1 神威岬
その一
水平線のかなたに龍飛岬を望める。うしろにそそり立つ大千軒岳はいまなお雪に包まれていた。一年の三分の一は吹雪に明け暮れる北の地、アイヌの楽土であった蝦夷はニシンの群来(くき)で春を迎える。見わたすかぎりの海をうめつくすニシンの群れは、蝦夷の地に春をつげる。そして、人々は今年もやってきた。
波は白いあわをかんで白神岬を洗いだし、しだいに強くなる風に津軽の海は荒々しく吠え狂い始める。豪々と轟く海鳴りに、いろりを囲む女達は身を寄せ合って青白くなった顔を見交わす。心配は心痛を呼び寄せるのだろう。海がシケはじめると女達は、いつもかならず同じ不安をいだいた。忍路の海も荒れているのだろうか。うちの人はどうしているかしら、と。
守り役の老人が口をひらいた。「今夜もオカムイさまぁ、荒れてござる。なに、そげに心配せんでもええ。おめえらのとっつあま、でえじょうぶだ」「ほんに、でえじょうぶか、ね」「でえじょうぶ。でえじょうぶだとも。いまにウロコだらけになって、けえってくるよ。こんなのは漁師にとって、シケのうちにゃへえりゃせん」
昔は大船頭であった老人の言葉にホット胸をなでおろした女達は、白い湯気の立つ甘酒をすすりはじめた。別離と不安にくわえ、厳しい寒気にさいなまれる体に生気が甦る。
からだが暖まってくると、「じっさま、ツコタンは本当に女人禁制なんかい」「うんだ。わしらはなんで忍路へ行けんとよ」「女人禁制なんて、だれが決めたんじゃろ」「わてら女が北さ行って、なにが悪いんよ」
女達は日頃の疑問を老人になげかけた。「そりやぁ、チャレンカの呪いじゃ」「チャレンカ」「うんだ。ツコタン(積丹)のはしを神威岬ちゅうこたぁ知ってんべ。この岬を越えにやぁ忍路さゆかれん。じゃがな、神威岬は女人禁制なんじゃ。
どげんしてもシャモ(和人=日本人)の女は通してもらえん。チャレンカが呪っているんじゃ」「じっさま、チャレンカってだれなんよ。どげなことがあって、シャモの女を通さんのじゃ」
共白髪を誓った夫婦でありながら、この蝦夷の厳しい寒さに耐えてなぜ別れ別れに暮さなければならないのだろうか。忍路まで海路三日の航程である。漁師の妻達は夫を慕い、漁師たちは妻をなつかしむ。松前追分にいまなお残る「忍路高島およびもないが、せめて歌棄、磯谷まで」。悲しい唄のひびきはなにを物語っているのだろう。
そのニ
漁師の妻たちは古老の口もとを見つめた。もう80に手がとどく守役は、いろりに新しいまきをくべるとぽつりぽつりと語りはじめた。「チャレンカは美しいアイヌの娘じゃった。」
むらさき色の春がすみは ヌプリ(山)をつつみ
細長くコタン(村)に尾をひく
夜通し待ち続けたレンカウクの耳に
たかく ひくく
赤子の泣き声がとどいた
おんなじゃ 元気な おんなの子じゃ
コタンの女たちのざわめきに
40をすでに超えたレンカウクは踊りあがった
初めての子 初めての子が生まれた
朝もやにつつまれた森や林に 喜びの声がひびく
フチ(老婆) イフミヌは叫ぶ
ウタリ (ひとびとよ
ウホプンパレ ワ 立ち上がれ
ウリムセレ ヤン みんなで踊れよ
アー ホイヨー」 あー ほいよー)
男も女も 輪をつくり
新しく生まれた子のために踊った
喜びと 祝福と 未来に幸多かれと
女の子は チャレンカと名づけられた
酋長レンカウクの長女である
その三
ことしもカリムパ(エゾヤマザクラ)の花が、コタンをうめつくした。クナイペ(福寿草の花)に笑みをもらしたチャレンカは、クナウ(タンポポ)で首飾りをつくるまでに成長していた。そろそろまなびのとき。生きてゆくうえに大切なことをハポ(母)は教えはじめる。
チャレンカ チャレンカ 私のチャレンカ
カムイコタンへ ゆくんじゃないよ
こわい神さま かならずおって
おまえをがけから 落としてしまう
カムイコタンは 悪魔の里よ
カムイワッカを 飲んではいけない
悪い神さま 流した水は
おまえのおなかを こわしてしまう
カムイワッカは 毒の水
飲んではいけない 毒の水
チャレンカ チャレンカ
かわいい チャレンカ
ペツ(川)は 海から上っていって
陸の奥へと 進んでゆくの
途中で子供(支流)を たくさんつくり
山の奥へと 入ってゆくの
アベウチカムイは 火の女神
シランパカムイは 森の神
ワッカウシカムイは 水の神よ
オノミカムイ(祭祀神)を
おまつりしましょう
カミアシ(悪魔)たちは 逃げてゆく
夏になると時折一日中風が吹き荒れて、夕方には一時吹きとだえることがある。幼いチャレンカは小首をかしげた。
アチャ アチャ(父さん 父さん)
夕方になると なぜ風がやむの
さっきの風はどこへ行ったの
チャレンカ チャレンカ 可愛いチャレンカ
風もやっぱり生きものさ
夕方には家へ帰り
食事をするんじゃ 奥さんと
大風が吹き荒れるとレンカウクは叫ぶ。「レラ シキ オー」と、いろりの灰をつかんで空へと投げる。
アチャ アチャ
なぜ 灰を空に投げるの
チャレンカ チャレンカ 可愛いチャレンカ
風の神が みんなをこまらせるか
イワトペニ(ヤマモミジ)の葉が色づくころ、コタンのウタリは悲しみにつつまれていた。悲痛な泣き女達の声に送られて、エシカ(長老)はよみの国へ旅立った。煮物を食べながら酒を飲み、そのしずくを床にたらす男達。初めて見る儀式に、チャレンカは母の手をひいた。
ハポ ハポ(母さん 母さん)
とうさんは なにをしているの
いろりの火をかきたてて
あんなにまきをいぶらせて
わたしのチャレンカ とうさんはね
死んだエシカがまよわずに
きっとあの世へ行けるよう
長い道の かどかどを
ちゃんと照らしてもらえるよう
お願いしてるの 火の神に
その四
ヌプリにウパシ(雪)が積もり始めた。チロンヌップ(きたきつね)やイヤッポ(うさぎ)が飛び跳ねる。日ごとに美しくなるチャレンカは神々の言葉を学び終え、自然の厳しいおきてに従いながらすくすくと成長していった。コタンのウタリや両親の愛にはぐくまれて、もうすぐ16の春を迎える。そんなチャレンカを、いつしか、だれもが、ピリカメノコとうわさした。
道案内のアイヌを先頭に二人の武士は平取村へと使者にたった。勇払原野をぬけて日高の入口、沙流川へ着くころには日が中天にかかりはじめている。川添いの細い道を歩きながら年嵩の男が話かけた。
「蝦夷は広いのぉ。秀衡さまが云われたとおりじゃ」
「この蝦夷を平定すりゃ、頼朝はどうにもなるまい」
「これ、頼朝などと呼び捨てにしてはいかん。たとえどうあろうと、おやかたさまの兄上じゃぞ」
「わかった、わかった。だが、腹わたが煮えくり返るわ」
「腹が立つのはわしかて同じじゃ。おぬし、泰衡のうわさを耳にしたか」
「あのうらぎり者め。いまに天罰が下るわい」
「知らんと見えるな。泰衡は死んだよ」
「げえっ、そりゃいつのことだ」
「昨年10月のことよ。なんでも頼朝殿の軍勢に藤原氏は根絶やしにされたそうな」
「やれやれ、おやかたさまをうらぎったやつがそそのかした者に討たれるとは。早目に蝦夷へ渡って良かったのう」
「それよ、おやかたさまは運の強いお方じゃ」
藤原秀衡はその子泰衡・国衡らに義経を大将として結束すべきことを遺言したが、秀衡の死後頼朝の圧迫に屈した泰衡は平泉の館「持仏堂」を襲った。時に文治5年(1189年)4月30日、不意をつかれた義経は影武者にあとを託しわずかな手勢と共に蝦夷へ落延びたのである。「大日本史」にいわく。
世に伝う。義経は衣川の館に死せず、逃れて蝦夷に至ると。いわゆる義経の死した
る日と、頼朝の使者、その首を検視したる日と、その間へだたること43日、かつ
天時暑熱の候なるをもって、たとえ醇酒にひたし、またこれを函にすといえどもこ
の大暑中、いずくんぞ腐爛壊敗せざらんや。また誰かよくその真偽を弁別せんや。
しからばすなわち義経死したりと偽り、しかして逃走せしならんか。
義経逃走よりわずか2ヶ月、藤原泰衡は大軍を率いた頼朝に敗れ、腹心の部下にその首を討たれた。
骨肉をはむ戦いをのがれて蝦夷へ渡った義経は、翌年雪どけを待って内裏湾に沿って日高へと向かった。蝦夷地平定のために大酋長レンカウクの助力を必要としたのである。夕日が勇払の原野を赤く染めるころ義経は平取に着いた。純朴で親切なアイヌ達はこの美貌の武将を心から歓待した。レンカウクは自分のチセ(家)の一部を義経に提供し、身のまわりの世話をチャレンカにまかせチャレンカも喜んで引き受けたのだった。雨が降り始めるとチャレンカは小川にそって唄いながら歩く。
シロカニペ (銀のしずく
ランラン ピシカン 降れ降れ まわりに
コンカニペ 金のしずく
ランラン ピシカン 降れ降れ まわりに)
いつのまにかチャレンカの小さな胸のうちに義経に寄せる思慕の情が芽生えはじめ、やがて大きく育って恋心となり、素朴ながらも身を焼く激しい愛がはぐぐまれていった。
コタンきってのピリカメノコの親身も及ばぬ心づくしは、血肉を分けた兄弟の争いに傷ついた義経の心をなぐさめた。チャレンカは義経のおぼえめでたき存在となったが、娘心を察するゆとりのない義経は遠い故国に残したままの妻子に思いをはせていた。
その五
静は雪深い吉野山で泣きはらしていた。今日かぎりで再び逢うことはかなわぬと自らの心にいいきかせながら、義経は静の肩をやさしくいだき「気をつけて都へ行け。この悲運も長くはあるまい。またの日もきっとある。身をいとおしんで良い子を生んでくれ。わしとてもこのまま朽果ててなるものか」
わずかばかりの砂金と形見の鏡を渡したときの、静の手のぬくもりを義経はいまも覚えている。みごもっていた静と別れて早や5年、子供は4歳になっているはずである。一日も早く蝦夷地を平定して頼朝へ献上することにより、許されて都へ帰えりたいものと義経はあせった。生前、藤原秀衡は「蝦夷地全土を征せんとせば、まず大酋長を説け」と言い残した。その言葉を杖とも柱とも頼み義経はレンカウクを必死に説いた。
だが、大酋長レンカウクは動かない。蝦夷地は平和であった。争い事もなくアイヌたちはそれぞれのコタンで幸せに暮らしていた。同情に値する悲運の武将のためとはいえ、親交厚き秀衡の縁につながる者であっても、なにを好んでシャモにこの土地を渡さなければならないのか。神々よりたまわり、遠いシンリツ(先祖)から受けつがれてきた蝦夷はアイヌの土地である。この地は守らねば、守りぬくのがレンカウクの使命といえよう。レンカウクは微動だにしなかった。
焦燥にかられる義経のもとに、鎌倉をさぐりに行った伊勢の三郎が追いついた。心まちにしていた肉身のようすを伝え聞く義経の目に光るものが宿った。
義経とともに京の都より身をかくしてのがれ、雪の吉野山で進退きわまり血の涙を流して別れた静はほどなく山僧の一団に囚われて鎌倉へ送られた。勝利の美酒に酔った将軍頼朝は、静がもと京の白拍子(舞姫)であることに気付き、反逆者へのみせしめとして身重の体に舞を強要したのである。
耐え難い辱しめに静は吉野山での別れにさいし、このように悲しいことも長く続きはしない。また逢える日もきっとあろうぞと義経の残した言葉を信じ、その言葉にゆく末を賭けて舞踊った。好奇の目をみはる勝者らのまえで静は舞ながらおのが心のうちを歌にたくした。
しずやしず しずのおだまき くりかえし むかしをいまに なすよしもがな
吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにしひとの あとぞ恋しき
あられもなく泣き叫ぶ姿を思い浮かべていた頼朝は怒り心頭に達した。辱しめは、辱しめを強要した者へ戻ったのである。静の子が生まれ落ちるやすぐさま取りあげて鎌倉を追放し、その子は石をいだかせて由比ケ浜の海中に沈めてしまった。
この報を聞き終わるや義経は烈火のごとく怒った。あの平の清盛といえども子供に哀れみをかけたというに、腹違いとはいえ実の弟の子を殺すとは。あまりの悲惨な出来事に部屋へ閉じこもった義経は終日いまはなき我子の菩堤を弔いつづけた。
そして、決断のときがきた。我子を殺されてはもう兄者でもあるまい。このうえは蝦夷地を平定献上したとてなんになろうぞ。蝦夷はアイヌのもの、わしは大陸へ行く。聞けば大陸は広大無辺の大地という。
義経の動きは常に迅風迅雷であった。ひとたび断を下すや、大酋長レンカウクに厚く礼をのべ、「やよ、みなのもの。われにつづけや」
一族わずかに二十余名。義経の号令一下、山を越え、沼をわたり、つたやかずらに足をとられながらも北進した。大陸にみはてぬ夢をはせながら一路ツコタンの浜をめざしたのである。
その六
そんなこととはつゆほども知らず、チャレンカは伯母の看病にあたっていた。父レンカウクの命に抗しえず、遠くはなれた様似のコタンで恋しい人を夢見ながら、月の満ち欠けに日をかぞえていた。
早く帰えりたいと心急き、夜の目も寝ずに一心不乱の看病を続けるチャレンカの姿に、なにも知らぬコタンの人々は驚嘆の声をあげていた。この看病にさしもの病魔も退散し、日ましに快方へ向かいはじめた伯母はチャレンカの胸のうちを感じ取って、明日は帰るようにと勧めるのであった。
伯母のもとよりもどったチャレンカは、10日も以前に義経が出達したことを知り愕然とした。しかし、それらしき感情を現わすことなく、伯母のようすを両親に報告すると、旅の疲れもともなって深い眠りについた。
どれほど恋に身を焼こうとも、慕い、恋し、愛したとしても、アイヌとシャモは結ばれることはありえない。たとえ酋長の娘であっても、許されることがないアイヌのイレンカ(おきて)がよこたわっていた。
しかし、アイヌの厳しいおきてもチャレンカの心を引き止めえず、日毎夜毎にうずく心は小さな胸をかきむしり、ついにはウウエウェン(恋)がすべてとなって燃えはじめるのであった。
朝の食事がすむとコタンの娘達が集まってきた。ウバユリの根が大きくなっているのでヌプリへ行こうとのさそいに、チャレンカは目を輝かせてうなずいた。久しぶりの出会いに娘達の話はつきなかったが、ヌプリにつくとわれ先にユリ根を求めてちっていった。だれが一番肥えた大きな球根を手にするか、きそい合うのが常であった。
昼を少しまわったころカゴいっぱいの球根を手にした娘達は、最も大きなものをくらべ合いながらチャレンカの帰えりを待つ。だが、いつまで待ってもチャレンカはもどってこなかった。林の中をさがしまわった娘達は、行くてに広がるカムイコタンを見た。
チャレンカはその先へ迷い込んだのだろうか、真新しい足あとが残されている。娘達がコタンへかけもどり両親に知らせたときには、日も山の端にかたむき夕やみがせまっていた。
チャレンカは夜になっても戻ってこない。コタンは騒然となった。多くの人命を奪った交通の難所カムイコタンは、危険な悪魔の住む里という。昼なお暗きカムイコタンへ6人の屈強な若者達はチャレンカの足あとをたどった。
赤々と空を焼くタイマツを手に夜通し続いた捜索のかいなく、チャレンカの姿を発見することができなかった男達は風のために吹き消されてしまった足あとを歯ぎしりする思いで探し続けた。
二日目の夜に入ってレンカウクはコタンの老占者イフミヌを呼んだ。息をこらして見守る両親を前にイフミヌは神々にヌサ(御弊)を捧げる。真夜中、心気をこらしたフチ(老婆)はチャレンカの登ったヌプリと一体になった。
ふもとにあたる膝のところに娘達の足音がしてまもなく、腹にかけてガサゴソとユリ根をさがす足音が感じられる。だがそれとは別に、とまどうことなく一直線にカムイコタンへ向かう足音がひとつあった。チャレンカに相違ない。
イフミヌは足音について、山から川、川から砂地、そしてまた山へと追い続けた。しだいに早くなる足音は幾人も人命を奪った難所カムイコタンを越えてゆく。全身油汗にどっぷりとひたって心気をこらすイフミヌの感覚は、ついにチャレンカをとらえた。
月の光に照らされて鹿のように野原をかけるチャレンカ。鳥のように峰々を渡り、サケのように滝を乗り越え、果なき平原をチャレンカは走る。走る。走る。
ツコタンの海はゆっくりとうねっていた。絶好の船日和。帆いっぱいに風をはらんではるか沖を義経一行を載せた軍船が進む。夕日を受けて源氏の白旗が風にはためき、まだ見ぬ大陸に無限の夢をはせて波を押し分けてゆく船をチャレンカは見た。
無我夢中でひときわ高い岩の上によじ登ったチャレンカは、真っ赤に燃える落日の中に消えようとする軍船に届けとばかり声をふりしぼった。
「義経さまー、わたしもつれてってー。連れてって、義経さまーあ」
その七
悲痛な叫び声は山々にこだまし、波の打ち寄せる音すら声を忍んだ。呼べど叫べど船はしだいに遠ざかり、ついには水平線のかなたへ吸い込まれる。地だんだを踏む足は傷つき岩を染めて鮮血が流れていた。
力尽き果てたチャレンカは、声も涙もかれはてへたへたと岩の上にくずれおちた。夕やみが神威岬を包みはじめる。失意のふちに沈んだチャレンカの胸にひとつの疑惑が走った。
義経さま。どうして、わたしをおみすてに。どうして、どうして。なぜ。
その時「静」という名がチャレンカの心をよぎった。シャモの女「静」が義経さまとの仲をさいたのでは。憎っくき、シャモの女め。義経さまは私のもの。たとえ、後を追ってきてもここから一歩も通しはせぬ。チャレンカの小さな胸は張り裂け、激しい恋は失意を超えて疑惑を呼び、疑惑は憎悪と化す。
神威岬に静寂が襲った。木々の小枝を打つ風の音も、わずかばかりの砂浜に打ち寄せる波の音も、家路を急ぐ小鳥の羽音、秋の夜長を鳴きとおす小さな虫にいたるまですべてのものが息をひそめた。
憎悪は炎となる。蛇の舌のようにチロチロと息づいた炎は狂気の力をかりてしだいに渦巻き、火柱となって一気に背骨を駆け上った。狂気は憎悪をあおり、憎悪は狂気によってすさまじい呪いと変じ、呪いはチャレンカの口より吐き出された。
シャモの女め、この岬をとおらば滅せしむ。命をとらずに、おくべきか
チャレンカの喉が裂けた。口から滝のように溢れ出た血は胸を染める。そして、虚空に身をおどらせた。哀れ泳ぎを知らぬチャレンカはなおも恋しき義経を追った。
身は虚空を流れ落ちる。海水とまじわる一瞬、呪いの炎は肉体より分離した。呪いは風を呼ぶ。風は雲を呼び、雲は雷鳴を誘う。雷鳴は豪雨を呼び、豪雨は風に従う。呪いは自然を変えた。
ごうごうと猛り狂う烈風の中に雷光が走り、耳をろうするばかりの大音響がとどろく。大浪は逆巻き、白いあわをかんで切り立った岩壁に打ち砕け、虚空に無常の飛沫を散らす。天を引き裂くいかづちはごう音を残して、岩壁にへばりつく松の老木を火とかえた。
大地は不気味なめい動をくり返し、波が裂けるとみるまに海中より岩がせりあがる。美しき神威岬は呪われた岬と化した。
「神威岬の突端にゃ、まるで女の立ち姿のような岩がいまも沖をにらみ続けているんじゃ。
アイヌ達でさえこん岬を舟で通るときにゃイナウを捧げてチャレンカの霊を慰め、わしらも変りのワラ人形を流して怒りをしずめるんじゃ。
そうよな、岬を通る男たちにゃあの血を吐くような叫び声がいまも聞える。チャレンカは岩になったんじゃ。岩になってシャモの女を呪っているんじゃ」。「じっさま、そげなことがあったんかい。チャレンカはかわいそうな娘じゃねぇ」「どう、成仏できるようにみんなで祈ってあげちゃ。チャレンカもわしらも同じ女じゃ」
「うんだうんだ。みんなで祈ってやれ。おめえらもチャレンカも同じ苦しみ味わってんじゃ。早くとっつあまに逢えるよう、忍路さ行けるよに祈るんじゃ。いつかは解ってくれる。わかってくれるともチャレンカは」
暁まえの忍路港。まばたきもせずに輝いていた銀河はしだいに光を失い、明けの明星が取り残された。大気は凍てつくまでに冷えきり、すべては静寂につつみこまれていた。龍が岬に立つ影が動いた。けたたましい鳴声をあげながら、カモメが舞いあがる。と、うすぐらい水平線に無数の銀鱗が踊った。群来(くき)だ。
ニシンが 来たぞーぉ
大船頭の声に朝が明ける。蜂の巣をつついたかに騒然となる飯場より、網をかかえた漁師達は沖をのぞむ。見るまに白くなるツコタンの海に数の子と白子を押し分けて舳先(へさき)が走る。後志(しりべし)の浜に網起しの唄が流れ、ニシン釜より立ち登る煙は日の光をさえぎった。
そして、終日耳にした唄声がやむころ、宵の明星が星々をいざなう。白くにごったツコタン(積丹)の浜辺に北斗七星が青白い光をなげかけるころ、丸太のように腫れあがった手足をもみほぐしながら漁師達は、薄い布団にふるえながらもうたかたの夢をまどろむ。
北の海は荒れやすい。なぎを願うことにもあきはてた若い漁師たちは、つくろい終わった網をまえにして遠い松前に思いをはせる。シケが続くと漁師達は、だれもが同じ思いをいだいた。この忍路や、となりの高島までとはいわねぇ。
せめて、歌棄か磯谷までオッカアをつれてくることができたら。こんなシケの晩にゃ、逢いにゆくことができるんだが。
松前追分が、今日も聞こえる。「忍路高島およびもないが、せめて歌棄、磯谷まで」。(1979年昭和53年11月作)