4 シュテルゼフ峠の出会い
4-1 横浜のTDさん
この日から45年後、インターネットの「シュテルゼフ峠」で見知らぬ二人が出会いました。早朝にインターネットへ接続すると、平成14年6月29日午後2時28分発信のメールが届いていました。発信者はアルファベット二文字、件名は「はじめまして」とあります。
◇ はじめてお便りいたします。横浜のTD(64歳)と申します。貴方様のホームページを拝見し、失礼を省みずお便りいたしました。中学時代の文化祭のシュテルゼフ峠につき記述されておりましたが、私も中学三年のときにカルロー役で出たことがあり、大変懐かしく拝見いたしました。
■ 札幌のOY(60歳)と申します。シュテルゼフ峠のカルロー役を演じられたとは懐かしいですね。おどおどした表情と動きが難しく表現力を要した役でしたね。わたし達の年代が中学生の頃、先生方が注目されたのがこの劇のようです。同窓会の時にあちこちの中学校で採用されたと担任の先生より伺いました。
◇ ご返事ありがとうございます。どのようにしてホームページに辿り着いたか不思議に思われるかもしれませんが、実は昔の中学時代の卒業アルバムを見ていまして、シュテルゼフ峠を調べて見ようと思いつき検索しましたところ行き着いたのです。ご迷惑とは存じましたが、親近感を覚えてメールしてしまいました。
■ シュテルゼフ峠を Googleで検索してみると、劇団たんぽぽが1950年に公演していました。シュニッツラー原作、佐藤加輔脚色だったのですね。私も45年前のカルローにあえたような気持ちがしています。お許しいただき、時々お話ができればと思っています。
◇ シュテルゼフ峠は、シュニッツラーの「盲目のジェロニモとその兄」が原作ですのでこれで検索をしてみましたところ、千葉県の千葉高校の同期会のホームページに出会いました。ご紹介します。名物先生が授業時間にこの物語を朗読された様子を、A君という方が名文で投稿されており感激いたしました。こんな素晴らしい先生に出会いたいものだと思いました。この先生の返信文の写真も掲載されていますが名文です。
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■ お知らせいただきましたホームページを読みました。涙が溢れました。涙が流れ落ちました。と同時に、受験勉強が遅れるという苦情の電話。PTAのお歴々の抗議。校長、教頭、教務主任の苦悩。馬耳東風の名物先生。職員室の様子も目に浮びました。本当に、会ってみたい先生ですね。味のある先生はいなくなりました。個性のある先生も少なくなりました。A君の文章、先生の手紙、そして、感想集などすべてをプリントアウトして職場の仲間に見せました。いつ戻ってくるのか分りません。
◇ ホームページには菊地先生の読書会の様子が紹介され、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」をBGMにシュニッツラー作の「盲目のジェロニモとその兄」や、チャイコフスキーの「花のワルツ」をBGMにトーマス・マン作「トニオ・クレーゲル」を朗読された様子が描かれていました。感化されやすいのか、トニオ・クレエゲル(岩波文庫300円)を買ってしまいました。
■ 買いましたね、やっぱり。実は、近くの小さな本屋さんへ寄りましたが置いていません。翌日、大きな本屋さんへでかけましたが取り寄せと云われました。昨日の午後、北海道庁主催のマンション管理講座へ参加する途中で買えました。
■『青春の喜び悩み悲しみを美しく奏でた青春の歌である』。表紙にある解説を読むと、菊地久治先生の言葉が頭に浮びました。『きみたちに教えたのは愛なのです。どこまでも人への愛を忘れずにゆきなさいね』。なぜなの、こんなに夢中にさせるのは。
■ トニオ・クレエゲルを読み終わりました。表紙の『一少女との恋愛にも堪えられぬものだった』に期待して開きますと、その読みにくいこと。二度目は、学生時代に読んだ翻訳の口調が懐かしく、三度目でやっと恋愛じゃなく片思いとわかりました。
■『金髪のインゲ インゲボルム・ホルム』。この言葉だけでトニオの胸の高まりが理解できます。片思いの専門家の判断ですから間違いありません。日本人の名前じゃこうはいきませんね。菊地久治先生はどの部分を朗読されたのでしょう。菊地先生になりきって読み直してみました。
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■ その結果、岩波文庫版78ページの後ろから三行目『トニオ・クレエゲルは、水浴と足早な散歩のあとの・・・・』からと思いました。80ページの中ほどに『おずおずした甘い喜びをいだきながら・・・」とありますから、79ページ一行目の『インゲボルム・ホルムは、金髪のインゲは・・』という表現が、いかに大きな驚きであったか分ります。
■ おそらく、ここで菊地先生は絶句されたでしょう。窓の外へ目を移し胸の高まりに身を任せたでしょう。愛とは絶句、息苦しさを伴うことを生徒に伝えようとしたでしょうね。良い作品にめぐり合えました。A君にもお礼を申し上げます。
◇ 私もトニオ・クレエゲル読み終えました。途中一寸中断していましたが、13年振りに故郷に帰る50ページあたりから引き込まれ一気に読んでしまいました。30年近く訪れていない、幼稚園から学生時代を過ごした富山県の片田舎の風景を重ねて読んでいました。
◇ そしてチャイコフスキーの“くるみ割り人形”のDVDが有るのを思い出し、もう一台のパソコンで花のワルツを再生させながら菊地先生はどの場面を読んだのか、A君の記述を読み直しました。まさに、さすがです。推理通りだと思いました。久しぶりに良い読書をしました(^^)」
■ ウイーンフィルハーモーニーでカラヤン指揮の「くるみ割り人形」をはじめ、ずいぶん多くのレコードを持っていましたが、いまは一枚もありません。自作パソコン電源部のファンが、起動時にものすごい音をたて始めました。古くなったケースを取替え、ついでにマザーボードを更新してからDVDもつけようと考えています。クラシックのDVD盤を購入し、花のワルツを聞きながら菊地先生になりきれるのはいつでしょう。
◇ 今朝、NHKの中学生日記で、授業評価で先生を生徒が採点するという話題が有りました。こんなことをすると菊地先生のような方は居なくなるのかなと、ふと考えてしまいました。
カルローの愛、菊地先生の愛、A君の作品に滲む愛。「県立千葉高昭和43年卒業生同期会」のホームページより「菊地久治先生の思い出」へリンクさせていただきました。生徒の心の中に刻み込まれた菊地先生を尋ねてみましょう。また、「トニオ・クレエゲル」を読んで自分自身の体験を重ねてみましょう。
クリックで「菊地久治先生の思い出」へ移動します。
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4-2 仙台のJIさん
中学卒業から63年後、再びインターネットの「シュテルゼフ峠」で見知らぬ二人が出会いました。横浜のTDさんよりご紹介いただいた菊地久治先生、なんとその菊地先生の教え子とおっしゃるJIさんでした。
○ 仙台に住むJIと申します。千葉高時代の恩師、菊地久治の「朗読劇場」を書物にした際に、編集を担当した者でございます。千葉高から東北大に学んだあと、宮城県内で高校の国語教師定年、思わず菊地師の後を継ぎました。
○ この度、偶然にも表記の記事をWebページで発見しました。菊地師の朗読作品の一つであるアルトゥール・シュニッツラー『盲目のジェロニモとその兄』、何とその演劇化されたものだと分かり、驚いた次第であります。
○ また更に、同じく中学生の時にその作品を演じられた、横浜のD様とのやり取りの中で我が恩師の「朗読劇場」に話が及ぶ…何という奇跡的且つ演劇的展開!!
○ 早速、キクチ劇場を高一の胸に刻んだ旧友らにWebページを紹介報告させて頂いた次第です。受験教育と魂の教育といったテーマにまで言及して頂いた事、菊地師を偲ぶ我々同期生らには師の墓前に焼香頂いたようにも思えて感激一入にございます。
○ もしも差支えなければ上記本を進呈させて頂きたいと思います。思春期に名作との出遭いを演出、一生を貫く感動を与え得た師を持つことが出来た者同士として。
○ あなた様の学年を皮切りに以後何度も演じられたのに、『観客が啜り泣いたのはお前達の時だけ』と仰った先生にも敬意を表して!!よろしければ横浜のD様にもと思います。合わせてご住所等をお教え願えれば幸甚に存じます。
■ メールをありがとうございました。正直に驚きました。菊地久治先生の教え子であるJIさんとシュテルゼフ峠で出会えるとは信じられない奇跡でした。JIさんは菊地久治先生の影響を受けられ、教鞭をとられどのような思い出を教え子に刻まれたのでしょう。
■ 同級生のジュエロニモ役もカルロ―役もあの世へ旅立ちましたが、シュテルゼフ峠も菊地久治先生も私の心の中に生きています。改めて「菊地久治先生の思い出」をすべて読み返しました。そして、JIさんがまとめられた「菊地久治先生遺稿集」がどのような内容のものかと大変興味を抱きました。
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■ さらに、JIさんの「同窓の日々」を読ませていただきました。「居眠りにも礼儀がある」とのお言葉に目が留まり、説明会の際に時々実践していたことなので噴き出しました。以下は「同窓の日々」より転載しました。
眠たいとそのまま机に突っ伏してしまう最近の高校生。(さすがに殆どマンツーマンの今の学校には居ないのだけども)その彼ないし彼女を起こして、私は穏やかに言う。
「君ネェ、教室では居眠りの作法というものがあってね、せめて片肘ついて親指を頬骨、他の四本を額に置いて教壇から眼を隠し、教科書に視線を落としているように振舞うもんです。居眠りにも礼儀というものがある。それが出来なければ、欠課にしてあげるから保健室なり家に帰るなり自由にしなさい。」
■ JIさんには視野/脳内狭窄とのことお見舞い申し上げます。私も78歳となり様々な持病を抱えても元気です。菊地久治先生の思い出を教えてくださった横浜のDさんへJIさんのメールを転送して、メールアドレスをお知らせしてもよろしいか照会中です。
◇ お久しぶりです。今日は久々に30℃と涼しくなりました。札幌はいかがでしょうか。コロナは神奈川も東京と並び患者の報告が止まりません。ジムとカラオケも通っていますがどうにか罹らずにいます。
◇ シュテルゼフ峠の件から菊池先生の話題になったのは18年前の事となりますね。メールをいただいて驚きました。YOさまのHPが凛と存在するお陰ですね。そのご縁にあやかってお言葉に甘えようと思います。
■ ご紹介しました仙台市のJIさんへTDさんの情報を連絡しました。どのような資料が届くのか分かりませんが18年前の「菊地先生」がよみがえるのが楽しみです。TDさんもお体をご自愛ください。
○ シュテルゼフ峠の出会いをご縁にこんな本をお送りすることになりました。半世紀以上前の教室の想い出をもとに、素人集団が作り上げた旧師の本です。
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○ シュニッツラーの『盲目のジェロニモとその兄』の376ページあたりからでもお目通し頂ければ幸いです。ちなみにA君こと中・高・同期生MS君(ただいま群馬県の施設にて車椅子で療養中)の小説的再編ですが、同期生一同すっかり罠にはまりました。
○ YOさまの嬉しい反応にMS君から喜びのメールが参りました。在庫管理のYT君からもたくさんの人に読んでいただけるのが嬉しいとのことでした。取り敢えず横浜のTD様にもお送りいたします。
■ 昨日、『永遠の朗読劇場428ページ』が届きました。ありがとうございます。山折哲雄氏命名の「少年探偵団」のご活躍に敬意を表します。さっそく朝から菊地劇場にどっぷり浸っています。まさに虎は死して皮を残す、人は死して名を残す。菊地久治先生の授業を受けられた皆様方がうらやましいかぎりです。
■ 永遠の朗読劇場の第Ⅳ部と第Ⅴ部を読み終わりました。皆さん、さすがに菊池久治先生の教え子ですね。読みやすく、在りし日の先生のお姿が浮かび上がってきます。362頁の嶋田正文さんの言葉を借りると、醜悪ともいえる八十歳近い私の目にもインゲボルムの姿が浮かびます。
■ おそらく、皆さんの脳裏にはトニオ・クレーゲルの背景にある、金髪のインゲが強烈に焼き付いたのではないでしょうか。JIさんご指摘のようにトニオの目を通して、菊池先生は人を愛することの大切さを教えたのです。強烈な印象を多くの人に残した作品に出合えて幸いです。
■ 私にも高校時代に強烈な印象を受けた小説がありました。小学生の時に拾った野良犬にジロと名付けて飼っていたので、ジャック・ロンドン原作「荒野の呼び声」のバックにジロの生き様を重ねてワクワクしながら読んでいました。翻訳本を見つけたのですが、いまだに英語は分かりません。
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○ ご多忙の中、菊地本熟読頂き有難う存じます。本日、館林市の嶋田君より電話がありまして、札幌と横浜のお二人、特に山崎さんのご感想、詳細をお伝えしたところ、大変喜んでいます。これまでに何冊か小説を自費出版している彼、具体的な反響は今回が初めてかも知れません。
○ Jack Londonの“The Call of The Wild”ですね、私も昔獣医になった友人から勧められた本でペーパーバックを入手したものの翻訳で読了!今探したら翻訳版はどこか紛失してましたが、殆ど手付かずで日焼けしてしまったPBを発見。当時のワクワク感の思い出のご縁に写真添付しました。
◇ 当方にもJI様から「永遠の朗読劇場」が届きました。重量感あふれる装幀、探偵団の皆さんの編集、いずれも素晴らしく、菊池先生への最高の贈り物ですね。このような力作を見も知らずの他人に無償で贈呈して頂き感謝するばかりです。
○ 横浜の田悟さんからは私にも、本到着のご丁寧なメール拝受しました。館林市のA君からの連絡ですが、彼の最近作にて「回文」の本をお送りした由、本日お手許に届くかとのこと。A君ことMSさんの現在をご覧頂ければ幸いです。
教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に、なお残っているものをいう。(アルバート・アインシュタイン 1879~1955年)
県立千葉高昭和43年卒業生同期会「菊地久治先生の想い出」に、板見潤一さんの「シュテルゼフ峠での邂逅」が掲載されました。
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4-3 館林市のMSさん
中学卒業から63年後、横浜のTDさんよりご紹介いただいた菊地久治先生、その菊地先生の教え子とおっしゃるJIさんの同級生、館林市のMSさんよりスマートレターが届きました。開封すると文庫本で『回文撰歌 どこまで詠めるか 言葉あそび徒然草251ページ』と手紙が入っていました。
△ 初にお便りいたします。仙台のJI君より先日来水魚の交わりのごときメールをいただき当方も感激、失礼なこととは思いますがご笑納いただければ嬉しい限りです。贈呈させてください。本来ならくわしく述べたい思いも、体の都合上かないませんので、乱筆を平にご容赦を。
■ MSさん、回文撰歌をありがとうございました。MSさんの作品の中で私が特に好きな歌は「虫たちが幽かに鳴き出すのは初夏真っ盛りのとある晩」に読まれた『翅の滲む蒸す時あるが夏の世のつながる秋と澄む虫の音は(はねのしむむすときあるがなつのよのつながるあきとすむむしのねは)』でした。
■ また、「脂身が薩摩焼酎に合うと」して、『盛りて飲み待つ手に見舞う蒸した豚しむ旨味みにて摘まみの照りも(もりてのみまつてにみまうむしたぶたしむうまみにてつまみのてりも)』。思わず「そうだ!そうだ!」と手を打ちました。
■ さらに、「初孫にべた惚れ」としてほのぼのとした情愛が感じられる『もう恋や待つ手に拝め息子の児澄む目顔にて妻や憩うも(もうこいやまつてにおがめむすこのこすむめがおにてつまやいこうも)』も、秀作と思います。
■ 回文を読ませていただき、MSさんには和歌の素養があると感じました。お体がご不自由のようですから、これまでの経験を通して和歌を詠まれてはいかがでしょう。和歌の場合は芭蕉のように『松の事は松に習え、竹の事は竹に習え』ではないのです。
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■ 有名な『田子の浦にうち出でてみれば白妙のふじのたかねに雪はふりつつ』は、肉眼では見えるはずがないので創造と分かります。『かささぎのわたせる橋にをくしものしろきをみれば夜ぞふけにける』、かささぎの橋は伝説なのでこれも創造です。
■ ちなみに、私が詠んだ俳句の中で最も好きなのは『邯鄲(かんたん)の声に盛夏の去るを知り』という句です。MSさんの今後の作品を楽しみにしております。秋も深まりますのでお体をご自愛ください。
「回文]とは始めから(通常通り)読んだ場合と終わりから(通常と逆に)読んだ場合とで文字や音節の出現する順番が変わらず、言語としてある程度意味が通る文字列のことで、言葉遊びの一種である。
竹屋が焼けた。確かに貸した。塀のあるあの家(いへ)。などのように上から読んでも下から読んでも同じになる文句を回文と言う。もっと短い単語では、アジア、トマト、スイス、シンブンシ(新聞紙)、ヤオヤ(八百屋)などが回文である。
NTTレゾナントに回文のランキング1位から10位が掲載されている。① 世の中ね、顔かお金かなのよ ② ん、どうしよう…よし!うどん ③ 来てもよい頃だろ、来いよモテ期! ④ イタリアでもホモでありたい
⑤ 住まいは田舎がいい、森と日溜まりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内はいます ⑥ なんて躾いい子、いいケツしてんな ⑦ 弱いわよ、阪神は、弱いわよ ⑧ ダメ男子 モテ期が来ても 死んだ目だ ⑨ 野茂のものは野茂のもの ⑩ 旦那もホモなんだ
十位に入れなかった作品にも面白いものがある。任天堂がうどん店に。私、負けましたわ。まだ恋し仲は遠のきて、消えた言葉と答え、汽笛の音は哀しいこだま。長き夜のとをの眠(ねぶ)りの皆目覚め浪(なみ)乗り船の音のよき哉(かな)。世の中バカなのよ。
内科では薬のリスクはでかいな。鉄火丼こんど買って。素でキス出来んほど本気で好きです。鯛焼き焼いた。死にたくなるよと夜泣くタニシ。泣いたけど、遠いあの子にこの愛を届けたいな。崖を落ちた子猫たち大怪我。
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