1 喜びの種
平成元年の師走も押し迫った御用納めの日である。小さな子供達は宿題の量に驚き、与えた側は課題のない自宅研修に熱中していた。すこし早いけどあとは頼むよと言い残して管理職が帰ると、ガランとした職員室に静寂とわたしだけが残った。
自分の管轄と決めている事務机と椅子、書戸棚やキャビネットを拭き終わって煙草に火をつけたときである。心を乱すかのように電話のベルが鳴りひびいた。
全事研北海道支部長の声が聞こえる。「第22回秋田大会のことだが、例年どおり全事研本部が一分科会を担当し、東北五県が五つの分科会を構成することになった。秋田の準備委員会は七分科会構成を希望し、北海道支部に協力を求められたので引き受けることにした。研究発表は札幌が担当してほしい」。
冗談を言わないでください。それじゃ第20回の東京記念大会のときと同じでしょ。もういやです。「そう言わないで、札幌は大都市なんだから大丈夫。引き受けたんだからお願いします」。できません。東京大会のときは、北海道支部長の顔を立てて全事研会長の夢を実現させてほしい。研究発表には全面的に協力するといわれましたが、だれか手伝ってくれましたか。全部札幌に押しつけて知らぬ顔じゃないですか。「将来全事研の北海道大会をやるときに、東北は三分科会を持ってくれることになっているから秋田大会を引き受けないわけにはいかない。札幌が担当すると報告してあるから、今後は秋田市の指示に従ってほしい。それじゃ、頼んだよ」。
当時の札幌に全事研の会員はわたしひとり。第20回の東京記念大会前に25名をかぞえた会員はもういない。打ち合わせ会のときに会費と支部費を集めて送金していたが研究費は札幌会員の個人負担。大会が終わってしまうと集まる意味がなくなり、ひとり、また一人と去っていった。
研究集録用原稿に問題はない。秋田市へ送付してよいと支部長から電話がきたとき、わたしは最後の手段を取らざるを得なかった。札幌に一人しかいない会員は原稿を書きました。そちらには札幌の数十倍の会員がいるのですから提案者と司会者はあなたのところからだしてください。わたしは秋田大会に参加する予定はありません。
言い終わると同時に受話器をおくと胸がスッとした。一度はやってみたいと思っていたせいだろうが逆の立場にはなりたくない。居酒屋の酒はいつになく滑らかに喉を流れおちる。身も心もあたまのように明るくなって出勤したら支部長が夜行でみえられた。午後2時の会議に間に合うよう外勤しなければならず、こうなったら取引しかない。
他の分科会とのバランスがあるので、提案者と司会者は各二名必要ですからあなたのところで一名ずつをだすなら考えなおします。また、あなたは研究協力者として壇上にあがり、参加者から質問があった時はあなたの学校で実施している文書の管理方法をご紹介いただけますね。
北海道大会が実現したときの準備の進め方や、注意すべき点をまなんでくるよう指示され秋田市には一週間も滞在した。多忙な中にもかかわらず、野口良孝準備委員長さんをはじめ準備委員のみなさま方は各種会議へのオブザーバ参加も許可され、快く貴重な情報をこと細かにご教授くださった。改めて厚くお礼申し上げます。
前日までに地酒と料理の美味い居酒屋の下見をおえ、到着した仲間と共に会場へ足をはこぶ。市街の中心部にそびえ建つアトリオンと呼ばれる秋田県総合生活文化会館は、一度も使用したことがないという大会場のステージから重厚なパイプオルガンが私達を見下ろしている。支部長が予約した警察の寮で簡単な打ち合わせをして、すばらしい会場を用意してくださった秋田の仲間に感謝しながらはやばやと床についた。
情報公開制度への対応、札幌市における検討の軌跡と題したVTR映写と発表が一段落して、質疑応答になると研究協力者に質問がむいた。「支部長さんの学校でも、このような方法で文書を管理されているのですか。」「いえ、私のやりかたとは根本的に違いますからこんな方法はとっていません」。
翌朝早く帰られるとわかった支部長に、慰労会のあとは宿舎へ戻って北海道大会の準備をどうするか7時頃からみんなで話し合う了解をえた。応援に駆け付けてくれた札幌の仲間達は、大会誘致をどの程度望まれているのか直接伺いたいと福岡からの仲間も誘って合流する。十分に下見をしておいた居酒屋に着いたときに、挨拶をする方も釧路の方々の姿もない。それでもまだ信じるのかとの声を背中で聞きながら、タクシーを急がせて宿舎へすべり込んだのは約束の二分前。しかし、朝帰りのご一行は相談はおろか食事も取らずに出発した。
秋田駅そばの広場に折畳み椅子が並べられていた。催し物会場らしいが腰掛けている人は少ない。わだかまりが解けない私達はうしろの席にガックリと腰をおろした。カラクリ時計の除幕式が始まり、紅白の餅をいただいても心は晴れない。むくわれることのない努力を積み重ねた姿を神々はご照覧くだされた。私達を記憶された神々は東北の地に喜びの種をまかれたらしい。
ときは流れて心に安らぎが戻ってきた平成3年の11月、八戸市学校事務研究協議会の齋藤力会長より電話をいただいた。「八戸の研究責任者が秋田大会の研究集録を読み直して感激し、ぜひ札幌市立学校の文書管理を視察したいと希望しています。八戸市でも情報公開条例の検討がはじまるので、文書管理の状況視察団を受け入れていただけないでしょうか」。