございます。
なにやってるんだい。「アマチュア無線の免許を取るんだ」。へー、簡単に取れるのかい。「あんなもの、一ヶ月月もあれば取れるよ」。じゃ、オレも加えてくれというわけであっさり仲間入りしたまでは良かったのですが、給料計算をしていたある日のこと「ヤマさん、願書出したのか」。なんの。「無線のよ」。そんなものいるのか。「あったりまえだべ、国家試験を受けるんだ」。アレッ、仲間に入ったら免許くれるじゃないの。
なんというオロカな考えでいたものよ。我身にアキレておりますと「願書の〆切りは明後日だぞ」とノタマウではありませんか。驚きあわてて中央区へ外勤する先生に、悪いけど、願書買ってきてよと頼みますと「ムタだからヤメレ」の一言。
とにかく、翌日手にいたしました願書に収入印紙と写真が必要とのこと。学校のカメラを出してみますと幸いなことにフイルムが残っております。写してもらったフイルム片手に暗室へ飛び込みました。そこはそれ、ふたむかしほど前には写真部に席を置いた経験が役立ち、一時間もあれば出来上がります。
写真現像の楽しさは、現像液にひたされた印画紙にゆっくりと現れる映像の確認で、経験のない方にはご理解いただけないことでしょうが、このトシになりましても恋人にあえるかのように心ときめくものでございます。あぁそれなのに、印画紙に現れた顔のみにくさ。
油ぎった中年の、あのイヤラシイ顔。そこへ、良くとれているという評価を背にうけて山本陽子との再婚をアキラメなければならんだろうと悲しくも心に誓いながら、銚子一本分の収入印紙をはりまして、その日のうちにメデタクも郵送したのでございます。
卒業式に入学式とあわただしく時は流れて4月の中旬、一通の葉書が舞い込みました。受験番号794408、受験日は5月19日とある。これは大変、あとひと月。受験仲間に「どんな本を読めば良い」と相談いたしますと「まだやってないのか、それじゃオチルわ」。
本屋さんへ行きますと「お子さんでなく、あなたが受けるのですか。一カ月ではチョットねー」。何度も何度も立ち上がる腹を寝かしつけ、クヤシ涙にくれながら飲む酒のカラサがいつになく身に染み入るのでございます。
さて、「中学生程度の電気の知識に多少ラジオの知識があれば」とのはしがきに勇気づけられ、おもむろに読みはじめた本文の不思議さ。なにが書いてあるのか解らない。たしかに日本語であることは認めるのですが、意味がまったく通じない。
クーロンの法則にオームの法則などは、ご幼少のミギリに耳にした記憶はあるはずですが、分数式に文字式、方程式ときては不得意。比例と反比例の意味もわからず、国語辞典片手にオロオロするばかり。同様の悩みをいだいたのでしょう、二人の仲間が受験を断念いたしました。ハジをかくより手を引く賢明さを知っていたのでございましょう。
日はまた昇り、いくたびか夜のとばりが訪れて、理解できぬまま辞典のみが黒くなってゆきます。そして私は、死ぬ思いで2日間、いや2日間も酒を断ちました。一日目はむかしを偲ぶため。残りの一日は、むかしと同じ経験をくり返えために。
明けて5月19日。職員朝会を終えて結核予防会へ。空腹時に流れ入るバリュームに舌づつみを打ちつつ小雨に煙る創成川をあとに引き返し、塩からい給食を支払っているぶんだけ胃袋へつめこみ、年休を取って試験場へとまいります。
試験時間は1時間半、忘れかけていた緊張感がアルコール漬けのこの身を引き締めるのでございます。1時間が過ぎますと、出来た方はそれぞれ退出の許可がおりるのでございますが、出ていくヤツは小中学生ばかり。悲しみに打ちひしがれて取り残されるは、私同様に花の中年ばかり。
ともかく、5時からの宴会に幹事を仰せつかっておりますことから、時間の経過が正答を生み出すことはないと考え、後ろ髪引かるる思いで別れを告げてきたのでございます。
7月の中旬に「ヤマさん、きたぞ」という若きハンサムの声。なにが。「通知よ、ほら」。棄権の二字がくっきりと見えるハガキを手に「試験を受けなかったけれど、親切なもんだなぁ」と、髪の毛が半分薄れた半寒(ハンサム)がしきりに感心しております。
棄権が2人、合格が1人。不合格が1人と判明しましたが、肝心のヒーローである私に通知がありません。まことにオチコボレタ存在とはイヤなもので、くる日も来る日も悩ましく、酒に身をゆだね続けたのでございます。
年齢は私の脳をどこまで老化させ、アルコールは私の大脳をどれほど虫ばんだのでしょう。専売公社より感謝状をいただくことなく、自主的主体的な「酒と煙草消費税多額納税者」の末路は。ガンの恐怖におののきながらも我が身を犠牲にして、ひたすら国庫を富ませた愛国者の努力はむくいられずして終わるのでしょうか。
それだけに合格の通知を受けたときの喜びは、言い表すすべもございません。目を「テレビカメラ」に、脳を「VTR」に変えるという「一夜づけ」の技法は、約500頁の内容を理解なくして記憶させるという、歴史に残る一大事業を成功させたのでございます。
そして、「あんた、テスターの使い方も知らないのに合格したもなあ」という賞賛の声を無視し続け、この歳にしてついに、名言を体得したのでございます。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」(1987年昭和53年11月3日作)