はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第15章 悩んでいるときに

これまでに様々な経験をし、いまでは考えられないようなこともありました。月刊専門誌「学校事務」に連載した「いまだから笑い話」より、あなたが悩んでいるときに役に立ちそうなものを抜粋し、新たに四編を追加しました。

1 本務は誰も知らない

在学中から、英語の百科辞典を売るアルバイトをしていた。ワンセットを売れば9千円のマージンが入る。卒業延期期間は本格的に売り歩き、平均月収は6万円前後であった。

卒業証書の受領後、公務員になってという父の願いに学校事務職員の登録試験を受けてみた。採用をあきらめかけていた翌年の4月14日、広島でも良いですかという電話がかかった。広島って本州の。いえ、札幌郡広島村です。着任したのはその翌日。

古びた木造の中学校へ入ると教頭が喜色満面で迎えてくれる。「いやぁ、よくきてくれた。学校というところは雑務が多くてね、しっかりたのむよ」。机の上にあるのは電話機一台、引き出しの中はカラッポ。

出勤したらお湯を沸かし、鳴り続けている電話の受付。朝と業間休みの二回は職員へ、来客があるときには随時お茶をだす。給食がないから朝会終了後そばとうどんの注文を取る。欠席の連絡を終えて雑貨店へ走るのが十時ころ。うどんとそば、卵とてんぷらに長ねぎを購入し、戻ってくると煮干でダシ汁をつくる。昼休みにはめんを湯通しで盛り付け、食べ終わったら用具を片づける。後始末が終わるのは午後二時すぎ。休憩や休息なんかあること自体知らない。

学校の近所は野草の宝庫だった。春は根曲がりだけの竹の子、キョウブキにワラビ。秋はシメジに落葉タケ、ナラタケなどのキノコが手に入る。土曜日を除いて汁の具に気をつかう毎日。おかげで料理は好きになった。

職員の退勤後はたばこの吸い殻の処分。宿直室で長めのものを選んでほぐす。学生時代に使ったとはいえない、真新しい英和辞典をやぶいて巻くと立派な煙草ができあがった。少々イガラッポイがしかたなし。

教員免許状保有の経済学士、初任給本俸は19,300円。二食付下宿代は1万5千円で、昼食代は労力奉仕のため無料。手取りはなんと2,500円。土曜日の午後は日直、日曜日は朝から日直。月に25日は宿直。喫茶店へ行くことも、映画をみることもできない毎日。

しかたなく学校関係法令集を無二の友としていたころ、入院中の校長が不帰の客となった。開村以来初めてという学校葬が終わり、教頭はいやな顔をしたが年休を貰った。教育局と共済組合を回って叙勲と遺族年金の書類をもらい、手続を細かく教えていただいた。奥さんに必要書類を説明して申請書類は徹夜で書きあげた。翌々日、奥さんが書類をそろえて来校したときの教頭の顔を、いまでも思いだす。

この日から、事務職員の仕事と思いますという一言で、給与諸手当事務と旅費経理事務共済組合事務に学籍関係事務等がまわってきた。まがりなりにも、学校事務に従事していますと言えるようになったのは、採用されてから一年後。

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2 視察と出張の違い

酒に酔って車に乗ると妙に眠くなる。ひとつ前のバス停留所を過ぎると、眠り込んでしまうことが多い。ところが校長は違う。乗ったとたんに大いびき。それでも降りるところで目を覚ます。さすがと思っていたら、宿直室の電話がけたたましい音をたてた。「山崎か、おれだ。いま長沼町を視察中だ。明日の9時には帰る、わかったな」。

ある朝のこと、出勤したばかりの若い先生が嘆いていた。「昨日バスに乗ったら校長先生が寝ているんだよ。乗り越したらと思ってひとつ手前のバス停で起こしたんだ。」「うん、うん。喜ばれたろう。」「おまえに言われなくてもわかってる、て怒鳴るのさ。満員のバスの中で恥ずかしいのなんのって。」「それで校長は。」「また、視察に行っちゃった」。

久しぶりにススキノで昔の仲間と飲み歩いた。最終列車にやっと間に合い札幌駅を出たのは知っている。ガタンという音で目を開けたらあたりは明るい。あれっと思ったら、オビヒロー、帯広ー。

あわてて電話をかけると落ち着いた校長の声が聞こえる。「山崎、おまえは視察じゃあない。いいか、出張だ。ゆっくり帰ってこい、わかったな」。列車を間違えたうえ、遠距離を乗り越して帰りのお金はほとんどない。駅員に事情を説明したら駅長室へ呼ばれた。こんな乗り越しは歴史に残る。キップの裏に駅長さんがサインして、今後は気を付けるんだよと特急に乗せていただいた。

出勤したのは午後の3時。おそるおそる職員室へ入ると先生方が飛んできた。「帯広まで出張したんだって、ごくろうさま。」「いきなり言われたんだろう、ひどい校長だ。」「かわいそうに、大変だったろう」。頭は上げれず、声もでず。

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3 まさか

陸上記録会の日、頼まれましたと生徒がヘビをぶらさげてきた。退勤時間を過ぎると職員の間を走り回っている教頭。しばらくすると、ヘビの入った一升瓶の前でため息をついている。

どうかしましたかと声をかけたら「だれも知らないんだ」。なにがですか。「うまいって、聞いたんだがなあ。」と、未練たっぷり。見かねて料理しますかと声をかけたら踊りあがって喜んだ。

さっそく自宅まで車を飛ばし、七輪と炭、金網を運んでくる。職員室前の庭でパタパタやり始めた。時々調理の進行状態をのぞきにくる。どこで、食べるつもりですか、と聞くと「外は父母に見られるから、職員室のほうがいいな」。じゃあ支度をしなければ。「いいよ、いいよ。ぼくがやるから。」と、恐ろしくやさしい。

一週間ほどたつと、あちこちの教頭先生から問い合わせの電話。「ヘビを捕まえたから料理の仕方を教えてほしい」。はあ。「先日の教頭会でお宅の教頭先生がとてもうまかったと話していた。言われたとおり青大将を捕まえたし、七輪に火をおこして金網もかけてある。どうすれば良い」。説明すると何度も確認しながらメモをとっているようす。

そして、最後に聞くことはみんな同じ。「どうだった」。なにがですか。「お宅の教頭先生がいってたよ。あの夜は全然眠れなかったって。きみは若いし、独身だから大変だったろう」。

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4 はなしがわかる

待望のプールが完成した。機械が好きな先生方が中心になり、浄化装置の運転と洗浄方法の講習を受けられた。子供達は喜々としてプール開きを待っている。水深が1mになると歓声が聞こえるようになった。ところが2~3日すると中止。どうも浄化装置がおかしいという。修理業者が来て驚いた。ストレーナーを開いたら髪の毛と紙くずがびっしり。毎日清掃するようにお願いしたという。

そんなある日、モーターが焼き切れた。汚れが付着した珪素土を廃棄せずに追加ばかりしていた結果だった。故障するたびに、簡易プールなんか建てるからとなぜか私が怒られる。修理業者に取り扱いを確かめて説明すると、分かったがそんなことまでやってる暇はないという。

毎朝7時に出勤して浄化装置の分解掃除。8ヶ所の大きなボルトを外して大きな円型の扉を開く。中央の巨大なボルトを外して、スライスしたパイナップル状の濾過装置を取り去る。浄化装置の内部と濾過装置を洗浄してから、ストレーナーのごみを取り除いて組み立てる。

珪素土を適量入れて塩素を投入したら試運転。最後はプールの中央から水を取り、残留塩素の濃度と水温の検査。退勤時も同様の操作をする。それからは24時間営業でも故障しらずで苦情もない。

毎日浄化装置と付き合っていると、運転中の音が微妙に違うことに気がついた。珪素土の量が多すぎる時と少ないとき。ストレーナーの全体が詰まっている時と、わずかな詰まりのとき。やがて、ストレーナーに髪の毛がつまったときの音と、紙くずがつまったときの音も判別がつくようになってきた。

元気かいと声をかければ、「髪の毛がつまって調子が悪いわ。」「今日はビニールの袋が詰まっているの」。洗浄したらすぐなおり、小刻みに振るえながらありがとう。こんな恋人がいたならと、今日も夢見て水びたし。

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5 126,000kwの節電

年度当初の職員会議に節電を提案した。来年度は公開の授業研が予定されているので、印刷費ぐらいは節電で生みだそう。もし、本気で実践研究発表会を開催するのであれば協力してほしい。反対する者はいなかった。

翌日の朝、出勤すると電気室で検針。朝の職員連絡会で、昨日の職員会議に提案しました節電の件は今日から実施します。前年度の電気使用量は446,460KWで、支払金額は約590万円です。なんとか10万KWの節約をお願いします。翌日から毎朝使用量の報告、毎日毎日続けても飽きることはない。目標があるだけに楽しみである。

昨日は何かあったんですか。前の日より2,6KWも増えています、と言われ、慌てる人がでてきた。東向きの教室は午前中消灯してください。西側校舎の児童便所ですが、午後は日の光が差し込んでいますと、そのうるさいこと。

それまで廊下の蛍光燈はつけぱなし、特別教室も屋内運動場も点灯したままだった。夜遅くまで会議が続いても、準備のために深夜まで教室で仕事をしていても、必要ない部屋と廊下は消灯する約束だった。しかし、まだ徹底していない。

先月の使用量は46,250KWでした。前年度と比較すると8,060KWの節約になります。今月は220KWの節約でした。これでは目標の10万KWを達成できません。一層のご協力をお願いします。

しつこくなってきたからある先生から不満がでた。「消灯すれと言われても授業中は廊下側が暗いんだ。子どもの目が悪くなっても責任をとれるのか」。実際に見に行くとそれほど暗いとは思えない。養護教諭に相談すると簡易照度計を貸してくれた。一週間続けた測定は基準値を満たしている。文句を言う先生に数値を示したが納得しない。じゃ、研究会ができなくなったら先生が責任を取ってくださいね、と言ってから着実に効果は上がってきた。

年度末の決算が終わってみると、節約できたのは126,000KW。教育委員会と半分ずつにして100万円の追加予算配当をいただいた。それから数年後に管理職になられた先生「あの時は、数字の連続で頭が痛くなったけど、節約の必要性と100万円貰えることがわかったよ。うちの学校も節電を始めたが100万円は貰えるな」。さあ。「貰えなかったら、お前がなんとかすれよ」。

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6 違うちゅうに

グランドスラム(惑星直列現象)が話題にのぼったころ、子供も担任も影響を受けていた。「明後日5年生で惑星の観測をしたいんですけど、望遠鏡は使っても良いですか」。ラベルも貼り終わったし、いつでもどうぞ。天体望遠鏡は購入したばかりの新品である。

昼休みが終わるころ、担任が「あのぉ、説明書の通り組み立ててみたんですがちゃんと動かないんです」。鏡筒を上下に動かそうとしながら「壊れているでしょう」。あのね、これは赤道儀なの。鏡筒は上下に動かないよ。

翌朝、「全然だめだ。」と飛んできた。「星を見たら尾を引いている、すぐ視界から消えて捕えられない」。光軸が狂うと尾を引いたように見え、極軸を合わせないと星を追尾できない。赤道儀は初めてという。

午後4時過ぎに、北緯と東経に赤道儀を合わせて地磁気偏差角を調整していると子どもたちが集まってきた。「おじさん早く見せて。」「ぼく土星が見たい。」「わたしも土星がいい」。

地平線近くに木星がでてきたので一列に並べてのぞかせると、最初はぼんやりした光しか見えないが、しだいに大赤点と4個の衛星が確認できるようになる。土星の月が動いていると騒ぐ子供に、あれは木星の衛星と説木星の写真明していたが担任は現れない。

感動している子供を呼びにやらせると6時ころになってやってきた担任、「土星を見せたんだって」。木星だよ。「ぼく達にも見せて」。もう沈んじゃったよ。どうしてすぐ来ないのさ。「だって、遅くなるからラーメン食べていたんだ」。

子供を円陣にした担任が、「今夜は惑星を観察します。みんな良く知っている惑星は土星ですね。最初は土星を見せてもらいましょう」。ちょっと先生。今日見えるのは木星だけですよ。「えっ」。

転勤のお別れ会で子供が作文を朗読した。「先生に見せてもらった、土星は忘れられません。新しい学校へ行ったらみんなにも土星を見せてあげてください」。

木星の写真は横浜市にお住まいの天文愛好家、米沢さんのホームページ「星への誘い」よりフリー素材をお借りしました。夢が広がる写真をありがとうございます。みなさまも「星への誘い」をご覧ください。

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7 テクニック

赴任して校舎の周囲を回っていると小さな楽焼き窯が目についた。湯呑み茶わんが15個しか焼けない大きさで少々破損している。教育委員会の総務課へ行き、文部省の基準数量が一度で焼ける大型の窯が欲しいと要望した。

楽焼きを経験していなければ中学へ進学したときに困るし、入試の時はもっと困る。本州からの転入生が多いので、私の学校は造形教育の手を抜いていると思われる。札幌の教育が馬鹿にされるのはくやしいと散々ごねてみた。

係の女性は係長と相談し、入れる小屋があれば現物支給するという。他から問い合わせがあったら「焼き窯を現物支給することになった。」とだけ答えるようにお願いした。

管理課へ行き、大型の焼き窯が入ることになったが入れる小屋がない。十月中に建ててもらえなければ使えない。敷地はあらかじめ決めてあるから早急に建ててほしい。総務課に電話確認した係は、ぶつぶつ言いながらも係長の内諾をもらってくれた。次は施設課である。

総務課から大型の焼き窯が入るので、管理課が小屋を建ててくれることになった。焼き窯は灯油が燃料なので、中庭にあるホームタンクから配管してほしい。バーナーは電動式なので配線もしてほしい。総務課と管理課へ電話確認した係は、予算が窮屈なのに相談もなくと言いながら、小屋が建ったらすぐに照明器具も含めて措置すると約束してくれた。

総務課へ戻ると係の女性が「各課から何度も同じ問い合わせがあったけど、なにをしていたの。」と聞く。「小屋は十月中に建ち、照明の配線も灯油の配管も整備してもらえることになりました。約束どおり、現物支給で楽焼き窯をちょうだい」。

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8 お役に立つなら

全道規模で周年行事の研究会を開催することになった。参加見込は500名。研究収録や指導案づくり、教室内部の環境整備に熱中している先生方は正面玄関ロビーの装飾まで手が回らない。5・6年生の折り紙に興味のある女の子を集めてもらった。

なにごとも最初が肝心。折形を付けた色紙にしっかりアイロンをかけてから開いた状態にしておく。子供達の目の前でくしゃくしゃと揉むようにまとめると、アッというまに一羽の鶴が現れる。導入がうまくいくと、子どもたちはこのおじさんをプロだと信用した。

印刷したテキストを配付し、くす玉を作る班と立体形を作る班に分ける。放課後の30分だけだが、毎日続けると多くの作品ができる。それを凧糸で天井から吊り下げた。教室の装飾玄関の装飾

公開授業研が終わると急に忙しくなってきた。お手伝いのお母さん方に頼まれて、折り紙のテキストを印刷して折り方の講習会。

そして、「参加した先生から伺ったのですが、造形教育にも力を入れているとのこと。部活とPTA活動で利用したいので、指導資料がありましたら送付いただきたいのですが。」という手紙でテキストの印刷に追われる日々。

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9 痛恨の断念

全国の学校事務研究大会を北海道で開催したいと熱望した男がいた。研究発表をさせてやるから全事研に入れと熱心に誘う。ある日のこと、お前を北海道支部の組織部長にすることにしたから支部長が挨拶に行くと電話があり、初対面の方を紹介された。第25回大会を北海道で開催できるよう立候補するから手伝えという。そして、わけの分からない間に年間会費を徴収された。

大会誘致に熱心な2人は考えた。第20回記念東京大会の分科会を引き受け、第22回秋田大会の分科会も引き受けることで北海道大会開催時は助けてもらおう。だが、四国九州を合わせたほど広い面積の北海道では旅費も時間もかかりすぎ、全国の仲間のためにひと肌脱ぐスタッフを確保しづらい。組織づくりをどうするか悩んでいるうちに、大会誘致に積極的な一人は高等学校へ転任、もう一人は定年退職。

せっかく練り上げても、私一人では夢のまた夢。「忘却の彼方へ去り行く日本民族心のふるさと、失われゆく郷愁に高揚する追慕の情。まだ間に合うかだろうか、このなつかしき世界へのいざない」。このツアーも幻の企画に終わった。

市内に幽霊が顔を出した古跡がある。豊平川にかかる南九条大橋に、幽霊が出た報道を覚えている人もいるだろう。雨の日にタクシーへ乗せたはずの女性が消えて、座席はビッショリとぬれていた。平和の滝が流れ落ちるさまを写したら、見知らぬ顔が現れた。ある小学校では、集合写真の背景に自殺した故人が写っていたという。

幽霊が潜んでいそうな環境も多い。開拓時代のタコ部屋跡や駅逓跡、墓地跡地や火葬場土管の墓標の移転跡地もある。土葬の墓もあれば、ドカンで出来た墓標もある。更には、新札幌の地下鉄駅通路。建物の中を抜けて、地上へ出る最も長い通路は土葬していた墓地の中に作られた。最近出るらしくガードマンですら巡回を拒むとか。

牛や馬を何頭も呑み込んだと云う泥炭の湿地帯に建つ大きな一軒家。木造モルタル塗りの二階建て、南向きで日当たりは良い。むかしといっても戦後のことである。その家に住んでいた家族が本州へ引っ越して、一年ほど過ぎると娘が失踪した。親戚に尋ねても近所を捜しても見当たらない。捜索願いを出しても行方は全然判らない。

それから半年ほど過ぎた秋の日、札幌の家を訪れた両親は二階の座敷で腰を抜かした。密閉されていた部屋は夏の暑いさかりに何度あったろう。かもいにぶらさがった首吊り死体、からだの肉はドロドロに溶けて畳の上に流れ落ちていた。あまりの悲惨な姿に検死官も顔をそむけたとのうわさ。さらに、その年の冬のこと。娘の亡霊に誘われたのだろう、物置で近所の老人が自殺した。鎌で手首を切り裂いていたという。

それから以後は、買手がついてもすぐに手放し3日と住みつく者がない。根城にきめた暴走族も、事務所にしようとしたヤクザも青くなって逃げ出した。このはなしに専門家を連れてきたテレビ局が大々的なおはらいを行った。その模様を全国ネットで放映したが、まったく効果はなかったらしい。チマタの人のうわさでは今も確かに出るという。

これが事実なら願ったり叶ったり。ショートケーキを山ほど買って、新茶の玉露を添えてお願いしよう。成仏してない娘さん、あんたの協力ぜひ必要。言うことさえ聞いたならきっとあなたは大スター。手首の痛そなご老人あなたもチョット付き合って。

観光バスを霊柩車らしく改装して、全国の仲間を乗せたオバケツアー。きっとうけると思っている。幽霊なんか怖くはないが、二の足踏むのがこの一言。アナタヲ、メイドヘツレテクワ。

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10 闇の栄養士

学校栄養職員の給与負担を、市費から道費へ換えようとした時期である。保育園へ子供を預けて出勤し、職員朝会が終わると給食調理を手伝い、食器洗浄が終わって戻ると退勤時間までは伝票の整理や栄養計算。長電話や雑談している姿などを見掛けない。調理や後片付けまで栄養職員の仕事とは思わなかったよ、大変だねと云うと、「違います、調理員の仕事は見た目以上に大変なのよ。」と笑っていた。

その栄養職員が再三校長室へ呼ばれて涙ぐむ日が多くなってきた。市費負担職員であることに誇りを持っていた彼女は、道費負担職員のほうが社会的地位が高いとか、校長の顔を立ててほしいという言葉に嫌気がさしてきた。

そして、「仕事を続けたければ、校長の言うとおりにしなさい。」という言葉を聞いて愕然とした。二度とこの校長の顔を見たくないと思った彼女は、「来年の3月末で退職します。産後休暇の後は残っている年休を取ってもいいですか。」といったら、承認されたという。

三学期が始まった。産後の休暇中は臨時の栄養士が勤務したが、年休の期間は雇用できない。残っている年休は20日でも、年が変われば20日加算され、土曜日は半日で日曜日は除くのが正しい計算。臨時職員の特別雇用で課長に頭をさげればなんとかなるよう裏工作をしたら、事務職員は人事に口を挟むなと叱られた。

給食は中止できず、調理員に必要物資の計算と発注はむずかしい。教育委員会の栄養士に教えを乞い、毎晩自宅で献立表を見ながら加食量と廃棄率の計算。出勤して発注するとくすくす笑う声がする。事務職員の仕事でないから、教頭に押し付ければいいでしょうという先生方。教頭にどうしますかと尋ねると校長がなんとかするだろうと涼しい顔。

終了式を迎えて一息つくと、管理職の人望が厚いから乗り切れたという他校の評価。頼まれも感謝もされずに2ヶ月間、退職願いを胸に秘めて無免許操業を続けたわたしを闇の栄養士と人は呼ぶ。

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11 比翼の鳥

学校事務職員同士が結婚することになり、結婚祝賀会で挨拶を頼まれた。軽い気持ちで引き受けたが、冗漫(冗談と漫談)調ではしまらない。大きな折り紙を三枚用意し、折り形をアイロンで付けて略礼服に身を包んだ。受付をしたら来賓席に案内される。

見知らぬご老人達がこいつは何者だと一斉に見る。媒酌人の挨拶が終わって新郎側の祝辞が始まるとトイレへ行きたくなり、新婦側の祝辞が聞こえ始めると足がガクガクしだした。勤務先と職氏名、任意団体の役職名を紹介されて立ち上がったが、身体がゆれて足が地につかない状態。折り紙を手に持ったまま生まれて初めての祝辞を述べた。

ご結婚おめでとうございます。喜びに包まれたお二人と、今日のこの時を心待ちにされておられたご両家ご両親を心からお祝い申し上げます。天に在りては願わくは比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん、中国の古典尽きせぬ愛の歌の一節です。

こんな題の古典は存在しないが、まさか「長恨歌」とは云えない。近くの人が気付いたとみえてなるほどと納得した声がする。いよいよ折り紙が登場し、折り形をつけてあるからもったいぶって折り始める。

この詩の中に現れます比翼の鳥は、雄と雌が各々一眼一翼で常に二羽合和して飛ぶと云われます。このことから、愛により結び付いた男女の姿を、いついつまでも一緒にいようと願う二人の気持を、助け合い励まし合う夫婦のありようを現していると云われます。そして、この比翼の鳥を見ることができれば、その人に素晴らしい幸福が訪れると伝えられています。しかし、比翼の鳥は創造上の鳥、この世には存在しない鳥なのです。

日本には世界に誇れる技術があります。私達の祖先が考えだしたもので、一枚の紙があればあらゆる形を作ることができます。私共が結婚した日、藤原教育長より戴いたのが比翼の鳥でした。折り方を知りたかったのですが、元の姿に戻せる自信はありません。やがて生まれた娘に折り紙の基礎を教えて15年、娘に助けられて秘密の扉を開きました。

藤原教育長よりいただいた比翼の鳥は、私たちに子孫の繁栄を託して煙となり天上界へ飛び立ちました。これが教育長が折られた比翼の鳥です。私達の大切な仲間であるお二人を、堅く結び付けていただいた御媒酌人へ感謝の気持ちを込めて贈ります。

創造上の比翼の鳥は雌雄同体、いえ雄雌一体です。一目でそれが解る姿であるべきで、伝説に忠実でありたいと願います。そこで男女の色をあらわした二枚の紙を使います。こ比翼の鳥の雌側比翼の鳥の雄側れを合体させて折ると本当の比翼の鳥が誕生します。新たなる幸せの命を与えられた比翼の鳥。お二人とご両家に必ず幸せを招いてくれるでしょう。

比翼の鳥などという折り形はないが、伊勢桑名の魯縞庵という坊さんが寛政9年に千羽鶴折形という本を表した。妹背山という作品をちょっと変化させたものである。

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12 オレはコロンボ

出勤すると、前日2年生の担任が交通事故を起こして警察官が現場検証にきたという。教頭が出張中のため、教育委員会への事故報告書作成で本人から事情を聴取した。

退勤するので自家用車に乗った。校門の外に歩道があり、歩道を超えると車道へ出られる。左右を確認しながら徐行していたら、歩道上を自転車が走ってきて助手席側のスモールランプにぶつかった。専門学校の女子学生がヘッドライトの前に転んだとき、頭を打ったというので救急車を呼んだ。軽い打撲傷で足を擦りむいた程度。原因は運転手の前方不注意であるという。

自家用車のスモールランプは完全に壊れていたが自転車に破損箇所はない。しばらく車と自転車の双方を眺めていたら納得がいかないことがある。事故発生現場に立ったら益々納得がいかなくなってきた。絶対に運転手の不注意ではない。しかし、裏付けのない第六感。

コロンボは嗅ぎ回った。事故発生時に給食の調理員が銀行へ行った。交差点を渡り始めると信号が黄色になり、道路の中央へきたときに衝突する音を聞いたという。交差点が見える銀行の窓口係と金物屋のおやじさん、お菓子屋のお姉さんは音を聞いてから事故に気付いたという。

コロンボは当惑した。確証が得られない。何度も何度も質問するので、すべての人がいい顔をしなくなってきた。加害者は逃げ腰になっているし、被害者にはあわせてもらえない。事故発生の日、信号待ちで交差点に立っていた人に偶然出会った。自転車は信号が黄色に変わった時に交差点へ入り、「危ない」と思ったという証言にコロンボは推理した。

女子学生は急いでいた。信号の色が赤に変わる前に渡りきろうとスピードをあげる。交差点を渡れなかった人をよけてホットしたとき、歩道へ出てくる自家用車のボンネットが見えた。交差点から接触位置まで12mたらず。ブレーキをかけても止まれない。

右足を伸ばしてスモールランプを蹴った。だから自転車に衝突による破損個所がない。自転車の後輪は弧を描いて流れるように滑り、身体はヘッドライトの前に落ちる。自転車歴が長いからこの時の様子が目に浮かぶ。自転車のスピード出し過ぎが事故の最大原因である。

コロンボは断定した、事故報告書に加害者は女子学生と記載。前方不注意で車の方が悪いと言われても書き換える気にはなれなかった。

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13 時代が違う

集めた資料をワープロに入力しているのをのぞき込んだ女の先生、「そんなに資料を集めて、なにしてるんですか」。内緒だよ。校長の教育功績者表彰の推薦調書を書いているんだ。「えっ、それ教頭先生の仕事でしょう」。そうだけどさあ。「大変ねえ。それで、表彰される可能性はあるんですか」。「判らないけど。俺がかいてるんだ、なにがなんでも表彰してもらわなきゃ。「じゃ、芥川賞を目指してるようなものね」。

忘れかけていた12月27日、朝刊に表彰者決定の記事が掲載された。校長へ電話すると喜びの声が聞こえる。購入した新聞を職員室の黒板に掲示し終わると、先日ワープロを覗き込んだ女の先生が出勤してきた。朝刊読んだでしょ、うまくいったよ。「山崎さんおめでとう。芥川賞よね」。

教頭が職員室の扉を閉めようとして「えっ、芥川賞もらったの。」と驚いた。続いて校長が入ってきた。校長先生おめでとうございます。「ありがとう。先生方のお陰ですよ。本当に、教頭先生にはご苦労をおかけしましたねえ」。「なんのことですか」。

女の先生があきれ顔で黒板を指さした。教頭は新聞記事を読み始める。「ありがとうございます。本当に、教頭先生にはお手数をおかけしました」。校長は丁寧に頭をさげて校長室へ消えた。

昼食に出掛けたらしい教頭はまだ戻らない。出勤された何人かの先生が校長室でお祝いの言葉を述べている。しばらくして職員室へ入ってきた校長。「いま聞いて驚きました。推薦文は山崎さんが書いて下さったんですねえ。わたしが教頭になったときは、先輩から教頭の重要な仕事と教えられてきましたし、機会を与えられて努力もしてきました。でもいまは事務の先生が書くんですねえ」。いいえ、私も教頭が書くのが筋と思いますよ。

ところで、教頭先生をみかけませんでしたか。「教頭先生ですか。今日の午後と明日は自宅研修をしますからよろしくと言って帰りましたよ」。ええっ。今日は午後7時まで工事を続けてもよい、明日は午前8時に玄関を開けると現場監督に約束してましたよ。「聞いていませんが、玄関の開け閉めはわたしがやります。もう、時代が違うんですねえ」。

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14 あなたもできる

一日に80本もの煙草を必要としたチエーンスモーカー。30年間吸い続けて一日50本が平均。マークトウエンと同様に「禁煙ほど、簡単なことはない。わたしは何回もやめている」というほどの煙草好きである。

煙草消費税を納めて喫煙権を主張したくても、納税義務の伴わない嫌煙権のほうがのさばっている。会議の時も車の中でも片身の狭いことばかり。煙草が好きだから害があることは知っている。麻薬と同様の常習性があり禁断症状の苦しさも知っている。喫煙者のマナーの悪さも反省している。禁煙のたびに本数が増えることも知っている。やめろと言われても、簡単にいかないのが煙草である。

2月の上旬頃「自己創造の原則(加藤諦三訳三笠書房版)」という本に出会った。著者は米国の心理学者ジョージ・ウェインバーグという人。この本はたったふたつの主張に約 300頁を費やしている。「あなたがなんらかの行動をおこしたとします。するとそのたびに、自分のしたことの動機となった考えを強めているのです。」という主張と、「あなたはどのような動機となる考えも、どのような感情も姿勢も信念も、それらを強める結果をもたらす行動をやめることによって、弱めることができます。」というもの。

2月の中旬は、SCWLテープ(エム・アール株式会社製)に出会った。潜在能力開発テープで、№102禁煙を実行するというプログラムがある。「不健康な習慣を思い切ってやめてみましょう。ここに無理なくタバコをやめられる強力な方法があります。この革新的なテクノロジーはニコチンに依存する気持ちを弱め、あなたの意識の中の自律心を強くします。2度とタバコを口にしないという決意を強化します。」という宣伝文句。

心理学者が説く「意識領域」の訓練と、SCWLテープによる「無意識領域」の説得。これを併用すれば煙草を止められると考えたが、現実はそんなに甘いものではない。本の内容はすっかり忘れ、連続して3ヶ月聞かなければ効果が望めないテープも8,240円を払って耳にしたのは5回だけ。

6月の上旬にマンションへ引っ越すことになった。「ちょっとやめてみよう。吸いたくなったらいつでも吸えばいい。」と考えた、この軽い気持ちが運のつき。苦しいはずの禁断症状がほとんどない。あわてて読み直したのがジョージ・ウェインバーグの本。後戻りができないように時折、自分のしたことの動機となった考えを強めている。

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15 是非もない

教育庁教職員給与係長名で「扶養控除等の控除誤りの調査について」という事務連絡が郵送されてきた。札幌中税務署から平成8年度給与所得の源泉所得税で、扶養控除等に誤りがあると思われる者について調査を求められた。別紙調査書の職員について調査し、該当とならない場合は該当とならないことを証明する書類を添付してその理由を記載すること。調査の結果、再調整の対象となる場合は所得税の追徴となるので関係職員に連絡しておくこと。

別紙をみると、S先生の奥さんについて札幌中税務署で把握している配偶者特別控除額は23万円であるが、平成8年度給与所得者の源泉徴収票に出力された配偶者特別控除額は38万円となっている。所得確認のため奥さんの源泉徴収票を添付するようにとの指示である。

S先生に伝えると、「コンビニに頼まれて1日4時間の約束で手伝っていたんです。夕べいろいろ聞いてみると、昼食を用意するからあと2時間とか、もうちょっとだけといって1時間延長とかひどく時間にルーズなんですよ。源泉徴収票は何かに使ったらしく持っていないというんですが、どうしますか」。少々急いでるって雇用者に再発行をお願いして。「真面目に申告しているのにどうして疑われるんですか。他にも何人か該当してるんですか。うちだけ調べられるのはなぜなんですか」。

おそらく何千人分の申告書の中から抽出してみたら、少々誤差があったから調べてみようだろう。30年以上この仕事をしてきたけど初めての経験さ。めったに当たるもんじゃないよ。そうだ、市役所へ行けば平成8年度分の市・道民税証明書をすぐ発行してくれるよ。源泉徴収票の再発行より早いし、ついでに宝くじを買ってきな。ひょっとすると当たるかもしれない。「そうですね。近いから、時間を見つけて行ってきます。」

放課後、自転車で戻ってくる姿が窓越しに見えたので廊下へ出て待っていた。ご苦労さまどうだった、すぐ発行してくれたでしょ。「こんなもの出せませんよ」。S先生は言葉を吐き出した。「こんなことってないですよ。証明書をみたら、80万も所得があることになってるんだ。21万しかもらってないって云ってたのに」。

通りかかった人や生徒に聞かせるわけにはいかないので、膨れている先生を事務室内へと誘い入れた。去年、扶養手当等確認調書作成のときに提出してもらった給与支払証明書の額は、たしか21万円だったよ。疲れるわりに安いって奥さんが嘆いていると云ってたでしょう。控えがあるから確認できるけど、奥さんのはなしの方が信じられるよ。

S先生はやっと証明書を見せてくれた。今年度もすでに16万円の所得があったことになっている。奥さんがパートをやめたのは昨年の3月で、それ以後は家事従事の専業主婦でしょう。先生の月給以外に収入はないよねえ。「そうですよ。どうして16万円も貰ってるんだ。あいつ何やってるんだ」。落ち着きなよ。こんなときは冷静に考えなけりゃ。「だって、市役所の証明書にある金額が間違ってるはずはないでしょう」。

夫婦喧嘩になりかねない剣幕を静め、くれぐれも余計な説明をしないで学校で必要だからと伝え、奥さんから雇用主に源泉徴収票の再発行を依頼してもらうことにした。

朝、S先生は怒り心頭に達した表情で事務室へ入ってきた。昨日、冷静になるよう静めた後に家へ電話し、すぐに源泉徴収票を貰ってこいと指示した。家へ帰ると奥さんに、公認会計士が作成するのであとで届けると云われたけど、なにかあったのと質問された。去年は本当に21万円しか貰っていないのか、今年も手伝いに行っておれにだまっているんじゃないのか。そんな、どうしてそんなふうに考えるの。俺はひとつも不正をしていないのに、所得をごまかしているって調べられるのはおかしいんだ。わたし、あなたに隠してることなんかないわ。

来客のチャイムが鳴り、ドアの閉められる音が聞こえると、奥さんは源泉徴収票を差し出した。21万の表示を見終ると、奥さんはもう一枚同じような用紙を持っている。なんだそれわ。これもとっておいてと云われたの。見ると60万と表示された源泉徴収票である。合わせて81万円。S先生は市・道民税証明書を取り出した。平成8年度の所得額と完全に一致する。

やっぱりこの額も貰っていたんだろう。そんな、あなたわたしの云うことを信じられないの。もらっていなければこんなもの突っ返してこい。折から降り出した氷雨の中、奥さんは泣きながらかっての雇用主宅を訪ね、60万円と表示された源泉徴収票を郵便受けに差し込んできた。今朝は口をきいていないという。

喧嘩なんかしてどうするのよ。だから、冷静にって云ったたろう。夕べあれから考えたんだけど、悪いのは奥さんじゃないよ。奥さんが貰ったのは源泉徴収票の金額で、証明書の額は雇用主が支払ったと申告した額さ。そうじゃなければ辻褄が合わないよ。「でも、配偶者控除の税金の差額は悪いことをしてなくても取られるんでしょ」。

先生の税金なんか論外さ。奥さんへ60万円支払ったことにして、その金はどこへいった。雇用主の懐に入ったというのが自然だろう。「えっ。じゃあ、うちのやつもぼくも利用されただけなんですか」。奥さんは被害者さ。この21万円と記載された源泉徴収票は教育庁へ郵送するよ。そのうち札幌中税務署は、雇用主の所得隠しと脱税容疑で調査に着手すると思うね。あとは心配しないで今日帰ったら奥さんと仲直りしなよ。

2日後、教職員給与係の女性より電話がきた。「源泉徴収票の額を見ますと税務署が指摘した額と違いますので、市役所から所得証明書を取って送付してください」。本人が得た所得を証明する源泉徴収票を提出したのに、なぜ所得証明書まで必要なんですか。「源泉徴収票の額以外に所得があると指摘されているからです」。本人も奥さんも他の所得はないと云っています。したがって本人達の問題ではありません。奥さんに支払ったという人がいるのなら、税務署に説明して事実を確かめてもらえばいいでしょう。違いますか。

ちょっと待ってくださいと、その女性は通話を保留にした。そして、男性の声に変わった。「税務署が指摘している額とあまりにも掛け離れている源泉徴収票の額ですから、受け取っている所得額を証明できる所得証明書を提出してもらえませんか」。何度でも説明しますが、本人が受け取った額を証明する源泉徴収票を提出していますし、それ以外の所得はないと本人から聞いています。それなのに、料金を支払ってまで他の証明書を取る必要があるんですか。

男性職員は当惑した。「税務署から指摘されたら、私たちはその証明書を提出してもらわなければなりません。なんとか所得証明を取ってもらえませんか」。平成8年度の市・道民税証明書なら先日取ったので、まだ本人が持っていると思います。しかし、そこに記載されている所得額は本人はおろか奥さんも知らない金額といいます。本人が受け取った額と一致していると認めた源泉徴収票を提出したのですから、税務署の要請に答えたはずです。だれが奥さんに多額のお金を支払ったと云うんですか。奥さんを雇用した会社がどのような申告をしたかは、税務署が調べる仕事じゃありませんか。「もらったもらわないは本人と会社の関係で、教育庁は税務署の指摘に答えなければなりません」。

その先生も奥さんも不正をするような人でないことを私はよく知っています。先生本人と奥さんを守るのは私の仕事と思い、事実確認のために若干プライバシーにまで立ち入って確認してきました。現場にいる私や教育庁が真面目に申告している先生を信じないで、いったい誰が先生方を救うんですか。「税務署が指摘した書類をそろえなければならないことをわかってください。提出しなければあとで面倒なことになるかもしれませんよ」。受け取った額を真面目に申告しているのですから、税務署の職員は二人を信じてくれますよ。そして、支払ったと虚偽の申告をしたほうを摘発してくれるでしょう。「税の証明書があるなら、それでもいいですからなんとか送って貰えませんか」。本人にその意志があるかどうか確認してからになりますので、二日ほど余裕をください。「お忙しいと思いますが、証明書を郵送戴けるかどうか、結果を電話でお知らせください」。

長電話を切ると、目の前の廊下でS先生が生徒に掲示物の指示を与えている。手が空くのを待って、後ろから声をかけると近づいてきた。どうだった。奥さんと仲直りできたかい。「おかげさまで。うちのやつ驚いていました。去年出した証明書の金額まで覚えてるのはすごいって」。それは商売だからさ。その後のはなしがあるんだけどちょっとならいいかい。「ええっ、続きがあるんですか」。

さっき、教育庁の係から源泉徴収票の金額のことで電話があったんだけど、今度は市・道民税証明書を提出してくれっていうんだ。所得がないと本人が申し出ているから必要ないと突っぱねたら、教育庁の係はかなり困っている様子だった。提出する証明書の余白に「源泉徴収票の金額以外の所得はありません。この証明書の額を支払ったと申告した側をお調べください。」と書いて記名押印するのさ。正しい所得を申告しているなら問題はないと思うが、どうする。

S先生は納得した。「お任せします。事務官は信じてくれたけど、信じてくれない人もいるんですね。お手数をおかけしてすみません」。なに云ってるんだ、こんな喧嘩なら任せておきな。行政職員は弱いもの苛めや、不正をやるやつばかりじゃないよ。

それから一時間ほどすると教育庁の男性から電話がきた。「うえの方と相談した結果ですが、本人が受け取った所得を証明する源泉徴収票が提出されたのですから、受け取っていない所得が記載されている所得証明書は必要ないということになりました」。

そうですか。本当に必要ないんですね。じゃあ、市・道民税証明書はどうします。先程先生に確認しましたら、奥さんが持っているというので明日届けてくれるようにお願いしましたけど。「証明書は学校に保管しておいてください。必要になることはまずないと思いますが」。わかりました、先生にもそう伝えます。お手数をかけましたがよろしくお願いします。

翌朝届けにきた先生に、あのあと教育庁から話はわかったと電話連絡がありこの証明書は学校で保管することになったよと伝えた。「不正を公表された職場の人達は、真面目にやっている人も自分たちと同じだと思うんでしょうね。」とS先生が嘆く。

違うよ。不正に荷担しなかった人達も白い目で見られていると思うから、自分の身を守ることだけを考えるようになる。相手の立場に立っことを忘れて指示にしがみつくのさ。許してやんなよ、最後は正しい判断をくだしたんだから。「でも、これだけゴタゴタさせた家内の父は反省するかなあ」。えっ、雇用主は奥さんのお父さんだったの。

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16 云わないんだもな~

中央昇降口に、左右への引き戸が三箇所ついている。西側の二箇所は生徒用、東側の一箇所を職員と来校者が利用していた。昇降口の外側はコンクリートのたたきになっているが、生徒用と職員用の引き戸のあいだ、柱の部分に50㎝ほど離れて平行した状態の水呑場があった。

年上の用務員が校長に苦情をいう。「来客があるからと言われても、玄関の水呑場が邪魔できれいに掃除ができない。水を飲むときは玄関前の廊下にある水呑場を利用すればいいし、掃除のときには使っていないからただ邪魔なだけだ。今日は学校建築部の係が来ているのですぐ撤去するようはなしてほしい」。校長はその係と実地検分し、撤去工事を早急に行うよう依頼した。一週間後、水呑場は撤去されて玄関前は広々となった。

野球部とサッカー部の顧問が校長へ苦情を持ち込んだ。廊下の水呑場を使えというが、そのたびに靴を脱いでいたのでは練習時間が不足する。スパイクやサッカーシューズは紐で縛らなければ危険なのだ。用務員に気配りもいいが生徒のことも考えてくれ。

校長は翌朝の連絡会で謝罪し、事務主任と相談して善処したいと述べられた。さっそく数社へ見積を依頼したが、建築業者は孫受けが実地調査にくるまで少々時間がほしいという。運営委員会の席上、予算内で納まりそうなので年内にも着工したいと提案した。職員会議で「以前より立派な水呑場が年内にできそうです。それまでは若干不便だろうがなんとか協力いただきたい。」と校長より補足があった。

配管業者から、雪が降らないうちに資材の搬入をと要望されたが孫受けがまだ来ない。電話をかけても行き違いになることが多く、ようやく今週中に来ると返事があった。だが現れず、翌週もその翌週も姿をみかけない。仕事が詰まっているのでこれ以上遅れてはという配管業者の要請に、札幌市の指定業者としてふさわしくないから取消上申書をだすと元請けの課長を呼び出した。

約束していたのにこれ以上遅れると配管業者も迷惑しています、いつになったら実地調査に来てくれるのですか。「先週の土曜日に行きましたよ。事務官がいらっしゃらないので校長先生におはなしすると、間もなく雪が降ってくるから来春の雪解けを待って着工してくださいって」。ええっ。「そちらの都合で延期したのに、どうして私が怒られるんですか。校長先生より事務官のほうがえらいんですか」。

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17 不幸中の幸い

最終勤務先となる職場へ出勤すると、校長室へ案内されて応接椅子に掛けるよう指示された。むかし職場を共にした先生が校長に昇格されている。型通りの挨拶が終わると、教頭が「3月末にコンピュータ教室が完成して18台のコンピュータが整備されました。」と説明する。コンピュータ教室は費用がかかるのでなかなか造ってもらえません。最新の機器で授業が受けられるので子どもたちは恵まれていますね、と感想を述べた。

すると校長が口を開いた。「実は、本校職員にワープロを持っている先生はいますがコンピュータを使える先生は一人もいません。私も教頭も触ったことがありません。山崎さんはコンピュータを使えるとのうわさも聞いていますし、職員室の机上に置かれたのはパソコンですよね。恐縮ですが、二学期から先生方が使えるようにしてもらえませんか」。

全市的な業務の関係で教育委員会より預かったパソコンを職場へ持ち込み、自宅にもパソコンを置いていたが操作技術はまだまだ未熟だった。コンピュータ教室のオペレーティングシステム(OS)は「WindowsNT」で、わたしが保有している機器のオペレーティングシステムは「Mackintosh」。互換性はなく、操作方法が異なるので頭を抱えた。

機器のそばに山積みとなっている説明書類やソフトウエアのCDとフロッピーディスクを分類整理し、日曜日に出勤して操作方法を自習した。ワード・エクセル・ペイントソフトの操作方法を身に着けて夏休み後半に講習会を開催し、終了操作はだれもが完璧に行えるよう徹底した。コンピュータ教室

二学期からコンピュータを利用した授業が始まった。冬休みが明けて間もなく窓側のコンピュータ二台が水をかぶり、キーボードは水浸しの状態となっているという。屋上に設置した空調用室外機の樹脂配管をカラスがつついて穴をあけ、配管内へ入り込んだ雪解け水が天井裏にたまり、前日の時ならぬ大雨で重さに耐えかねた天井板が剥がれて一気に流れ落ちた。

コンピュータの終了操作が中途半端であれば周辺機器やソフトに影響を与えていただろう。授業中であれば、子どもは頭から全身に冷たい水を浴びていただろう。ぞっとする。

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18 窮余の知恵

教頭に校長室へ来てほしいと呼ばれた。パソコンの電源を落として扉を開けると、事務机を背に校長が腰を下ろし、壁側の応接椅子に教頭、教務主任、保険主事が腰を下ろしていた。私は通路側の三人掛け応接椅子へ腰を下ろした。

校長が説明を始めた。「例年の卒業式では、体育館の舞台のうしろの壁に日の丸と札幌市旗を並べて掲示していました。今年も同じように考えていましたが、先日の職員会議で日の丸は掲示すべきでないと云う強い意見が出ました。組合の分会長からも日の丸は掲示すべきでないと強い要望がありました。山崎さんはどのようにお考えか、ご意見をお聞かせいただけませんか」。静かになったと思っていた問題がまたぶり返したらしい。

教職員組合に加入していないので組合の考え方は理解していません。私の立場は、北海道に採用されて札幌市に人事権があり、給与は国と北海道が二分の一ずつを負担し、給与の全額が税金で賄われている地方公務員で、職種は行政職員です。

私は日本国民をいう立場で選挙公報を読み、立候補者の演説を聞き、選挙でこの人をと考えて国会議員を選びました。選ばれた国会議員は定められた時間内で議論をし、多数決で日の丸の掲示を決めました。議論が尽くされていないという非難も聞きますが、自分の主張が通らないときはだれしもそう考えます。

立法府で決めたことは行政府が実施します。私は行政職員ですから決められたことを実施する義務があります。宴会の始まりに乾杯が必要でも、車できた人にビールをつぐことはしません。冬休み中に自宅研修と称してパチンコをしている姿を見ても、決められている給与を減額せずに支給します。

私には家族がいます。家族は私の収入で生活をしています。私は行政職員ですから、給与の元となる税金を支払ってくださる方々が選出した議員が、多数で決めたことに従います。多数決で決めたことは、より多くの納税者の支持があったことになります。教育委員会が出した指示に反するわけにはいきませんが、言いなりではなく間違っていれば根拠を示しておかしいといいます。

再び職員会議が紛糾した翌朝、疲れ切っている校長へこれでいかがですかと提案しました。その日の夕方開かれた職員会議は5分で終わりました。「卒業式の舞台装飾は事務職員がやってくれるというので任せました。先生方は児童の指導に専念してください。」

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19 足跡を残して

若いころに参加した研修会で、教育長より「勤務先に勤務した証拠となる足跡を残すよう努力すべき。」との挨拶をいただいた。とはいえ、常に直射日光を受ける校長、日の当たる教頭や教員であれば可能でも、日陰でうごめいている存在には難しい。

毎朝7時に出勤して洗浄していたプールの浄化装置は転勤後すぐ破損して姿が消え、1年間に126千kwの節電で特別配当を受け校木の桜苗木を30本校庭に植えたが、桜の花を見て節電の努力を思い出す人はいない。

グランドのフェンス沿いに植えて100mもの長さになった水仙は転勤後数年で消えてしまった。全市規模の教育財産管理改革は1972年度(昭和47年)に現場へ導入されたが、退職後に改善を加えられたという噂は聞かない。1991年度(平成3年)に情報公開条例に準拠した文書管理を「学校文書管理ハンドブック」で示したが、ハンドブックが存在することも忘れ去られているという。地図、私たちの札幌

退職が目前に迫ったころ、校舎内を巡回しているときに掲示物に気付いた。「わたしたちの札幌」という木製の地図が古すぎて清田区が存在しない。子どもたちがみても学習の参考にはならず、掲示物を授業で使うことはできない。既製品を購入するにはかなりの金額が必要である。

掲示されている地図を外してペンキで塗りつぶし、最新の地図をOHPで投射しながら全ての区を表記して色別に仕上げ、製作年月日と製作者名を背面の隅に入れておいた。札幌市10区体制が変更になるまで、足跡は子どもたちの目に触れるだろう。

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20 最後のいたずら

屋内体育館と校舎との渡り廊下のある隙間に、屋内体育館の壁面を利用して建てられた木造の小屋があった。扉を開けると、ラインパウダーやライン引き器などの床が汚れるグランド用具が収納されている。

屋根は波型鉄板で覆われた片流れ、高さ2.5mで0.5cmの傾斜がついている。廃物と思われる柱や板を組み合わせて補強した三方の壁も波型鉄板で覆われ、グランド側に幅90cmの扉がついている。素人が力を合わせて作ったと推定でき、ラインパウダーを収納するには重宝されていた。

数年前までは、運動会の白線や野球のベース間ラインは石灰を使用していた。雨にぬれると固まるので保管場所に注意を払い、粉末のため周囲が汚れるので清掃に苦慮した。石灰やライン引き器を収納する専用の小屋が必要とされ、だれもが保管場所を石灰小屋と呼んでいた。摩擦熱でやけどが問題となり、価格が石灰の三倍以上もするラインパウダーに変更されたが、石灰小屋という名前は依然として変わらなかった。

屋内体育館の外壁修理が決定して石灰小屋が撤去されることになり、代わりとなるプレバブの石灰小屋を要望したがあえなく却下された。工事の着工前に石灰小屋を解体して他の場所へ移し、屋内体育館工事の廃材や余った端材など役に立ちそうなものは貰っておいた。

屋内体育館の壁が出来上がるとラインパウダーを収納する場所がない。グランドが乾燥するまでにと、管理職と担任外教員、用務員に協力を仰いだ。図面が雑すぎる、寸法がおおよそ過ぎると苦情をまき散らしながらも、ほぼ元の位置に骨組みが出来上がるまでは手伝ってもらえた。

最後は若い用務員と屋内体育館から剥がした鉄板で周囲を覆い、雨漏りがしないように隙間へ変性シリコンを充填した。棟上げ式も完成祝賀会もないので、天井を支える柱の裏に恐山で購入したお札に祈願文を添付して張りつけた。十数年後、解体したときに発見して吹き出すだろうという悪戯。

石灰小屋存続祈願文

それ 石灰小屋の浮生なる相を つらつら観ずるに
 屋体外壁補修に伴い 取り壊されて廃材の山と化し
 積雪に耐えて春を向かうるも 見向く若者一人だになし
 おおよそはかなきものは 利用者の心根 幻のごとくなる一期なり

常日頃は ドアを荒々しく開け閉め
 真新しい袋は 所々穴をあけて石灰を撒き散らし
 ライン引きの整頓はおろか 雑然と用具は散乱して石灰にまみれ
 指導者は整理の掛け声だけで 自ら手本を示すことなく
 感謝の念をもって 補修の意を抱くこともかなわず

されば 子どもたちの健やかな成長を願う
 うからやからのオノコたち 廃材をかき集めて
 四日間で復元を完了す
 ボールペンより重きもの持ちたる経験なき者
 筋肉は棒のごとくかたまり 首を回すこともかなわず

しかれども 無情の風きたりぬれば
 すなわち 再利用の柱たちまちに腐り
 筋交いあれども 強風に耐える力を失い
 鉄板むなしく変じて 赤錆を噴出したるときは
 神仏に祈りてなげき悲しめども すでにその甲斐あるべからず

さてしも あるべきことならねばとて
 補修の手抜きをうらみて 自業自得の結果となし果てぬれば
 ただ 保管場所を失う石灰のみぞ残れり
 あわれというも なかなかおろかなり

完成の朝は 楊貴妃のごとき傾国と見まごうに
 いまに至るまで たれか補修に専念し
 子どもたちの成長を大望した 先人の悲願を保つべきや
 後世、祈願文開きしときは 粉黛剥げ落ちて老醜をさらすのみか

されば 感謝の気持ちのはかなきことは
 子どもたちと先人を なげかすさかいなれば
 たれの人も 石灰小屋のすこやかな存続を祈願し
 利用するだけが当たり前との 卑しさを心にかけて
 たまには 補修にも心尽くすべきことを 悟るべきなり

忘れちゃ嫌よ  あなかしこ あなかしこ

  西暦2002年4月30日

石灰小屋再建発願者:事務主幹(満60歳)、全面協力者:用務員(満23歳)、再雇用用務員:(満60歳・満60歳)、賛助協 力者:校長(満60歳)、昇任教頭(53歳)、担任外教諭(満51歳・満54歳・満60歳)

小屋の正面 小屋の天井 小屋の内部

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