テレビ番組はモノクロの放映で、永井智雄の「事件記者」、徳川無声の「私だけが知っている」、大瀬康一の「月光仮面」、玉置宏司会の「ロッテ歌のアルバム」、エリック・フレミングの「ローハイド」などは人気がありました。下宿している高校生は夏休みや冬休みに帰省した時に見る程度で、娯楽の中心はやはり映画です。
高校へ入学した1958(昭和33)年4月当時、札幌市内に邦画封切館は「松竹遊楽館、新東宝、大映、東映、東宝公楽、日活館、日活劇場」の7館、洋画封切館は「札幌劇場、松竹座、帝国座、東宝日劇」の4館が営業していました。
多くの場合、封切館で一ヶ月間の上映が終了すると、続いて少々安い入場料で上映する映画館を二流館と呼び、その後さらに安い入場料で上映する映画館を三流館と呼んでいた記憶があります。
札幌市内に封切館を含めて映画館は43館あり、丸井今井デパートの七階にあった「道新劇場」は世界各社のニュース映画を上映していました。当時は大きな画面で動く映像を見ることができるものがなかったので、封切館でも本編上演前に必ずニュース映画を上映していました。
高校一年生のときに労音の前身である札幌芸術協会の会員になりました。映画が割引になるというのが入会理由ですが、すぐそばでオペラ歌手のなまの声やピアニストの演奏も身近で聴くという貴重な体験ができました。日曜日は3本立ての映画館を1日に3箇所もまわり、何がなんだか判らなくなったこともあります。
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1958(昭和33)年5月、松竹座でウオルト・ディズニーの「ファンタジア」が公開されました。ストコフスキー指揮のフィラデルフィア交響楽団の演奏に乗り、アニメーションで「トカータとフーガ、くるみ割り人形、魔法使いの弟子、春の祭典、田園交響楽、時の踊り、はげ山の一夜、アヴェ・マリア」というクラシックの名曲が物語風に展開します。クラシックの曲を目で見てわかるようにしてくれたことに感激しました。
1958(昭和33)年7月、札幌日劇で「汚れなき悪戯」が公開されました。14世紀イタリア中部ウンブリア地方で起こったと言われる民間伝承を元にした小説を原作とする映画です。フランス軍に破壊された丘の上の修道院の再建中に、門前に男の赤子が置かれていました。両親はすでに亡く、里親も見つからないので修道院で育てることになりました。マルセリーノと名付けられた男の子が召されるまでの姿を描いたものです。
1958(昭和33)年8月に、セシル・B・デミル監督作品、チャールトン・ヘストンとユル・ブリンナーが共演した「十戒」が松竹座で公開されました。封切のときは背景になっているエジプトの建物に圧倒され、紅海の割れるシーンに仰天しました。何度も見ると、意外に雑なセットの作りや画面の二重三重の合成が気になってきます。赤子のモーゼが葦のかごで流される際に、モーゼをくるんでいる布は安全ピンで止めてありがっかりしました。
アン・バックスターが演じたネフェルタリは少々太め過ぎ、才色兼備ではない描き方が気になりました。20世紀になって発見された胸像で、ネフェルタリは古代エジプト史上クレオパトラに勝るとも劣らない美女と判明したそうです。
王の像や絵でファラオの妃たちは膝ぐらいまでの大きさに描かれていますが、ラムセスⅡ世はアブ・シンベルの墓所と神殿の絵にネフェルタリを自分と同じ大きさに描かせています。先立ったネフェルタリの墓所の玄室に「余の愛する者はたゞひとりのみ。何者も余が妃に匹敵する者はなし。生きてあるとき、かの人は至高の美を持つ女人であった。」と刻ませ、ラメシスⅡ世にとって彼女がいかに大切な存在であったかがうかがい知れます。
数多くの戦争映画を観ましたが、南太平洋でアメリカの駆逐艦とドイツの潜水艦が遭遇した「眼下の敵」がもっとも好きでした。海上を航行する駆逐艦の艦長(ロバート・ミッチャム)と海中に潜む潜水艦の艦長(クルト・ユルゲンス)との頭脳戦で、重火器を使った戦いのシーンや軍人が死ぬシーンもありません。多くの乗員の命を護るために苦悩する二人の艦長の姿に打たれるものがありました。
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洋画封切館の札幌劇場は、映写機とスクリーンやスピーカーなどの交換で二週間以上も休館し、1960(昭和35)年の4月16日、札幌で初の70mm映画「南太平洋」を公開しました。前日の北海道新聞に掲載された広告はミッチー・ゲイナー主演のミュージカルで「南海の楽園、ハワイのカウアイ島に絢爛と展開される夢と冒険」、前夜祭の入場者には抽選で冷蔵庫が当たった人がいました。
通常の映画フィルムは幅35mmですから、その倍の幅である70mmは大画面に上映できました。入場料金は指定席400円、階上席320円、階下席220円、高校生170円、小人130円と高額でしたが、映画のストーリーはいまいちでした。
この当時は上映される映画により多少変化しますが、私が通った映画館の入場料は公楽文化が40円、名画座と東映地下が50円、道劇が55円、道新ニュース劇場は20円でした。
東京タワーが完成した1958(昭和33)年の物価は、封書10円、ハガキ5円、銭湯16円、理髪料金150円、ガソリンは1リットル38円でした。平均寿命は男性65歳、女性69.9歳ですから現在に比べるとかなり短く感じます。
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ダッコチャンブームが起きた1960(昭和35)年末、札幌市内で営業していた映画館を五十音順に配列すると次の53館です。
「エルム、オリオン、菊水映劇、幌南映劇、公楽文化、国際東映、琴似映劇、ことに東映、札東映劇、札幌劇場、札幌座、札幌シネマ、札幌新東宝、札幌大映、札幌東映、松竹座、松竹地下、松竹遊楽館、白石映劇、新劇、新街映劇、セントラル、桑園映劇、中劇、遊楽地下、月寒映劇、月寒公楽、テアトルポー、帝国座、帝国地下、東映地下、東劇、道劇、東宝公楽、東宝日劇、豊平映劇、豊平第一、苗穂東映、南街映劇、日活館、日活劇場、ホーエー、北映劇場、本郷映劇、丸井道新劇場、円山映劇、美香保映劇、美園映劇、ミトキ、名画座、藻岩映劇、山鼻映劇、四条名画座」。
高校時代に封切された映画で、心に残る洋画はチャールトン・ヘストンとスティーヴン・ボイドの「ベン・ハー」、ジョン・ウェイン監督主演の「アラモ」、ジョン・ウェインとディーン・マーティンの「リオ・ブラボー」、チャップリンの「独裁者」、グレゴリー・ペックの「白鯨」、アン・バンクロフトとパティ・ヂュークの「奇跡の人」、アラン・ドロンとマリー・ラフォレの「太陽がいっぱい」などです。邦画では、仲代達也と新珠三千代の「人間の条件」6部作、小林桂樹と高峰秀子の「名もなく貧しく美しく」が記憶に残っています。