はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第8章 パソコンのある生活

52歳の秋に初めてパソコンを購入してから、世界に一台しかない自作コンピュータの魅力に取りつかれ自作機の世界にのめりこみました。パソコンの空き時間を利用して宇宙人探しの「SETI@Home」計画に参加しました。あなたも夢を追いかけてみませんか。

1 パソコンとの出会い

 1-1 Macintosh LC-575

1994年(平成6年)10月6日、52歳のときに店頭展示品の Macintosh LC-575 とドット・インパクト・プリンタを34万円で購入しました。Macintosh LC-575 は一体型のパソコンで、クロック周波数 33MHz のCPU を登載し、RAM は 8MB、HD は 320MB、内蔵ディスプレィは 13inch、32,000色の表示が可能でした。

翌年 500MB の HD と交換、10万円で 32MB の RAM にアップグレードしました。20年後に自作パソコン用メモリ DDR2ー800、2GB×2枚組は税込で9,380円ですから当時はいかに高価であったか分かります。

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 1-2 Performa 5320

1996年(平成8年)5月16日、札幌市教育委員会より Macintosh Performa 5320 が届きました。学校物品管理事務改善プロジェクトチームが学校専用物品標準名称鑑のメンテナンスを行うためのパソコンで、普段は事務室で校務処理に利用しても良いとされたマシンです。クラリスワ-クスやファイルメーカーPro、Adobe Page Maker という一流のソフトウエアが添付されていました。

翌日、業務用としていた私物の Macintosh LC-575、ジェニーと名付けたパソコンは自宅へ引越しました。クラリスワークス・プレミアムが主力ソフトであったため、Performa 5320 のクラリスワークスと互換性があり、自宅で作成した書類は職場で利用でき、職場の書類は自宅で修正が可能となりました。

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 1-3 LC-575 との別れ

自宅で稼働していた Macintosh LC-575 のジェニーは購入後3年半で不調となり、マザーボードは技術者が初めて見たというほど損傷していました。本人はうれしさのあまり説明をよく聞いていなかったのでしょう、店頭展示品の中でも少々以上くたびれたものを購入したようです。新品のマザーボードに交換すると他の部品に無理がかかり、いつ故障するかわからないので修理はあきらめたほうが良いとされました。店頭展示品を購入する場合は十二分に注意が必要です。

コンピュータ修理店の棚には修理依頼品や修理済みのパソコンが並んでいます。中古パソコンと表示の棚に Performa630 が展示されていました。LC-575 に装着した 32MB の RAM が使え、ハードディスクは 4GB 程度のものと交換可能で4万円です。工賃の5千円は LC-575 の下取り代で充当できます。

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 1-4 Performa 630

1998年1月、中古の Macintosh Performa 630 に別売の中古ディスプレィをつけて購入しました。LC-575 から外しておいた 32MB の RAM を装着して HDを 2GB にアップグレードし、小松左京氏原作の小説「日本沈没」にでていた「雄飛」という名前を付けました。

雄々しく飛躍したいとの願いをかけたのに、1時間連続で仕事をしていると突然太く黒い走査線が数本現れます。しばらくすると画面が赤系色に変わります。すぐに元へ戻ることもありますが10分以上続くこともあり、保証期間は一ヶ月しかないので購入した修理店へ持ち込みました。4日間ほど預けても説明したような症状はあらわれず、2日後に再び持ち込んで3日間預けても変化は起こりません。

症状が短時間でおさまるのでしたらもう少し使ってみて下さい。保証期間中に起こっていた問題ですからいつでも修理します。症状がひどくなったときにもう一度持ち込んでいただけませんか。と言われて4ヶ月後、電子銃の故障が原因と判明してディスプレィを交換していただきました。

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 1-5 マック貧乏

自宅で過去の研究物や原稿類の整理保存を始めましたが、クラリスワークス・プレミアムはなかなか思うように使えこなせません。パソコンを購入する前はNECの文豪5Vを12年間使用し、ワープロ機能に慣れていたせいかクラリスワークスは使いづらく感じました。

日本人が日本人のために作った使いやすいワープロソフトがないだろうかと、パソコンショップやパソコン誌などをさがしてエルゴソフトの EG-WORD を見つけました。自由に原稿用紙の升目を増減でき、両面で数10ページになる印刷物の綴代(とじしろ)も調整しやすく、印刷物を作成する機能は非常に使いやすく感じました。

クラリスワークスに馴れてきたころ Microsoft の Excel や Office がどんなものかと購入しました。コリャ英和やドキュメントトーカ、 ColerIt! などにも飛びつきました。あれもしたいこれもやりたいと、Hyper Card の製品版やシマンテックの C++ まで購入しました。

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もっとも利用したのはファイルメーカーPro3.0で、市販の手引書を8冊、本代だけで2万円を超えました。使っていると夢はさらに膨らみ、日々の飲み代を節約して13万円もするファイルメーカーPro4.1 の hybrid 版 Developer まで購入してしまいました。

しだいに流行を追い求めるようになりました。データ保存用に外付けハードディスクを接続し、バックアップ用に 230MB のMOを外付けし、クラリスワークス4.0の発売時にはすぐ飛びつき、町内会報やマンション管理組合の理事会報など一枚物の印刷物はドロー機能を利用するようになっていました。

初めてであったとき Macintosh LC-575 ジェニーの OS は漢字 Talk 7.0 でした。7.5 が現われて購入し、改良された 7.5.3 や 7.5.5 も購入しました。 Performa 5320 には自腹で MacOS 8.0 を導入し、Performa 630 のために MacOS 8.1 を購入すると操作性が向上しました。ところが、OSを更新すると一度も使っていない高価なソフトをアップグレードしなければならなくなり、ソフトの種類が多いせいもあって頭を抱え込んでしまいました。

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 1-6 インターネットへ挑戦

インターネットが話題にのぼるとアクセスしたくなりました。プロバイダから暗号のようなユーザー名とパスワードが届き、説明書を読みながら設定しても接続できません。一箇月後には利用料金が口座から引き落とされていました。

プロパイダへ手紙で照会し、返信通りに設定しても接続できずに再び質問の手紙をだしました。自宅へかかった電話には出られず、年休をもらって早めに帰えりダイヤルを回しました。担当者の説明が始まって一分もしないうちに、文章よりも言葉のほうが間違いなく伝わることを発見しました。プロバイダから連絡されたユーザー名の文字、英語の「o(オー)」を数字の「0(ゼロ)」と思い込んでいたのです。

インターネットに接続して最初にみたのは NASA の日本語ニユース。宇宙開発の情報や文部省の宇宙科学研究所ものぞきました。南極のニュースを見終わって、冒険心がまだ残っていることに苦笑しました。そして、その日はすぐやってきました。

ある日の朝、自作コンピュータのホームページを発見したのです。世界中で八割の人々が PC/AT 互換機を使っていること、現代のコンピュータはプラスドライバー1本で組み立てること、自作コンピュータのページが無数にあることも発見し、組み立てのための参考書も紹介されていました。

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 1-7 自作パソコンへの挑戦

世界に一台しかない自作コンピュータの魅力にとりつかれました。複数の書店で数十冊の実習書を立ち読みし、自分のレベルに合っていると思える二冊を購入しました。部品が掲載されている雑誌をもって部品の扱い店へ見に行きました。

平成10(1998)年12月末、エーアイ出版の「自分で作る Windows 98 マシン AT互換機」を教科書に、つくも電機店で部品の組み合わせをご指導をいただき、日曜日の午前中に部品を購入して正味2時間程度で組み立てました。自作パソコンが稼働して二週間後、Macintosh Performa 630と専用ソフトの大部分は新しい持ち主の元へ旅立ちました。

自作パソコン1号機の CPU は 350MHzで、一年後に 450MHz へアップグレードし、2年後にはマザーボードを交換して 800MHz へアップグレードしました。

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1999年に職場での必要性に迫られ、三井物産デジタル社の PR-A-C333S/N:050054を組み立て、ICOM のディスプレイ CD-F15 を接続しました。

自作パソコン1号機の性能を上げるために交換した部品は自作パソコン2号機の性能を向上させ、SCSI接続で CD-ROM の高速バックアップを可能としたり、HD を4台内蔵させて Dualboot や Multboot の実験を繰り返して楽しみました。

Macintosh Performa 5320 はカバーをかけられたままの状態が続き、退職が迫った時期にお伺いを立てると廃棄処分の許可が下りました。障害者施設へ寄贈し、自立訓練機として余生を送っています。

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2003年1 月、定年退職が目前となったので自作7号機に当たる CPU 2.53GHz を組み立てました。自作2号機を Linux専用機にすべく Vine Linux 2.6 や Turb Linux 8 などをインストーした内蔵 HDを取り替えるときにマザーボードを破損し、慌てたのが原因で CPU とメモリを静電破壊して燃えないゴミにしました。焦りは禁物です。

自作7号機は、データ保管用とデータバックアップ用の HD を内蔵させ、OS 用の HDをラトックシステム社のリムバーブルケースで入れ替えできるようにしました。本体をあけなくても Windows や Linux の OS を楽しめるようになりました。

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 1-8 最終の自作機

Windows7が普及しだすと自作9号機がシャットダウンしました。冷えると電源が入り、熱くなると切れる症状からマザーボードと推定できます。データーをポータブルのハードディスクヘバックアップしてから、XP用のマザーボードを探し回りましたがパソコン店にありません。悩んでいるとついに電源が入らなくなりました。

Windows XP との別れはかなりの苦痛です。Windows7(36bit)にすると、Microsoft Office XP や File Maker Pro 5.5 の Developer も使えなくなります。50本以上のソフトと80冊以上の解説書籍もゴミと化し、SCSI 仕様にしたので Lnux用 HD も廃棄しました。

ディスプレィを残して手持ちの部品をすべてジャンク屋さんで処分し、最小限の部品で自作10号機を組み立てました。内部を冷やすために直径25cmフアンが横についているケースにすると、本体が大きくなりすぎて少々邪魔な感じもします。ソフトは最小限にして参考書も Windows7 と Web 関係だけにしました。

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2010年12月31日の午前中、残してあったディスプレィを接続してマルチスクリーンを実現しました。ポインターを右の画面から左の画面へ移動できるように設定すると、資料を参照しながら文書を作成できるようになりました。

ディスクトップ型を Windows 専用機にし、パソコンショップで見つけた中古のノートパソコン「TOSHIBA Satellite J40」を購入して Linux 専用機にしました。Ubuntu 12.04 や Debian3.1(Sarge)を試していると、書店で「理系PC初心者のための KNOPPIX 活用法(株式会社カットシステム)」を発見しました。

文系出身ですが、 Linuxの基本の基本からマスターすべきと考え購入しました。ノートパソコンに KNOPPIX/Math/20101130 をインストールして、Windows 7 のサポート終了後はデスクトップ機を Linux に切り替えるための訓練をはじめました。

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マルチスクリーンを構築した液晶ディスプレィに縦の線が入るようになり、時折カラーの画面がモノクロになることがあります。2012年の春にマンション管理組合の理事長を降り、2013年の春に町内会長を降りたので広報紙の作成業務が不要になりました。

ボランティア業務がなくなったので、ディスクトップ型のマルチスクリーンを廃止して劣化した液晶ディスプレィを処分し、パソコン本体とディスプレィのみのシンプルな組み合わせに戻しました。

過去のデータと写真を整理して失敗や挫折の経験があなたの参考になればと願いつつ、「はげちゃんの世界」と題した Webページにありのままの体験を紹介することにしました。

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2 自作機の魅力

 2-1 ネジ止めするだけ

世界中のパソコンの八割は自作されたものと云われます。本当に自分が欲しいと思うパソコンはどこにも売っていないからです。

パソコンに少し慣れてくると、画面の表示性能をアップさせたいとか、音楽を聞くために音質を良くしたいとか、CD のほかに DVD もとか、人々は様々な思いを抱きます。そして、メーカー製パソコンに装備されている性能の一割も使いこなせないうちに、CPU の速度が上がったとか、ハードディスクの容量が大幅に増加したからと新製品に飛びつきます。

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次々と性能をアップさせた機種を発表するパソコンメーカーに振り回されず、あなた好みの性能や周辺機器にこだわるなら、思い切って自分で作ることをお勧めします。

プラスドライバー以外にペンチとやる気があれば、ほかの道具も専門知識もいりません。あなたが知らなかった知識は、組み立てが終わったときに身に付いたことを自覚するでしょう。

パソコンを組み立てている人を探さなくても、部品類の知識がある販売店の店員さんを見つけることは大切です。

パソコンに使うひとつひとつの部品は微小で精密なものですから、あらかじめグループ毎にまとめられて板状のものに取り付けられています。ディスプレィ(モニタ)の画面に表示させるための部品をまとめたものを「ビデオボード」とか「ビデオカード」といいます。スピーカーから出す音に関する部品をまとめたものを「サウンドボード」とか「サウンドカード」といいます。

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部品を買ってきてハンダヅケをしなくても、配線が完了した状態で売られているボードやカードを購入してプラスネジで取り付ければいいのです。決められた場所に適合する部品をはめ込んで、プラスネジで止めていくのがパソコンの組み立て方。

親切なことに、素人が間違えないように取り付ける場所が決まっていて、違う部品を取り付けることはできないようになっています。

一流メーカーのパソコンは、購入した部品を自社の工場で組み立てているのです。大部分の部品はパソコメーカーではなく部品のメーカーが作っています。大量発注することで部品を安く購入したパソコンメーカーは、利益を上乗せしてあなたに儲けさせてとお願いします。

あなたは太っ腹ですから、メーカー製であることに満足して購入します。性能を更に良くしようとしても、メーカー製パソコンの部品を取り替えることは保障外で、メーカー独自の設計をしていることもありうまくいかないことが多いものです。最新機種ブームにのってメーカー品を購入しても、すぐに新製品が現れて流行遅れになってしまいます。

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自作パソコンは、メーカーのパソコンには絶対に使えない最高級の部品が使えます。使用しているうちに性能に不満を感じたら、その部品を性能のよい新製品と交換することもできます。あなたがすべての部品を選んだのですから、あなたがどれでも自由に交換できるのです。

買い物は何を買おうかと迷っているときが一番楽しいそうです。あなたはすべての部品についてそれを味わうことができます。そして、自作機はいつでもあなたが満足する性能に保つことができるのです。

自分で作り上げたパソコンは愛着がわきます。世界でたった一台しかないパソコンを持っているという誇りもわいてきます。自作機が完成したとき、あなたはパソコンの構造を理解して、少しぐらいのトラブルには動じなくなっているでしょう。

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 2-2 自作機を売った人

自作したコンピュータはメーカー品より劣ると言う人がいます。専門知識もないのに、いいかげんな部品を集めて作ったものは信頼できないと考えている人もいます。あなたも、そう思っていませんか。

1984年ですから昭和59年のことです。パソコンのメーカーは、部品メーカーから購入した部品を自社工場で組み立てていることに気付いた少年がいました。パソコンにはどのような部品が使われているのだろうと疑問を持ちました。

私は両親に、自分用のコンピュータを買ってくれと繰り返しせがんだ。そしてついに、15歳の誕生日に願いはかなった。私はまだ運転免許は持っていなかったが、自分のコンピュータが届けられるのを待ちきれなかったので、父の車に乗せてもらい、地元のUPS(米国最大の小口貨物集配会社)の事務所に出向いて小包を受け取ってきた。

家に着くと私は車から飛び降り、大事な荷物を自分の部屋に運び、嬉々として・・・真新しいコンピュータを分解してしまった。 両親はカンカンに怒った。
 当時、アップルⅡはかなり値の張る買い物だった。両親は、私がそれを壊してしまったと思ったのだ。私はただ、その仕組みを知りたかっただけなのに。

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通常、IBM-PC の店頭での販売価格は約3,000ドルだった。だが、部品は600~700ドルで調達できるし、IBM独自のテクノロジーが使われているわけでもない。(コンピュータを分解・アップグレードしていたおかげで、各パーツがどれくらいの価格で、どこのメーカー製なのかが私にはわかっていた)。私には、これがあまりにも不合理に思えた。

当時、すでに私は、こうしたショップで売っているマシンとまったく同じ部品を購入し、自分のマシンをアップグレードして知り合いに売っていた。私は悟った・・・これをもっと大規模にできれば、ちまたのコンピュータショップと本当に勝負できる。それも価格だけでなく品質の点も・・・。(マイケル・デル著「デルの革命(日本経済新聞社)」19~20ページと22ページ)

出発点となる考え方は、メーカー製のパソコンを分解して性能が向上した部品に取り換えて、自分が必要とする性能を備えたパソコンを自作することでした。

部品の知識が増えると、ユーザーが望む仕様でパソコンを製作し(受注生産)、流通業者を通さず直接ユーザーに販売する(直接販売)独自のビジネスへ発展したのです。このような発想から、年商3兆円を超えるといわれる「デル・コンピュ-タ」が誕生しました。

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 2-3 故障したときの保障

パソコンのメーカー品はメーカーが1年間補償してくれます。使い方にもよりますが、1年程度で問題が起きるようでは粗悪品です。部品は完璧なものばかりではありませんから、保証期間中に不具合が起きた部品は取り換えてくれます。自作機用の部品も一週間以内であれば交換してもらえます。

自作パソコンは誰も補償してくれません。販売店も部品メーカーもいっさい補償をしてくれません。壊れたら自分で直すしかありません。ほとんどは説明書を見ながら調整するだけですみますし、場合によってはソフトウエアの再インストールで直ります。

それでも音がおかしくなったらサウンドカードを取り替えます。画面調整効果が現れなくなったらビデオカードを取り替えます。インターネットへ接続できなくなったらモデムカードを取り替えます。

めったなことではおきませんが、修理とか直すといってもネジ止めした部品を外して新しいものと交換するだけなのです。

自作したパソコンはあなた自身が補償します。あなたがもっとも信頼しているのは、あなた自身じゃないですか。あなたの補償に優る補償がどこにあるでしょう。

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 2-4 最低必要な部品

ケースの内部に取り付ける部品は、CPU、マザーボード、メモリー、ビデオカード、サウンドカード、ハードディスクドライブ、フロッピィディスクドライブ、CD-ROMドライブの8種類です。インターネットに接続するのならモデムカードも必要です。マザーボード、ビデオカード、サウンドカードが一体になっているものが販売されています。

ケースの外に取り付けるものは、画面を表示させるためのディスプレイ(モニタ)と、あなたの意思をパソコンへ伝えるためのキーボードとマウスです。

もちろん、壁についているコンセントまでのケーブルと、インターネットにつなぐために電話接続コネクタまでのモジュラーケーブルも必要です。

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組み立てる順序はどのような機種でも同じです。マザーボードに CPUとメモリーを取り付けてから、マザーボードをケース内部にプラスネジで固定します。しっかり固定したら、ビデオカードとサウンドカードを差し込んでネジ止めします。

ケースの正面の部分に CD-ROM ドライブとフロッピィディスクドライブをネジ止めし、その下の正面から見えない部分にハードディスクドライブを入れてネジ止めします。

三種類のドライブに附属しているコードのプラグを、マザーボードの決められたコネクタに差し込みます。ケース内にある電源部からの電源プラグをマザーボードとCD-ROMドライブ、プロッピィディスクドライブ、ハードディスクドライブに差し込みます。

どの部品も電気が必要なのです。あとはケースの裏側にディスプレィ、キーボード、マウスのプラグ類を差し込んで電源スイッチを入れるだけです。

動きましたか、動かないでしょう。私も青くなった経験があります。ケース裏側につけた電源コードのプラグを、壁のコンセントへ差し込んでから再挑戦です。

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 2-5 ドキドキが楽しい

メーカー品を買ってくるのと違って時間も手間もかかります。でも、その時間と手間ほど楽しいものはありません。自分で設計して、自分で部品を選び、自分で組み立てる。スムーズにいったり、とまどったり、調整に失敗するなど、さまざまな経験を積み重ねて出来上がります。

自作AT互換一号機の部品をご紹介しましょう。コンピュータの心臓である CPUは Pentium 350Mhz と決めました。マザーボードは CPU の差込口がスロットル式のものを選びました。

Macintosh の SCSI 接続をまねて CD-ROM ドライブは Ultra Waid SCSI 仕様を選び、Ultra SCSIボードはメーカー品を選択しました。音は出るだけでいいと思いましたが、ビデオカードは目を疲れさせないように少々値が張ったものを選択しました。ディスプレィは、友人が自慢していた三菱 Diamondtron の17インチに決めました。

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すべての部品と Windows 98 AT 互換機用 OS(オペレーションシステムソフトウエア)を購入して自宅へ戻り、説明書を読み始めたのは午後1時です。

来客があって作業は中断し、正味2時間ですべての部品を取り付けました。配線の差し込み方が間違っていないか何度も確認し、電源スイッチを押すときは思わず手が震えました。

ケースの排気用ファンや CPUクーラーの冷却ファンが回りだし、ディスプレィには BIOS メーカーのロゴに続いてメモリカウンタや接続したハードディスクの容量が次々と表示されます。

プラグの差込間違えやショートがないか、ケースの内部に鼻を近づけましたが焦げくさい臭いはありません。配線の間違いはないと思われます。

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画面の下段に「 DISK BOOT FAILUER, INSERT SYSTEM DISK AND PRESS ENTER (起動できません)」と表示されました。当然です。OSがインストールされていないからです。1998年12月6日、世界中に一台しかないAT互換機が完成しました。満面に広がる笑みを堪えながらWindows98 の OS をインストールします。

後日、SCSI 仕様の CD-R を増設しました。続いて CPU を Pentium 450Mhz と交換しました。ほれぼれするようなマザボードが発売されたので、飛びついて交換しました。CD-RW を増設したりモデムの性能を上げたりしているうちに、もう一台つくれるほど部品がそろいます。

パソコン誌の紹介記事や性能表と比較しながら部品を選びます。静電破壊をしないように部品は慎重にあつかいます。わくわくドキドキしながら組み立てます。自分の保障を自身の手で裏切らないよう、ゆとりをもって確認します。

それでもハラハラしながら電源スイッチを押します。起動できませんと表示されたらホットします。これらの過程がもっとも楽しいのです。

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3 地球外知的生命体探査

 3-1 知的生命体を求めて

世界侵略ロサンゼルス決戦、バトルシップ、プレデター、未知との遭遇、宇宙戦争など、多くのSF(Science Fiction)映画は、宇宙人と人類との関係を扱っています。物語に登場する宇宙人は高度な科学をもち、多くは不思議なことに「人と似通った姿」をしています。敵と出合いたくありませんが、いつの日か友好的な宇宙人種と出会うことを多くの科学者たちは夢見ています。人類が追いかけている壮大な夢をご紹介しましょう。

1977年8月20日にボイジャー2号が打ち上げられ、1977年9月5日にシステム不良のため延期されたボイジャー1号が打ち上げられました。二機の宇宙探査機ボイジャーは太陽圏を離れて秒速17,037m(時速61,333km)で宇宙を飛行しています。およそ4万年後に、ボイジャー1号はへびつかい座の AC+79 3888 まで 1.6光年の地点を通過します。およそ29万6000年後にボイジャー2号はシリウスまで4.3光年の地点を通過します。

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二機のボイジャーには「金メッキされた銅製のレコード」が積まれました。レコードカバーはアルミニウム製で、超純粋なウラン238で表面が覆われています。

ウラン238の半減期は45.1億年で、このレコード(ゴールドディスク)を受け取った知的文明は、同位体組成を解析することによりいつごろ収録されたか分かるようになっています。

ゴールドディスクは旧式のアナログレコードで、地球上のさまざまな写真や言語、音声などが記録され、知的生命に地球を紹介する目的を持っています。実際に知的生命がディスクを発見することはないかもしれませんが、私たちの技術が地球を離れた恒星間空間に達するということに意義があるとされています。

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私たちの属している銀河や宇宙に多くの惑星が存在しています。この宇宙のどこかに、微生物などの生命が存在している可能性はかなり高いと言えるのです。もしかすると、私たちの太陽系のどこかにも微生物が存在しているかもしれません。最近の観測結果から、木星の衛星エウロパのひび割れた氷の下に生命体がいるかもしれないと言われています。

人類は現在、宇宙のどこかにある生命の証を探すいくつかの計画を進めています。そうした計画をSETI(セチ:the Search for Extra-Terrestrial Intelligence、日本語では地球外知的生命体探査)と総称しています。

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 3-2 生命体存在の可能性

私たちの太陽は、4千億個以上の星が集まった天の川銀河系と呼ばれる中の一つの星です。天の川銀河は宇宙の中の数十億ある銀河の一つに過ぎません。

この数字を見るだけで地球以外にも多くの生命が存在していると思えます。その可能性を計算しようと考えたのは天文学者のフランク・ドレークで、宇宙に生命がいる可能性を計算するドレークの方程式と呼ばれているシンプルな計算式を示しました。

「 N = R × f(p) × n(e) × f(l) ×f(i) × f(c) × L 」

この式にある“N”は、天の川銀河に存在する通信可能な文明の数を表わしています。文明の数はいくつかの要素によって変わってきます。

“R”は、銀河系で恒星が形成される速さ。

“f(p)”は、惑星系を有する恒星の割合。

“n(e)”は、1つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数。恒星に近すぎると熱過ぎ、遠いと寒すぎます。生態圏というのは、生命が育まれるのに適した環境を備えている恒星を取り囲む領域を指します。

“f(l)”は、上記の惑星で生命が実際に発生する割合。

“f(i)”は、その知的生命体が星間通信を行う割合。

“f(c)”は、星間通信を行うような文明の推定存続期間。

“L”は知的生命、そしてコミュニケーション可能な文明が存続する時間の長さです。

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私たちの銀河系が形成されたころ、生命に適した恒星が生まれる割合が高かったことは疑う余地がないのです。それは遠い過去のことですが、いまも星たちは生まれています。

星たちが誕生している場の美しい写真を百科事典や図書館で見たことがあるでしょう。そこでは巨大なガスの雲たちが収縮して星を形づくっています。恒星が生まれる割合は1年に20個程度と推測できるのです。

ドレークの方程式の答えは「N=L」になります。つまり、銀河系内にあって私達とコミュニケーションできる知的文明の数はそのような文明が存続する年数に等しいと言えるのです。

Lは技術的に成熟し、コミュニケーションが可能な文明が存続する年数です。現在分かっているもっとも控えめなこの数字は、非常に重要な意味をもっています。

著名な科学者であるカール・セーガンが、一つひとつ見積もった数字を当てはめて計算した結果は「N=10」となりました。直径55000光年の銀河系の中に、人類が交信できる可能性のある文明数は10個という、ほぼ絶望的な値になったのです。

しかし、ビッグバン以来一瞬でもいいから存在した文明が、仮に100個に1個は努力のすえ幾多の危機を克服して繁栄し続けたとすれば、一千万の文明がひしめき合っていることになります。それを銀河系内に均等に配置すれば、近いところでは十数光年離れたところにも交信可能な文明が存在することになるのです。

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 3-3 SETIの活動

1999年の5月、米国天文学者達によるET探しの呼びかけに世界中のパソコンユーザーが応じて大きな反響を呼びました。探査ソフトの無料配布が始まり、「第一発見者になれるのでは」という天文ファンの夢は止めどなく広がっていきました。

探査ソフトは、米カリフォルニア大学バークリー校の「知的文明探査研究所」(SETI)が開発し、同研究所などのホームページからソフトをダウンロードするとデータが送信され、ETが発した可能性のある強い信号や繰り返しなどの異常信号を検出します。ソフトはパソコンが使われていない「空き時間」に作動し、使い始めると停止するスクリーンセイバー形式です。

西暦2000年に、プエルトリコのアレシボ天文台にある世界最大の電波望遠鏡(直径約300メートル)は、全天の観測可能な範囲を3回スキャンしました。毎日受信する電波のデータは36GBという容量となり、このデータは米カリフォルニア大学バークリー校へ送られ0.25MBごとに分割されます。

分割されたデータはインターネットを通じて協力者のコンピュータへ送信されます。協力者のコンピュータにインストールされている探査ソフトが、インターネットで受信したデータの中から「強力な狭い周波数帯の信号」をさがしだします。

地球外知性体探査に協力すると申し出たコンピュータ所有者は、私を含め全世界で 150万人を超えました。そのうち、50万人以上が常時探査ソフトを起動状態にしています。

これらのコンピュータの演算能力は8テラFLOPS(1秒当たりの不動小数点演算回数8兆回)以上となり、このようなコンピュータの制作費と維持費は米国の国家予算一年分を投じても不可能な規模といわれます。

電波の解析は2000年5月17日から2年間続けられ、スクリーンセーバープログラムにより世界中から 152,248,766個の探査結果が届きました。ボランティアによって見つけられた候補位置のうちからもっとも見込みのありそうな226箇所を選択し、2003年にアレシボ天文台で24時間連続の再観測が行われました。現在は、再観測で得たデータをボランティアが解析しています。

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 3-4 ET探しは中止に

自作のAT互換コンピュータ(CPU 2.8Ghz、RAM4GB)の画面に映し出されているのは、SETI @ HOME(セチ・アットホーム)プロジェクトのスクリーンセイバーが起動している姿です。

バージョン 3.0になってから画像を表示させずに常時解析を続けさせることができるようになりました。(右側写真の探査ソフトはバージョン7.2.28です。)

SETI は、まだ地球外知的生命体の存在を示す電波信号の検出と地球外知的生命体の証拠を見つけていませんが、多くの信号を注意深く分析すれば起源がETである事が分かるかもしれません。

電波の中に知的生命体の信号が潜んでいたとしても、グラフはほとんどがノイズに埋もれていて肉眼ではわかりません。しかし、あなたのコンピュータが行った何10億の計算結果の詳細な分析によって、人類の夢だったメッセージは明らかにされるはずです。

米カリフォルニア大学バークリー校では、あなたの発見に対していくつかの厳密なテストや検証を行い、それが本当に地球外生命体からのものであるか証明しなければなりません。

もし、あなたの信号がすべてのテストと再テストに合格した時に、SETI はあなたにそのことを通知し、あなたを探査に貢献した一員として登録することを約束しています。その報が流れたとき全世界の人々は狂喜するでしょう。

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2020年冬に SETI @ HOME から「2020年が終わりに近づきましたので、今年のSETI研究について最新情報をお届けします」とメッセージが届きました。

今年の4月、20年間のアレシボデータを処理した後、SETI @homeのボランティアコンポーネントを休止状態にしました。現在、データ分析の最終段階に取り組んでいます。無線干渉を拒否し、地球外文明からの潜在的な無線信号を識別してランク付けするためのアルゴリズムとソフトウェアの開発です。

このシステムは星雲と呼ばれています。最新の結果をすべて閲覧できるWebインターフェイスを提供します。また、星雲を使用して、アレシボSERENDIPSETIプログラムとFASTSETI空調査からのデータを分析します。

アレシボ望遠鏡が今月崩壊したという悲しいニュースを聞いたことがあるかもしれません。私たちはアレシボで35年間SETI実験を行い、多くの人がSETI @homeを使用してアレシボデータを分析しました。

中国で直径500メートルのFAST望遠鏡用の200億チャンネルのSERENDIPSETI分光計の建設を完了し、中国の同僚と協力してFASTで3年間のSETI空調査を開始しました。 FAST SETIのコラボレーションについては、テクニカルペーパーで読むか、ビデオをご覧ください。

ハーバード大学、カリフォルニア工科大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校の同僚と協力して、PANOSETIと呼ばれる新しいタイプのSETI天文台を開発しています。この天文台は、おそらく地球外文明から来る可視および赤外線パルスの光を全天で同時に検索します。

または新しい天体物理学的現象。リック天文台でプロトタイプを作成し、2つのドームを作成する計画を立てています。各ドームには、異なる方向を指す45個の望遠鏡が装備されています。こことここでPANOSETIについて読むことができます。

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このペ-ジに掲載している宇宙の大きな写真は、「オリオン座の暗黒星雲IC434(馬頭星雲)・散光星雲NGC2024(燃木星雲)」と「オリオン座の散光星雲M42」です。写真は、星への誘いのフリー素材を横浜市にお住まいの著作権者の承認を得て掲載しました。息を呑む美しさですね。ぜひ「星への誘い」をご訪問ください。

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