はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第13章 神々の贈り物

文書管理の改革を目指した八戸市学校事務研究協議会の取り組みをリアルタイムで、月刊専門誌「学校事務(学事出版)」の平成7年12月号から平成8年11月号まで連載したときの生原稿。その後の追加も含め、教育現場であるべき姿を求めた努力の軌跡です。

1 喜びの種

平成元年の師走も押し迫った御用納めの日である。小さな子供達は宿題の量に驚き、与えた側は課題のない自宅研修に熱中していた。すこし早いけどあとは頼むよと言い残して管理職が帰ると、ガランとした職員室に静寂とわたしだけが残った。

自分の管轄と決めている事務机と椅子、書戸棚やキャビネットを拭き終わって煙草に火をつけたときである。心を乱すかのように電話のベルが鳴りひびいた。

全事研北海道支部長の声が聞こえる。「第22回秋田大会のことだが、例年どおり全事研本部が一分科会を担当し、東北五県が五つの分科会を構成することになった。秋田の準備委員会は七分科会構成を希望し、北海道支部に協力を求められたので引き受けることにした。研究発表は札幌が担当してほしい」。

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冗談を言わないでください。それじゃ第20回の東京記念大会のときと同じでしょ。もういやです。「そう言わないで、札幌は大都市なんだから大丈夫。引き受けたんだからお願いします」。できません。東京大会のときは、北海道支部長の顔を立てて全事研会長の夢を実現させてほしい。研究発表には全面的に協力するといわれましたが、だれか手伝ってくれましたか。全部札幌に押しつけて知らぬ顔じゃないですか。「将来全事研の北海道大会をやるときに、東北は三分科会を持ってくれることになっているから秋田大会を引き受けないわけにはいかない。札幌が担当すると報告してあるから、今後は秋田市の指示に従ってほしい。それじゃ、頼んだよ」。

当時の札幌に全事研の会員はわたしひとり。第20回の東京記念大会前に25名をかぞえた会員はもういない。打ち合わせ会のときに会費と支部費を集めて送金していたが研究費は札幌会員の個人負担。大会が終わってしまうと集まる意味がなくなり、ひとり、また一人と去っていった。

研究集録用原稿に問題はない。秋田市へ送付してよいと支部長から電話がきたとき、わたしは最後の手段を取らざるを得なかった。札幌に一人しかいない会員は原稿を書きました。そちらには札幌の数十倍の会員がいるのですから提案者と司会者はあなたのところからだしてください。わたしは秋田大会に参加する予定はありません。

言い終わると同時に受話器をおくと胸がスッとした。一度はやってみたいと思っていたせいだろうが逆の立場にはなりたくない。居酒屋の酒はいつになく滑らかに喉を流れおちる。身も心もあたまのように明るくなって出勤したら支部長が夜行でみえられた。午後2時の会議に間に合うよう外勤しなければならず、こうなったら取引しかない。

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他の分科会とのバランスがあるので、提案者と司会者は各二名必要ですからあなたのところで一名ずつをだすなら考えなおします。また、あなたは研究協力者として壇上にあがり、参加者から質問があった時はあなたの学校で実施している文書の管理方法をご紹介いただけますね。

北海道大会が実現したときの準備の進め方や、注意すべき点をまなんでくるよう指示され秋田市には一週間も滞在した。多忙な中にもかかわらず、野口良孝準備委員長さんをはじめ準備委員のみなさま方は各種会議へのオブザーバ参加も許可され、快く貴重な情報をこと細かにご教授くださった。改めて厚くお礼申し上げます。

前日までに地酒と料理の美味い居酒屋の下見をおえ、到着した仲間と共に会場へ足をはこぶ。市街の中心部にそびえ建つアトリオンと呼ばれる秋田県総合生活文化会館は、一度も使用したことがないという大会場のステージから重厚なパイプオルガンが私達を見下ろしている。支部長が予約した警察の寮で簡単な打ち合わせをして、すばらしい会場を用意してくださった秋田の仲間に感謝しながらはやばやと床についた。

情報公開制度への対応、札幌市における検討の軌跡と題したVTR映写と発表が一段落して、質疑応答になると研究協力者に質問がむいた。「支部長さんの学校でも、このような方法で文書を管理されているのですか。」「いえ、私のやりかたとは根本的に違いますからこんな方法はとっていません」。

翌朝早く帰られるとわかった支部長に、慰労会のあとは宿舎へ戻って北海道大会の準備をどうするか7時頃からみんなで話し合う了解をえた。応援に駆け付けてくれた札幌の仲間達は、大会誘致をどの程度望まれているのか直接伺いたいと福岡からの仲間も誘って合流する。十分に下見をしておいた居酒屋に着いたときに、挨拶をする方も釧路の方々の姿もない。それでもまだ信じるのかとの声を背中で聞きながら、タクシーを急がせて宿舎へすべり込んだのは約束の二分前。しかし、朝帰りのご一行は相談はおろか食事も取らずに出発した。

秋田駅そばの広場に折畳み椅子が並べられていた。催し物会場らしいが腰掛けている人は少ない。わだかまりが解けない私達はうしろの席にガックリと腰をおろした。カラクリ時計の除幕式が始まり、紅白の餅をいただいても心は晴れない。むくわれることのない努力を積み重ねた姿を神々はご照覧くだされた。私達を記憶された神々は東北の地に喜びの種をまかれたらしい。

ときは流れて心に安らぎが戻ってきた平成3年の11月、八戸市学校事務研究協議会の齋藤力会長より電話をいただいた。「八戸の研究責任者が秋田大会の研究集録を読み直して感激し、ぜひ札幌市立学校の文書管理を視察したいと希望しています。八戸市でも情報公開条例の検討がはじまるので、文書管理の状況視察団を受け入れていただけないでしょうか」。

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2 出会い

札幌市では師走25日に終業式が行われる。始業式は中学校が成人式の翌日で小学校が給料日の前日である。冬休中は年末年始の休暇がはさまっているし、教職員組合が事務職員も教員に準じてと主張してくれたこともありほとんどの仲間は出勤していないようである。わたしはその組合員ではないから拘束されることもなく、定刻に出勤して職務に専念すると退勤後は居酒屋という零細企業を支えるボランティア活動に熱中していた。

前世における悪行の報いなのか、はたまた受けた躾けや教育が悪かったのか、酒も飲まずに真っ直ぐ帰宅するというような脆弱な考え方を持ち合わせていないのである。「給料さえ持ってくれば、自宅にいないほうがいい人なんだろう。」とか「これから飲みにいくといえば、たまに早く帰ってきたんだから掃除ぐらい手伝いなさいと怒られるんだろう」とささやかれても、見解の相違と軽く受け流すことにしている。

八戸市より訪れる文書管理視察団の日程が決まったが、教員に準じる役員を招集するわけにもいかず、視察受入校の事務職員にのみご無理をいただくお願いをした。

平成4年1月13日は朝から快晴である。やはり、前日に晴天を祈願しながら飲んだ酒が気象台に話をつけてくれたらしい。9時半ころに厚別南中学校へ着くと、安立事務職員が出迎えてくれる。「休み中なのに出勤させてすまないねえ。どうしたい、顔色があまりさえないよ」。

彼は頬をなでまわした。「そうですか。いま病院から抜け出してきたんです。」「えっ入院してたの。いつから。」「肺炎なんです。たいしたことはないんですが休養をかねて入院してるんです。」「本当に大丈夫かい。研究部長で忙しかったからなあ。入院したといってくれれば、いくらでも変更できたのに。悪いことしたよ。」「いいですよそんなこと。視察が終わったらすぐ病院へ戻ります。それより申し訳ありませんが、こんな状態なので懇親会にでれません。」「冗談じゃあないよ。そんなこときにしないで、早く元気になってよ。三学期に入ってから盛大に反省会兼慰労会をやるから」。

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時々、事務室の窓から外をみながらはなしていたが、なかなか車の姿はあらわれない。時計の針が30分をまわると、なれない土地で事故にでも遭遇したのではと心配が心痛を呼び寄せる。それから10分ほどたって3台の自家用車が玄関前にすべりこんだ。

運転席のドアを開けて降り立った頑丈な体格の男が近づいてくる。「おはようございます、船橋です。やあや、おそくなりましてすみません。お待たせしました。」「ごくろうさま。山崎です。どうしたの。事故にでも会ったかと思ったよ。」「いいえ。道をまちがえてグルグル回ってたもんですから」。

電話で何度も打ち合わせをしていると初対面のようなきがしない。出発前にと送付したバスの路線図には、目標となる建物が載っていないので道を間違えたらしい。初めての土地を誘導するには、多少枚数が多くなっても住宅地図のコピーのほうが良いときづいた。

八戸市から8名の視察団をお迎えして厚別南中学校における文書管理の実際を視察していただく。安立君は札幌市立学校文書取扱要領に基づく文書分類表を作成した仲間で、要領の施行以前より実験的な面からそれらに忠実な文書管理を導入していた。職員室内に整然と保管されているファイルと事務室保管のファイルの関連や、校内における文書の流れなどを教頭先生の実践をまじえて説明いただいた。

私の目はファイルをながめ、耳は言葉を受け止めていても、頭の中で考え続けている重大問題が解けなかった。ときはすでに正午を回り学校の近くにレストランや食堂はない。9人が入れるような規模の北海道名物を格安で食べられるところがあるだろうか。

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13時をすぎて安立くんに別れを告げ、車に乗せていただいて道案内をはじめると名案がうかんだ。これもやはり、晴天を祈願した夕べの酒のおかげであろう。扉を開けて中へ入ると、ボーイが走り寄ってくる。「いらしゃいませ。何名さまでしょう。」「9名。」「9名さまですか。かしこまりました、こちらへどうぞ。」「すきすぎてるね今日は。だあれもいないっか。」「ちょうど時間の切れ目になりましたから。みなさまビールをお持ちいたしましょうか。」「いや、食事できたんだ。どうします船橋くん。ジンギスカンとおにぎりにしますか」。

都心部へむかう道路沿いにあるアサヒビール園、350名収容の部屋にお客は我々だけである。しかし、いくら他人がいないといっても勤務時間中にビールはのめない。腹がなる、のどがなる、少しおくれて舌がなく。じっと我慢の子であった。

円山小学校の職員室でわたしは廊下側の壁を背にしている。その壁に向かって右側に幅180センチ高さ90センチでガラス戸の入った書戸棚が二段重ねてある。内部にはB5判5センチ幅のファイルが一列に12冊、二列四段96冊並んでいる。ワープロで大中小の分類が背表紙に表示され、左右端から中央へ向かって各段色分けされたVラインが入っている。ワープロの印字が薄いため、少しはなれると文字がみえにくくなっていた。

本音は、これを改良するまえに見せたくなかった。八戸市からの視察団は、改良計画完了の2ヶ月前に来札されたのである。

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3 システムの誕生

札幌市情報公開条例は平成元年4月1日に施行され、札幌市立学校文書取扱要領は平成3年4月1日に施行された。これに伴い、学校文書管理制度のあらまし・学校文書取扱要領の解釈・様式の記載例・学校文書分類総括表・文書標準ファイル表と文書保存期間・文書の流れ図、そして、札幌市立学校文書取扱要領が掲載された「学校文書管理ハンドブック」が各学校に配付された。

いたれりつくせりの感じがするマニュアルであったが、導入準備にかかろうとすると考え込まざるを得なかった。文書類を収納するファイルやバインダーは小分類に当たる標準ファイル例示の数だけそろえるのか、それとも部分的にまとめたり中分類でまとめてよいのかと経験者にも迷いが生じた。ファイルの購入費用は割当予算内で処置するよう学校の努力が求められ、しかも平成4年度から完全実施の決定がなされていた。教員の膨大な要求を調整している者にとって、最低何冊必要かわからないファイルの調達費用捻出は悪夢をみる思いであった。

文書管理用ファイル改良計画は新設校でいっしょだった先生から「相談にのってもらいたいことがあるんだけど、寄ってもいいかい。」という電話がきっかけになった。その先生は一昨年春に市立幼稚園の園長に昇格され、今年は園長会の管理部を担当されているという。

5月の連休明けに総務部長が視察者を伴って幼稚園にみえられたさい、来年度から札幌市立学校文書取扱要領が完全実施になるので幼稚園も今から準備してほしいといわれた。園長会で相談してみたが、市立幼稚園にはパートの事務補助員しかいないし、文書管理といわれても具体的にどうすればよいかわからない。今朝はやく園長会長と教育委員会へでむいて説明を受けたが、準備をしようにもどこから手をつければいいのかわからない。そこで、小中学校の事務職員に相談してみたらというはなしになり、あなたとは面識があるし旧職場で一緒だったこともあるので会長に一任されてきた。幼稚園長の研修会で文書管理の説明をお願いできないだろうか。

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研修会の数日後、園長会の研修部長がみえられて文書管理用ファイルが並んでいる書戸棚の写真を写していかれた。これが八戸市の仲間に見せたくないと思った、マジックインキでVラインを引いている美しいといいがたいファイル群である。

6月に入ると幼稚園の文書管理用ファイルを編成する依頼をうけ、園長会の管理部と研修部に標準表簿編成表から不必要なファイルの削除をお願いした。そんなときに、常連のセールスマンが来校した。「この4.5センチ幅のファイル2,010冊買ったらいくらになる。」「えっ、2,000冊もですか。なんに使うんです。」「幼稚園から頼まれてさ。」「文書管理ですか。じゃあ、先生が背表紙を入れ替えてから梱包しなおしたものを納品するんですね。切りのいいところで一幼稚園5万円でどうでしょう、消費税別で。」「妥当なせんだな。問題は背表紙の入れ替えにかかる時間だ。日曜日に一日がかりでできるかなあ。」「こんなに買っていただけるんですからわたしも手伝いますよ。」「悪いねえ。じゃあ昼飯ぐらいはごちそうするよ」。

ワープロで作成した背表紙を鮮明に複写してマジックインキでVラインをいれ、ファイルの背に差し込んで並べてみてから梱包する。午前9時からはじめて7時間がすぎ、余ったダンボールを廃品回収業者の店へと運び込んだ。期待していたら缶ジュースがたったの2本分のみ。

幼稚園には喜ばれたが小中学校ではだれもが困っている。誰もが悩んでいるとそのセールスマンが情報を運んできた。「先生。小中学校用ファイルも作ってくれませんか。もちろん、謝礼も考えています」。

研究物が金になると聞いてだまってはおれない。うまくいけば一杯どころか十杯は飲めるかもしれない。ファイルは少々高価でも美的堅牢な5センチ幅を採用し、印刷インクは明るさを感じさせるものを選定した。完全受注生産としなければリスクが大きく、30冊セット以内であれば赤字となる。

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師走に入るとチラシが流れた。「札幌市立学校の文書管理は平成4年度から本格実施となります。ご承知のとおり、文書管理をおこなうには細分化された文書分類表と文書類を保管や保存するファイルが必要です。しかし、学校文書管理ハンドブックの標準ファイル例示をそのまま利用されても分類がおおまかすぎて実務をおこ戸棚に整列した文書管理用ファイルなうには不便ですし、ファイルの背表紙を作成するには多くの時間と労力がかかります。
 これらを解決するため、札幌市立円山小学校の山崎事務主任にご協力いただき、当社独自の文書管理システムを完成いたしました。現在、円山小学校で試行されている方式をさらに改善し、ファイルはキングジムのプレスロックファイルを採用いたしました」。

ファイルは105冊組で、3×6尺の書戸棚の一段に12冊ずつ配列でき、Vラインもあざやかに印刷されていた。説明書を含めたセット価格は99,998円。チラシへの反応は日毎に多くなり、カラーコピーで海賊版をつくるとのうわさが流れたので裁断前の背表紙と説明書を東京へ持参した。発明学会と特許庁へ顔をだしたが、特許どころか実用新案にも該当せずにもどると著作権法が権利を守ることにきづいた。勉強不足の特許管理士は退職後の再就職に役立たないことをさとらされ、池袋の沖縄料理オモロとスナック峠へ寄れたことだけを感謝するのみ。

この年の3月から6月までにかけて、全国各地の倉庫から札幌へ集められたプレスロックファイルは9,000冊を超えていた。

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4 情報公開のうわさ

正面玄関ホールに飾られたひな人形が片づけられたころ、できあがったばかりの文書管理システム一式が納品された。梱包を開くと白地に印刷された紺のインクがまぶしい。背表紙のVラインにしたがって書戸棚に配列すると、薄暗かった職員室内が明るくなる。授業から戻られた先生方が、書戸棚をゆびさしてワァーと歓声をあげた。ときはいま、である。職員会議までに読んでおいてくださいと、あらかじめ印刷しておいた文書管理システムの説明書を配付したが、ほとんどの方々はファイルをながめているだけ。

放課後に戻った年配の先生が紫煙をくゆらせながら書戸棚に近づいた。「これ、すごいもんですね。高かったでしょう」。一式で約10万円です。ファイルは105冊ありますが定価で買うより総額は安いんですよ。「背表紙がついてですか、そうとう値切ったんでしょう。あれ、この背表紙の文字まえのと似てますね。そうだ、学籍のところなんかそっくりだ」。

決裁がすんだ文書を私に手渡した教頭が驚いた。「先生の記憶力は素晴らしいですね。わたしも先程そう思いながら説明書をみましたら、山崎さんが監修しているんですよ。」「監修。監修でなくて全部つくったんでしょ。そうでしょう」。さすが先生。学籍書類でずいぶ利用されているからすぐわかるんですね。「そうなんですか。しかし、残念なことをしましたね。このファイルを八戸からの視察者に見てもらえば、きっと参考になったでしょうに」。

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八戸市の学校事務研究協議会が研究常任委員会を設置して、事務改善の分野から文書管理を研究テーマに取り上げたのは平成元年9月のことだった。翌年、仙台市立学校の文書管理状況を視察して啓発され、どのような文書が存在するかという実態調査を開始した。小中学校で使用している表簿名を収集したところ、63校から集まった名称は千差万別であり、集計作業には数ヶ月という時を要せざるを得なかった。しかし、このうんざりするような作業ほど大切なものはない。だれもが嫌がる試練を通して文書分類の視点が身に付き、多くの文書名に接した経験と知識は的確な分類の試案を産み出すことを可能にさせたのである。基準となっている表簿類の見直しを含め、平成3年10月に開催された青森県学校事務研究大会で、現在吹上中学校の笹本秀詞氏より「事務処理の合理化を目指しての文書管理」と題した研究経過報告が行なわれた。

青森市では昭和40年代に文書取扱要項が制定され、ファイリングシステムによる文書管理方法は全事研の大会で発表されていたが、平成に入って八戸市学校事務研究協議会があたらしい文書管理の研究を進めていることが知らされて参加者の注目を集めた。その翌年の1月に9名の仲間が札幌市を訪れ、札幌市役所市政情報センターと情報公開制度に対応する文書管理を先取りした厚別南中学校と円山小学校を視察されたのである。このときVラインの入った背表紙は発注したばかりで、印刷見本の納品時期も不明であった。教頭は言葉を続けた。「この説明書は八戸市へ送ってあげるんでしょう。でも、ファイルはどうにもなりませんねえ。みせたかったねえ、これわ」。

文書管理システムの説明書は版権所有者にとってどうにでもなるが、職員室内でひときわ存在を主張する文書管理用ファイルだけは複写して送付することができなかった。あらゆる表現方法を駆使しても、整然と並んだファイルの姿と職員室のようすを説明することは不可能だった。百聞は一見に如かずとは、よくいったものである。

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札幌市の視察で刺激をうけたという八戸市事務研の研究は飛躍的なスピードアップがはかられ、文書取扱要領(案)の全体像がほぼ一年で出来あがり、平行して表簿分類の実践試行も行なわれていた。しかし、批判や反対意見がないわけではない。独自性の否定や画一化への抵抗が起きるのは当然のことなのである。それは研究がみんなのものとなった目覚めという現象、研究が成熟しはじめたことをしめす事象である。研究推進の障害と受け取れば、それは崩すことの出来ない厚い壁となって挫折への道を開くもろ刃の剣である。

様々な実験と実践のあいまをぬって文書取扱要領による文書管理を実施している青森市の現状を視察したとき、事務研の単独研究では限界に達している。八戸市教育界全体というレベルへ引き上げなければならない時期に至っているとの認識をえたのである。

正念場となったのは平成6年8月10日。八戸市教育委員会学務課に対して文書管理標準化に関する報告会の席上、この研究を市教委所管のものとして取り上げるよう必死の要請がおこなわれた。この気概にうたれた森林学務課長は事務研の情熱を報告され、巻教育長は即座に「今後は市教委と事務研の共同研究として積極的に推進するように。」との英断をくだされたと伺う。

こうして設置された「文書管理検討委員会」への委員派遣をもとめ、事務研の齋藤力会長と船橋敏昭研究責任者は各団体責任者を訪れて説明を続けた。明けて平成7年1月、校長会をはじめ各団体の委員で構成された「第一回八戸市立小中学校文書管理検討委員会」が開催された。団体選出の先生方は積極的に意見を述べられ、とくに養護の先生の真摯な取り組みには頭の下がる思いであった。

これまでの努力がみのり、すべてが順風満帆に進み始めた。研究者達の顔に安堵の色がうかんだとき、八戸市が情報公開制度導入を検討しているとのうわさが飛び込んできた。

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5 第三会議室

朝日新聞の夕刊に「四千五百年前の巨大木柱出土 青森市の三内丸山遺跡」という横大見出しにつづいて「20メートルを超す建造物か 吉野ケ里しのぐ可能性」と、縦五段抜きで大見出しがでたのは平成6年7月のことであった。

余りにも大規模な住居跡が発見され、この地に質の高い文化が栄えていたことを示す遺物が続々と出土した。縄文の昔から連綿と続く歴史を継承してきた人々は歓喜に包まれ、翌年も慶びの年を迎えることになった。仲間を大きくまとめる輪、仲間の心のよりどころである青森県学校事務研究協議会が創立30周年を迎え、その記念となる第25回青森県学校事務研究大会を南津軽郡平賀町で開催することになったのである。八戸市立学校事務研究協議会はこの大会で第一分科会を構成することとなり、文書管理の継続研究をまとめる準備がすすめられてきた。そんなときに突如として情報公開制度の検討を八戸市が開始したと伝えられたのである。

情報公開制度はかならず八戸にも導入されると考えて着手した研究であったが、これまで続けてきた小中学校用文書取扱要領と文書分類表は、八戸市が検討を始めた情報公開制度に対応できるのだろうか。場合によっては大幅修正が必要になったり、最悪の場合は不採用になるかもしれない。

採用されるかどうかわからない研究を、30周年記念の第25回という節目に当たる記念大会で発表してもとだれもが考え込んだ。全国各地から収集した文書管理の資料を検討し、札幌市情報公開制度用に編成された文書取扱要領を基礎においた研究であっても、沸き起こる不安感を拭いさることはできなかった。これまでの研究は市役所が作成するであろう八戸市文書分類表と整合するだろうか。少々の誤差があったとしても許容範囲として認められるものだろうか。文書取扱要領は学校専用でも良いのだろうか。全市統一のほうが自然ではないか。学校の情報とはどの範囲までをさし、どの程度まで公開すべき対象となるのだろう。心配は心痛を呼びよせ、研究意欲はしだいに減退していった。

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制度に即応した文書管理の現状を見たい。文書管理を考えた人に質問をしたい。沸き上がる疑問を経験者にぶつけたい。もう一度この目で制度全体を見たい。みんなで確認できれば解決への道はかならず開くだろう。平成4年1月に引き続いて二度目の視察にこられるとの連絡に、札幌市公立小中学校事務職員協議会の三役は第三会議室へ集まった。

事務局長が確認した。「6月23日の札幌駅着午前6時半で、宿泊はチサンホテルですね。学校までの地図は送りましたか」。もちろん。住宅地図を送ったよ。「交通機関の地図じゃ間違うからですか。駅から学校までは十分ですし、市役所もホテルも近いから情報交換の時間はたっぷりとれますね。」「全部歩いてまわれる距離ですよ。つぎの日は休みですし、会長さんのことだから懇親会は絶対やりますよねえ。近くにいいところありましたっけ。えっ。もう下見したんですか。」「なにを頼みます」。刺し身とカニがついて飲み放題4千円のコースでいいんじゃない。「そうじゃなくって、お酒にしますか、最初はビールですか」。あれっ、まだ注文してなかったっけ。

居酒屋の王様、正統七十年と表示の第三もっきりセンター。第三会議室と呼んでいる店の奥座敷へあがって飲みながら打ち合わせをするというのが私のやりかた。会議はできるし酒は飲める。一石二鳥と思っているのは独り善がりであろうか。酒屋の経営であるため正味一合200円という原価のようなお酒は答えられない。

飲み物とつまみの注文が終わると副会長が質問した。「当日は何人こられますか」。9人。今回は斎藤会長もいらっしゃり、半数が女性だと船橋くんが云ってたよ。「本当ですか。じゃ、お茶菓子はぼくに任せてください。きっと喜ばれるものを厳選しますから」。まかせるよ。事務局長にそんな趣味があったんだ。八戸は相当悩んでいるから会議は質問に回答にするだけで終わってしまうと思うよ。研究集録に掲載される予定原稿や資料類は届きしだい送付するので、事前に目を通してくれないかなあ。「要するに、僕たちが悩んでとどりついた過程を説明すればいいんですね。あのときは眠れないほど考えたから、八戸の仲間の辛さがわかりますよ。会うのが楽しみだなあ」。

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事務局長が日程を確認した。「じゃあ、当日は事務局対応ということにします。中央中へ午前8時50分に集合でいいですね。会議室に荷物を置いて、事務室と職員室の文書管理用ファイルを見てもらい、10時くらいから質疑応答とします。昼食は市役所地下の食堂でいいですか、混みますけど。ホテルに荷物を置いてから市政情報センターを見てもらいます。その後、会長さんは研究発表者との打ち合わせがあるようですから、宴会は六時からでいいですね」。二度も札幌へこられるのは、札幌の事務職員が行った研究が認められた証拠と、それぞれが期待に応えるべく検討事項を分担した。

平成7年6月22日は雲ひとつない快晴である。札幌市公立小中学校事務職員協議会の二副会長、事務局長、二事務局次長、会計は、仲間の役にたつべく集合した。とき同じくして、八戸市から視察者9名が到着される。会議室へ荷物を置いていただき、職員室へご案内してひときわ存在を主張する文書管理用ファイルをみていただいた。

この日、八戸と札幌の協議会は初めて対面した。歓迎の言葉にこたえられた八戸市学校事務研究協議会の斎藤力会長は、視察受入の謝辞につづけて、第25回青森県学校事務研究大会第一分科会での助言を正式に要請されたのである。わたしの耳横を筋を引いて汗が流れ落ちた。

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6 お菓子

なんども伺っていたので嫌とはいえないが、困ったことがあった。髪の毛が減ってきたのは内部が短絡して加熱し、それが原因と思われる持病がある。

広報にこんな告白をしたことがあった。「わたしは文章をかくことが好きです。でも、かきはじめるまでが苦痛です。悩んでいる時間のほうが長いかもしれません。考えていることを個条書きにキーボードから打ち込むと、どのようにまとめれば意志を伝えることができるかが見えてきます。〆切に追われていると思い込みながら、とにかく先へすすみます。

文章をかいているとさまざまなことを発見します。事実関係を調べ直したら、誤解していたと気付くこともあります。根拠を示そうと法文や資料をしらべていたら、説明の記述や様式の内容にミスプリントがあるのをみつけます。国語辞典や用字用語辞典を開くと、いままで知らなかった意味や用法をみつけて感心します。

読点の打ち方ひとつで文の意味が違ったり、リズムやテンポが狂うことに気付きます。使えるものがないかとその時々の話題に注目するようになります。のってくると、時計の針が進むのを忘れてしまいます。このような過程をへて全体をかきあげます。

その原稿をもっているのですが、人前にでると身体がしめつけられるような気分になります。かいてきたことをきちんと読めるか、句点で間をとれるかと不安になります。しだいに顔へ血液が集まってくるような感じがして、額が汗ばんできます。まえをむくと会場の半分がもやに包まれています。メガネのレンズが下のほうから曇って文字が見えづらくなってきます。たまに顔をあげると最前列のひとの目鼻もわかりません。そして、ついに足がふるえだします。こうなると頭のなかはパニックです。

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対人恐怖症のひとつである赤面恐怖症と診断でき、そうなった原因も知っています。症状がでるのを遅らせたり、倒れないようにする技術は身に付けましたがいっこうに完治するようすがありません。このようなことを文章にかくのも治療のひとつなのですが、効果がなければまた明日も汗をかくでしょう。ですから、壇上で挨拶するよりも文章をかくことのほうが好きになりました」。

意識過剰がおもな原因と思われるがこれほどやっかいな病気(?)はない。自分の考えを堂々と発表される方々を見るにつけ、いいなあ、うらやましいなあと感じる。

悩み多き初老の男なのに、研究発表の助言と分科会冒頭で情報公開の意義と制度の概要を説明してほしいと依頼された。30ものひとみが注視するなかで頼まれるとそれだけで頭の中はパニック。なにを、どう答えたのか分からない。

持参された八戸市の文書分類表試案は、63校よりあつめられた千差万別の文書件名をもとにしていた。数カ月を要するうんざりするような作業を通して作成された分類表は、これ以上の文書件名を考えることはありえないというほど網羅されていた。一方、札幌市の分類表は、小分類にあたる部分に標準ファイル例示、保存年限の欄に法定表簿名しか掲載されていない。これで文書が分類できるのかと思えるほど簡略化されていた。当然の疑問に、眠れないほど悩み抜いてたどり着いたファジーな考え方を説明してもらったが十分なご理解はいただけないようである。

札幌市の分類表は見る者に不親切というイメージを与える。だれもが分かりやすいような手引きをつくらなければと考えていたとき、出入りの業者に勧められたのが文書ファイルの編成であった。札幌市立学校文書取扱要領に準拠して105冊のプレスロックファイルを使用した文書管理システムは、見た目の鮮やかさもあって順調なすべりだしをみせ、最終的に90セットにせまる売り上げを伸ばしていた。

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休憩時間に入ると大きな紙袋を開いて、長谷川事務局長はニコニコしながら箱に入ったお菓子を取り出した。後片付けを簡単にするため用意した紙皿にのせて、それぞれのまえに配付しおわるとあらたな研修講師の誕生である。

事務局長は満面に笑みをたたえて説明を始めた。「えー、このお菓子は六花亭という店のお菓子です。山おやじで有名な千秋庵から別れた店ですが、本店は帯広にあります。札幌にも工場は二個所あります。えー、おくばりしたひとつ鍋というモナカなんですが、中にはちいさなおもちが二個入っています。ひとつ鍋という名前は、開拓のはじめは豚とひとつ鍋、という俳句からきています。えー、北海道を代表するお菓子といったら、いまは六花亭ではないかと思います。おみやげを買われると思いますので、かならず喜ばれる六花亭のお菓子をおすすめいたします。」

なにがしか貰っているのかと聞きたくなるような事務局長の宣伝文句に、堅くなっていた座はなごやかな笑いに包まれた。お菓子のはなしになると、二人の副会長も妙にくわしい。

やはり、このはなしに反応するのは女性である。「館(やかた)のケーキが美味しいと聞いたのですが、この付近にお店はありますか。」「札幌市役所を視察したあと、3丁ほど歩いた三越デパートの地下にあります。ご案内しますよ。三越店は小樽の本店から毎日運んでくるので一味違います。」「小樽が本店ですか。明日は小樽へ行く予定なんです。小樽運河を見たくって。」「それなら、ぜひ本店によってください。味が違うんです。絶対ご満足いただけます」。40代半ばの男性がお菓子に目を輝かせているのは、呑兵衛にとって不可思議な光景である。

注:情報の一部が欠けていたり不確実性のある環境であっても、一般的に最善の努力で意思を決定して行動することが望まれてきた。ファジーという単語は「あいまいな」という形容詞で、あいまい性を扱うための数学的な理論をさし、ファジー理論自体は厳密であるが扱う対象が「あいまい性をもつ知識表現」ということになる。
 1980年代後半に日本の研究者が家電や地下鉄の制御に応用して注目を浴びた。例えば、洗濯機は効率や品質あるいは使いやすさの面で相反する要求を満たす必要があり、短い時間で布の痛みを少なくして洗うことが求められるが、布の量が多く布の質がごわごわならば、水量を強くして洗い時間を長くすることが必要になる。このため、布量と布質に応じて水流と洗い時間を制御するためのあいまいなルールが使われる。

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7 なにかあったの

平成7年10月4日の朝、わたしはふたたび東北の地をふみしめた。八戸市学校事務研究協議会が担当される「文書管理の標準化効率化をめざして」、「情報公開制度下における学校の文書管理と文書取扱要領制定への第一歩」という研究発表の助言者としてお招きをうけたのである。助言要請を受けたと聞いた札幌市教育委員会は、「事務協の会長が一人でいくというのでは札幌市の面子にかかわる。」と副会長2名分の旅費を用意してくださった。

役員会のあと、出発前の打ち合わせもかねて第三会議室へ集まると、全事研秋田大会北海道支部発表の応援にかけつけ、全事研札幌大会開催を念願している仲間がいた。「会長さんは知ってますよね、5年前に秋田でまなんだ格言。支部長の決意を聞けなくてみんなガッカリしたとき、店の女の人が教えてくれた秋田の格言。覚えてますか。」「うん。一杯飲まねば仕事ははかどらない。だったよ、ねえ。」「そうです。青森の大会ではレセプションにも出席するんですよねえ。お酒を持っていくんでしょう。会長さんも、一杯飲まねば仕事ははかどらないほうだから」。

そうかもしれない。「どんな銘柄がいいか迷ってるんだ。地酒として全国に名が知れている増毛の國稀にするか。」「んもうー、だめなんだから。札幌で造ってる酒といえばなんですか。」「千歳鶴だろう。」「札幌に住んでいる人は千歳鶴を地酒と云うんです。工場は会長の学校のそばにあるでしょう。札幌市の中央区にある中央中学校の事務職員が、中央区でつくられた地酒を持っていくのが一番ですよ。これ以上のものがありますか。」「なるほどね。おれは千歳鶴のほうが口に合うし、いま飲んでる銘柄もいいなあ。」「ほろよいですか。(札)幌は良いととれますしねえ。これにするんですか。」「うまいけど安すぎるよこの酒。東北にだしても恥ずかしくないランクのものを、試飲してから決めるよ」。

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津軽富士と呼ばれ、いにしえの昔より人々に親しまれた麗峰岩木山に見守られる南津軽郡平賀(ひらか)町は、豊富な温泉が湧き出る静かな町であった。真新しい平賀町文化センターの受付で、厳選のうえにも厳選されて(ちょっとオーバー)札幌から副会長に抱きかかえられた千歳鶴は、成田初男準備委員長のもとに届けられた。

役員控室に案内され、青森県学校事務研究協議会の会長を紹介いただく。名刺を交換させていただいてひと息おくと、会長は吐き出すようにいわれた。「もう、北海道は相手にしたくないよ」。

会長にお会いしたのはこのときが初めてである。青森県と札幌市とで事務職員組織間の交流はこれまでない。札幌市の歴代会長や役員が青森県の仲間や組織に無理難題をしかけたこともない。そばにおられた役員の方々が会長の言葉をつくろおうともしなかったのは同じ感情をいだかれているのだろう。売られた喧嘩だが、感情的になれば八戸市の仲間に迷惑がかかる。頭まの頂点へかけあがる熱いものを押しとどめながら、開会式に影響をおよぼしてはと、「いいですよ。相手にされなくても。」と一言だけ残して引き下がった。

関係者控室へ案内されると会長が吐き出された言葉の背景を考え続けた。きらら397という道産米がこしひかりやささにしきの市場を奪っただろうか。津軽海峡線開通で青森を不況にさせただろうか。北海道にたいして悪感情をもたれているのでなく、道民に割り切れないものをもたれていると考えるのがより自然であろう。道内の仲間となにかあったのだろうか。

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北海道にある事務職員の団体を規模別に挙げると、最初は北海道公立小中学校事務職員協議会(以下、道事協と略す)、札幌市公立小中学校事務職員協議会(以下、札事協と略す)、最後が全事研北海道支部の順になる。もともと札事協は道事協設立の中心的役割を果たした団体であったが、政令都市の指定をうけていることなどの理由で札幌支部名を返上し、昭和49年に対等独立が承認された。このときから、相互の団体は研究交流の道を閉ざさないという書面での約束を私達は守り、会員に研究大会開催日や研究発表課題名を必ず周知し、多くの仲間は道事協の研究大会へ参加させていただいている。

道事協は今年第46回目の大会を千歳市で開催するが、昭和43年度からの研究大会に東北・北海道合同と銘を打ってきた。参加した大会で東北の方々の研究発表を拝聴する機会に恵まれなかったが、情報交換や研究交流を図るのはこれからの学校事務や事務職員組織を担う人々のためにも大切なことである。

青森県学校事務研究協議会設立30周年記念、第25五回青森県学校事務研究大会(平賀大会)は午後1時に開会された。挨拶に立たれた会長は「日頃から学校に勤務する事務職員として、教育の諸条件整備に積極的に取り組んでおりますが、さらなる研究と研修、実践を行う努力が不可欠です。そして、自らの資質の向上と自己変革のため意欲をもたなければなりません。このことにより学校事務職員が、学校に置けるまことの基幹職員としての位置づけが確立されるものと私は確信しております。」と述べられた。イデオロギーを乗り越えてとのおはなしに、ひとつの方向からしか全体を見ることのないようわたしも肝に銘じた。そして、開会式に至るまでの経過を忘れたB型人間は、会長に不快感を与えた道民の行為をお詫びして、北海道人の信頼を回復しなければと自問していた。

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8 お賽銭

平賀町文化センターのホールは、階段状に椅子が配置された劇場のような造りである。しかも、多目的に使えるように椅子は取り外すことができる構造になっていた。第一分科会はこのホールを会場とし、ステージの上手に助言者席、下手に司会者席と話題提供者席が配置されている。下手は右から司会者の笹本秀詞氏と話題提供者の船橋敏昭氏が並び、二列目と三列目に記録者と共同研究者が腰を下ろした。助言者席は一列で左から八戸市教育委員会の森林康学務課長とわたしの順である。

分科会が開会されると笹本司会者よりミニ講演とご紹介をいただき、「情報公開制度の概要と情報公開制度下における教育関係公文書公開状況」について、札幌市を例にとって30分程説明させていただいた。会場からの質問をうけたころには、眼鏡がくもって若干パニック状態になっていた。赤面恐怖症なんだからやっぱり引き受けなければ良かったと後悔している時機である。。

記録によれば、質問と回答はつぎのとおりである「札幌の情報公開に対応した文書取扱についての中で、今後予想される紙でない記録媒体の活用あるいはそれに対応するものについては、どのようにお考えでしょうか。」「要するにコンピュータ関係の、フロッピーとかCDの扱いだと思いますが、はっきり申し上げると何も考えていません。まだ、そこまでいっていないというのが現状なんです」。

この回答が誤っていましたのでおわび申し上げ、事実をお知らせいたします。札幌市の情報公開対象公文書とは実施機関の職員が職務上作成し又は取得した文書、図面、写真、フイルム、磁気テープ(ビデオテープ又は録音テープ)であることとされています。個人で所有するとは思われなかった時期のはなし合いでも、フロッピーや光ディスクは公開対象となると聞いています。現在、学校で作成された公務に関するデータが記録されているフロッピーは公開対象公文書として取り扱われています。但し、これらは公開されますがコピーをとることはできません。

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分科会は多数の参加を得て、八戸市の研究を青森県全体のものとできないか、文書処理簿と文書発送簿の様式と記入要件などについて活発な意見交換がおこなわれ、時の流れの早さに驚くほどの盛り上がりをみせていた。助言をされた森林課長とあがることを忘れたわたしも、説明や補足する時間の少なさに困惑せざるを得なかった。一日日程であっても消化することが不可能な研究密度なのである。レセプション会場と宿舎は、津軽富士とりんごの里、アップルランド南田温泉。札幌市立の中学校が修学旅行で利用させていただくホテルであった。

大会二日目は青森県教育委員会文化課の岡田康博総括主査をお招きして「縄文の都、三内丸山遺跡」と題した記念講演を拝聴した。「実際に調査に携わった者としての現状報告というかたちでお話させていただきます。(中略)自分たちの生活するこの郷土に、こんなすばらしい歴史的な遺産があるんだ、そして、ちょっとだけ他県の方に自慢話をする、その材料を提供する事になればいいのではないかと思っています。」との前置きで始まった講演は過去にまなんだ知識を一変する内容だった。翌日、八戸市の学校を視察しようと考えていたが、三内丸山遺跡をみずに帰札できない思いにとらわれていた。

閉会式終了後は副会長と別れ、八戸の研究仲間に案内されて弘前市内で昼食ののち岩木山神社に参拝した。再び東北の地へ迎えられたことを感謝し、大会の成果を報告して今後の進捗を祈願した。雨に煙る津軽岩木スカイラインで69のカーブに恐怖の声をあげ、雨に洗われたりんごの美しさに感動する。

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船橋くんの運転する車の中でじゅんこさんが質問した。「山崎さん、岩木山神社でいくらお賽銭をあげました」。百円と答えたが、鈴なりのりんごに気を取られていたので質問の意味は気にならなかった。しばらくすると後部座席でじゅんこさんとあつこさんが声をあげて笑いだした。「どしたのさ、なにかあったかい。」「いえ、いいんです。なんでもありません。」「なにがそんなに可笑しいの。」「いいえ、なんでもないんです」。笑い声が止まるどころか、止めようがないほど身体をよじらせている。質問してもらちがあかない。

雨上りの空にうっすらと虹がかかり空気は一段とすがすがしい。船橋くんの車のあとを5人を乗せた2台の車が追送し、初めて通るという道をかんぽの宿「碇ケ関」へと向かっていた。「さっきは何にがそんなに可笑しかったの。」「えっ。さっきですか。神社についたとき、わたし細かいのを持っていなかったのでお賽銭を借りようとしたんです。そしたらあつこさんが、お財布を開いて50円にする5円にするって聞いたんです。5円じゃ少なすぎるし50円は多すぎるから、10円がいいかなって悩んだんです。百円ってきいたら、私達が悩んだのはなんだったのだろうかと思って」。

この夜、札幌市の協議会に親睦サークルとして登録されている「ゆけむり同好会」の有志、女性2名と男性4名が合流した。一日に5~6個所の温泉を巡る一行は女王様がリーダーで男性は奴隷と呼ばれていたが、別に倒錯の世界に酔いしれているわけではなくユーモアあふれる有能な後継者たちである。(質問と回答の記録、及び記念講演の前置き部分は、青森県学校事務研究協議会発行の平賀大会記録集より引用させていただきました)。

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9 つぶやき

札幌の仲間達はサークル活動が好きなようである。活動成果が目覚ましいのは札幌リーグ五部へ昇格して活躍中のサッカー部である。ヨーロッパやカナダまでも出かけたスキー部やシングルプレーヤーが増加中のゴルフ同好会もある。テニスのサークルにバスケットボール部、野球部や山の会、囲碁同好会にアマチュア無線クラブ(JH8YBB)など、さまざまなサークルがある。ユニークすぎて名前を聞いただけでは活動内容がわからないのが、いとしのメシール同好会、トロッコーズ2などである。

湯煙同好会もサークルのひとつで、独身女性と中年男性のみが属しているらしい。「お風呂は例のごとく混浴・露店風呂!湯けむりの男性会員、大半は夜目が効かない人たちなので、混浴にはもってこいです。それにとっても聞き分けがいい会員ですので、女性が着替えをするときは、もういいよと言うまでずっと後ろを向いていてくれます」。

活動内容をみても妻子ある男性の下心が理解できず、中年男性に若返りの効果があるとすれば独身女性は老化するのではと、思わず薄くなった頭をなでながら考えこむ。外国産の特売された缶ビールとワインをクーラーに詰め込み、年休を取って秘湯めぐりをする一行がかんぽの宿「碇が関」で合流すると、かれらが持ち込んだふだん飲めないような日本酒に酔いしれ、研究発表が終わった八戸の仲間との交歓会は夜が更けるまで続いた。

翌朝、秘湯荒しの一行と別れて、記念講演の鮮烈印象がさめやらぬ三内丸山遺跡へと向かった。東北自動車道へ入ると灰色の雲が空一面に広がり、その下をちぎれ雲が飛ぶような早さで流れはじめた。強風が沿道の木の葉や細い枝をちぎり飛ばす。風速はしだいに強くなり突風が襲ってきた。ゴーッという風音とともにタイヤはアスファルトの上を滑り、本線車道から加速車線へ向かって十センチほども横ずれした。が、運転している船橋君の顔色は変わらない。

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遺跡へ着くころには天候が回復するきざしをみせ、雲間から時々日の光がもれてきた。寒さにふるえながら遺跡へ入ると、案内人はすべてボランティアとのこと。事実をありのままに伝えることに専念し、推測も誇張もない解説に、昨日拝聴した記念講演の内容を再確認させられた。

巨大な住居跡の説明をうけていると、日が陰って篠つく雨が視界をさえぎった。突風が吹き込むと雨はみぞれに変わって衣服にへばりつく。傘をすぼめてしゃがみこんだら、ボランティアは立ったままで平然と説明を続けていた。東北の人々はこの程度の厳しさには動じないようである。

逃げ込んだ資料館に展示されている遺物は膨大で、なかでも大きな漆器が目に映った。「木からとった生漆は下塗りにしかならず、上塗りをするには加熱して粘りを出さなければならない。加熱加減は非常に難しいのだが、古代にこんなにも完成された技術があったとは信じられない」。遺物を解説するテレビ番組で漆器を見た人が驚きの声をあげていたのを思い出していると、「改良されることもなく、われわれの技術が二十世紀まで伝わったのが信じられないよ」と、縄文人のつぶやきが聞こえた。

出発時間となって出入口へ集まると、ガラス戸を押し開けて八戸市教育委員会の巻教育長が入ってこられた。視察者を案内してきたがひと足さきについたのでとおしゃる。事務研の斎藤会長と研究責任者の船橋くんは、青森県大会での発表要旨と参加者の反応を報告して私を紹介くださった。「ご苦労様。実現できるよう引き続きがんばってください」。

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予期せぬ出会いと巻教育長の言葉に9人は胸を熱くし、教育長に直接報告できたことを喜びながら青森市内へ向かうと、荒れ狂った灰色の空と黒いちぎれ雲は太平洋へ去っていた。昼食をとって空港を飛び立つとおだやかな光をあびた岩木山が眼下にみえる。神々の社にむかい、あとはお願いしますと思わずつぶやいていた。

来札して「初雪の便りが聞かれ始めた札幌では、白樺の葉が山吹色に染まり、もみじは真っ赤な衣をまといました。事務室内のシャコバサボテンはつぼみをつけ、シクラメンは新しい茎を伸ばし始めています。さて、過日は第25回青森県学校事務研究大会第一分科会に助言者としてお招きいただき、心から感謝しております。しかしながら、果たしてみなさま方の期待にお答えすることができたのかと、取り返しがつかない今になって反省しております。

八戸市のみなさま方には本当にお世話になりました。かんぽの宿での交流会はじつに楽しく、時の流れは3倍にも5倍にも感じられました。自転車ともいうオープンカーの後部につけた岩木山神社のお守りをみるたび、肝を冷やし続けたハイウェーを思い出します。もっとも驚愕した三内丸山遺跡。資料や写真を見ながら(もちろん飲みながら)感動にひたっております。

斎藤会長さん船橋さんをはじめ、八戸のみなさま方には出会いからお別れするまで親身のお世話をいただき、かつまた、すばらしい体験をさせていただいたことを心から厚くお礼申し上げます。最後になりましたが、八戸市のみなさま方と八戸市学校事務研究協議会の益々のご発展を祈念して、お礼の言葉といたします。ありがとうございました」。

礼状を書きおえると、第21回札幌市公立小中学校事務研究大会の開会が迫っていた。

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10 知って欲しい

平成7年10月25日は好天に恵まれ、第21回札幌市公立小中学校事務研究大会の初日を迎えた。この開会式の挨拶のなかで青森大会についてもふれさせていただいた。

紅葉に包まれた定山渓に多くの仲間が集まり、今年も研究大会を開催することができました。例年より早めてこの時期を選んだのはふたつの理由からです。11月の声を聞きますと降雪による事故、急激な冷え込みによるアイスバーンでの事故、また、不注意以外の交通事故に巻き込まれたというニュースが急増しますし、中旬になりますと年末調整事務などで多忙となり、申告書のチェックや添付書類の請求に追われます。

公務運営の円滑化と参加者の安全を願い、初雪をみないうちに開催したいと考えてきましたが、10月は観楓会シーズンでどこのホテルも満室です。このたびは定山渓ビューホテルのご好意と、公務多忙ななか研究大会開催のためご尽力いただいた実行委員各位のご努力で今日の日を迎えることができました。こころから厚くお礼を申し上げます。

今月の4~5日にかけて青森県学校事務研究協議会設立30周年記念、第25回青森県学校事務研究大会が南津軽郡平賀町で開催されました。この第一分科会は平成4年と本年7月に札幌市の文書管理を視察にみえられた八戸市学校事務研究協議会が担当され、「文書管理の標準化・効率化を目指して、情報公開下における学校の文書管理と文書取扱要領制定への第一歩」と題する発表がありました。

奈良県と青森県は情報公開条例が制定されていないこともあって、札幌市は情報公開と文書管理について先進都市と考えられています。その札幌市の事務研責任者ということでわたしは第一分科会の助言者としてお招きを受け、情報公開制度の概要と札幌市における教育関係公文書公開状況などについて説明させていただきました。使用した資料類は、役員の方々に配布してあります。

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第一分科会での話題の中心は「学校文書取扱要領案と学校文書分類表案」でした。この発表は平成元年度から継続している実践研究で、各都市の視察資料や調査資料などを参考にしながら、札幌市立学校文書取扱要領と文書分類表を基礎においたものです。

また、第二分科会では「皆が参加しやすい研修方法はどうあればよいか。理想的な事務処理を追及し、研修した成果を教職員や子どもにどのように還元していくか」という発表が青森県東郡地方事務研究協議会よりありました。第三分科会では「異動に伴う事務について。異動期における事務軽減を図るには」という発表が青森県上北地方事務研究協議会よりありました。

この夜ひらかれたレセプション会場で、八戸市学校事務研究協議会の斎藤会長より、札幌市と八戸市の協議会が姉妹研究団体となり実践研究の交流を行えればとの提案をいただき、札幌市としても前向きに検討することをお約束いたしました。

大会二日目の全体会に続いて、青森県教育委員会文化課総括主査の岡田康博氏を講師にお迎えし、「縄文の都・三内丸山遺跡」と題した講演を拝聴しました。講演の概要は馬場副会長が幌短信に掲載しますのでご覧ください。

大会終了後、三内丸山遺跡を視察しました。直径1メートル、高さ20メートルもの大木を直立させた建築技術。生ごみ、燃えるごみ、燃えないごみという分別廃棄。建築資材の再利用による計画的な町造り。最多人口500人を養った栽培農業技術や魚を3枚におろす調理技術、ひすいに穴をあけるという加工技術の痕跡をみました。紀元前3千5百年前の地層から発見された縄文時代のポシェットは、二本越し二本もぐりという高度な技法で編まれた作品で、同じ地層からでたほぼ完全な形の木製漆器は、現在の津軽塗りに匹敵する漆工芸品でした。遺跡のビデオテープを購入してきましたので、研修で利用されるときはご連絡ください。

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有益な情報を会員へ提供するのが会長の務めであるとの考えから、少々長すぎると思ったが青森大会のもようを詳細に報告させていただいた。では、第21回札幌市公立小中学校事務研究大会ではどのような研究発表がなされたのか、引き続き挨拶原稿をもとに紹介とちょっぴり宣伝をさせていただこう。

さて、私達の札幌市公立小中学校事務研究大会は21回目を迎え、豊平区は「生涯学習と学校、そして事務職員の役割」について問題を提起されます。わが国においては、学校教育への過度の依存に伴う学歴偏重の弊害が生じており、今後はこれを是正して人々が生涯にわたって学習し、それを正当に評価する社会を築いていくことが重要と考えられています。研究紀要は生涯教育についての記述で占められていますが、生涯学習と生涯教育は共に今日的課題であり、私達は生涯教育の場をあずかる者としてどのように考えていくべきか、示唆を与えてくれるものと期待しております。

東区は「事務職員から見た余剰教室の利用についての一考察」について問題提起をされます。研究紀要のアンケート結果をみますと、他職種の方々からの回答として様々なご意見が掲載されており、興味深いものがあります。事務室については、第9回大会で西区から共同研究結果が発表され、その後、一部の小学校にはカウンター方式やパーティション方式の事務コーナーが設置されました。これからの新設校は、事務室設置という方向へと進んでいます。

札幌市の研究発表は当初個人に依存していた。現在は9区の輪番制をとっているが、協議会が設定した研究課題を研究する機関もある。

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11 もっ、もしや

札幌の協議会が研究すべきとして取り上げたのは「これからの学校事務職員のあり方、学校事務職員の研修制度、実務改善」の三課題であった。前号に引き続きご紹介しよう。

課題テーマ研究推進委員会からは「学校事務職員制度の展望と題して、教育行政組織における事務職員の位置付け」について問題が提起されます。豊平区が発表される生涯学習と関連づけて考えていただければより理解が深まる内容と思われます。ご承知のごとく課題テーマ研究推進委員会は機関研究という位置付けで、本部の設定した課題について委員を公募して研究をしていただいています。各区は区で設定した課題により研究推進委員会を設置して研究をし、研究全体の掌握は研究部が行っています。課題の与えられ方や研究推進委員の募集方法は違っていますが、外からみるとどちらも協議会の研究である点では変わりがありません。

協議会は研究した内容にまで立ち入って規制することはしませんし、多面的な考えを生かすためにもできるだけ自由な立場で研究をしていただいています。ただし、印刷されて残るものについては役員会でチェックしますが、公序良俗に関する部分や事実関係の誤解や協議会の研究内容としての妥当制の部分のみに限定しております。

いずれの研究にも言えることですが、その研究内容を協議会活動というレベルで生かすかどうかは、研究大会での討議経過や結果にもよります。内容については、そのまま受け入れられることもありますし、異なる意見を持っている人も当然いるわけですから、修正され否定されることがないとは言えません。いずれにしても、協議会は特定の考え方を会員に押し付けるようなことはありません。豊平区と東区、課題テーマ研究推進委員会の発表内容と、みなさま方の活発な討議を期待しております。

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さて、第21回大会の講演会講師に元全日本アルペンスキーメンバーで、元オリンピックアルペンスキーの日本代表選手として活躍されました川端絵美さんをお迎えいたしました。川端絵美さんは、2年前にオーストラリアのサンアントンで開かれたワールドカップ滑降部門で、第三位という成績を残されました。この年の世界人口を考えると、54億8千万人中の3位という物凄い記録となります。「スピードへの挑戦、私を支えてくれた人達」と題した講演は、教育を影で支える私達にきっと大きな示唆を与えてくださるものと期待しております。

本日は政令指定都市から参加された仲間、函館市や旭川市からおいでくださった仲間。そして、道の協議会役員の方々など多数のご参加をいただいております。遠路をいとわずおいでくださいましたことに感謝申し上げます。最後になりましたが、札幌市教育委員会をはじめ、札幌市小学校長会札幌市中学校長会、ならびに教育関係諸団体のご支援に、心から厚くお礼を申し上げて開会の挨拶といたします。

開会式でこれだけ長い挨拶をして赤面恐怖症といっても信用されないだろう。でも、本人は原稿を見ながら汗でくもるメガネに悩み、ふるえる足に力を入れ、縁台に両手をついて必死の思いで身体を支えているのである。今回で後進に道をゆずり、研究大会の挨拶も最後にしょうと思っていたから、少々時間をいただく了解を得ていた。大会は一日半の日程で開催され、多くの参加者を得て盛会のうちに無事閉会した。

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大きな行事が終わると虚脱感に陥る。機械的に年末調整事務を処理をしているとき、青森大会の会場で「異動事務とらの巻」がほしくてきたという仲間の声を思い出した。分科会参加者にしか配布されない資料であり、当日は第一分科会へ参加していたから、興味があってものぞいて見るわけにはいかない。貴重なものを失ったような気持で帰札したことを思い出した。

タイミングが良いというのはこの事である。少年写真新聞社の営業部長から電話があった。「今月初めに電話をしましたら、青森へいかれたと聞きました。会議で青森まで行くこともあるんですね」。まさか。青森県の学校事務研究大会に参加したんですよ。「そうでしたか。で、なにか面白い情報はありませんか」。大会の第三分科会で人事異動に伴う事務についての発表があったのですが、参加者に別冊で異動事務とらの巻という資料が配布されたようです。欲しくてきたという人がいましたからどんな内容か興味があります。「見てないんですか」。ええ。分科会に参加しなければもらえないようです。「残部がありますかねえ」。分りませんが、研究責任者の所属学校名と氏名をお知らせしますから、住所を調べて連絡を取られてはいかがですか。「わかりました。天間林村立榎林中学校の中村由香里さんですね。さっそく電話をかけてみます」。便乗するようで悪いけど、わたしも一冊欲しいので残部があったらなんとかお願いします。

異動事務とらの巻は教員の巻と事務職員の巻の二部構成で38頁もあった。教員の巻を開くとマンガが眼に飛び込み、校長室へ入る教員の姿を「もっ、もしや、あの先生も」とみている事務職員の姿にいずこも同じと親しみを感じさせる。提出書類の記入例とチェックリストの組み合わせは絶品であった。事務職員の巻には13項目65件もの引継事項が用意され、これを読んだら見ず知らずの学校へ赴任しても戸惑うことがないだろう。

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12 発芽

船橋君から手紙が来た。「10月の県大会終了直後に、発表資料を青森県教育委員会学務課に提出しておいたところ、担当総括主事より電話をいただいたうえ種々ご指導をいただきました。また、昭和40年に県教委が定めた「小中学校における表簿基準」見直しのための協力を求められました。札幌市の文書取扱要領も資料として県教委に提出させていただきました。」「現在わが研究グループは、来年4月からの市内全校一斉「文書取扱要領(案)」の施行にむけ「手引き書」と「教員向け啓蒙資料」などの制作に奮闘いたしております。年末年始の休業以外は休めそうにありません」。

師走半ばに届いた手紙は、八戸市で事務職員を中心とした大きなうねりが起き始めたことを告げていた。事務職員が考え、練り上げ、創り上げてきた文書管理の方法は、行政の承認を得て導入への胎動が始まったのである。

そして、平成8年3月の声を聞いた日、研究責任者の船橋敏昭くんより待ち望んだ手紙が届いた。「謹啓 春寒の候、貴職には益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。さて、かねてよりご指導いただいて参りました当市小中学校における文書管理についてですが、去る2月6日の小学校長会、8日の中学校長会、22日の全校事務職員を対象とした説明会を無事終了しました。巻教育長をはじめ市教委各部課長などへの施行資料の配布と挨拶も昨日実施し、いよいよ市立小中学校全65校で文書取扱要領(案)に基づく文書管理の施行がスタートすることになりました。

われわれ八戸市事務研が平成元年より行ってきました研究が、このように八戸市教育界全体のものとして施行段階までくることができましたのも、ひとえに山崎先生のおかげと関係者一同心より感謝申し上げております。そこで、お邪魔になるとは思いましたが、施行資料一式をお贈りしますので、ご高覧いただければ幸せです。平成8年度中の施行後、格別の支障がなければ平成9年4月1日付けで正式に制定・施行される予定ですが、全校での施行となれば種々の問題点も指摘され、またまた先生からご指導を賜わる場合もあろうかと存じますので、その節はよろしくお願いいたします」。

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なお、学校事務三月号では、八戸市の文書管理研究について詳細に掲載していただきありがとうございました。巻教育長と森林学務課長にも献本して一読願いましたところ、山崎先生によろしくお伝えくださいとのことでした。年度末を迎え先生もご多用の日々が続くことと思いますが、何卒ご自愛のうえご活躍のほどをお祈り申し上げます。敬具」。

八戸市立小中学校文書取扱要領と文書管理の施行を心からお祝い申し上げ、八戸市学校事務研究協議会と八戸市立小中学校文書管理検討委員会のご努力にたいし心からの敬意を表します。これまで粘り強く研究を推進された船橋くんの功績をだれよりも高く評価しております。本当におめでとうございます。

さて、昨年暮れに研究経過資料を速達で郵送くださりありがとうございました。年末の休業日が迫ってくると、学校事務誌三月号の原稿〆切も近づいてきます。御用納めまでにファックスで送ればと、いよいよ八戸事務研が登場する部分をかき始めようと思ったら研究の経過がわかりません。過去にいただいた資料を取り出してみましたが記録がありません。そんなときに電話をいただき、渡りに船とご無理をお願いいたしました。

学校事務誌三月号の影響はやはりありました。先日、宮崎県の仲間から札幌を視察すれば八戸市の事情もわかるので、旅費が節約できることもあって受け入れてもらえないかという電話がありました。そして、八戸市の情報公開はどうなるんでしょうかと心配していますので、四月号以降を継続購読いただければわかりますよと答えました。

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平成7年度に八戸の仲間が札幌市を視察され、研究責任者の船橋くんより具体的な説明を伺ったさいに八戸事務研の活躍を連載しようと考えた。研究者達に研究の到達点が見えていなかったが、かれらの目は輝いていた。連載するからには夢で終わるわけにはいかない。なにがなんでも実現しなければとの思いをこめて、題名を「神々の贈り物」とした。青森県大会の二週間まえに原稿用紙へむかい、「むくわれることのない努力を積み重ねた姿を神々はご照覧くだされた。私たちを記憶された神々は東北の地に喜びの種をまかれたらしい。」と連載(一)にかくことによって、八戸事務研の研究がかならず実を結ぶようにと祈りをこめた。

八戸市立小中学校用文書取扱要領の施行が決まり、集大成された文書管理資料を手にしたとき「東北の神々は私達を記憶され、連載の題名どおりに完結させてくれる。」ことを知った。岩木山にまします神々は願いを聞き届けてくださった。ほっとすると、車のなかで笑いころげていた順子さんと敦子さんを思いだす。不可能を可能にしたのは10円じゃない、百円のお賽銭だからと云ったたらまた笑い声が聞こえそうだ。

八戸市の教育改革を目指した仲間たちの研究は、教育界の賛同を得て市教委の採用するところとなった。7年もの歳月をかけて練り上げられた研究は平成8年4月1日に産声をあげた。これまでご苦労された八戸市学校事務研究協議会と、文書管理検討委員会の方々のご努力に対し心からの敬意と祝意を表します。

平成8年4月1日、八戸市に文書管理のモデル校をめざす新設校が誕生した。船橋敏昭くんが赴任した八戸市立白山台小学校である。

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13 すべては親しだい

八戸市立白山台小学校の船橋さんより、文書管理の報告会と検討委員会の解散式が行われるとの手紙をいただいたのは、5月初旬のことでございました。八戸事務研の文書管理研究は、一年間の試行を経てこの春から八戸教育界へ本格導入され、ついに打ち上げを迎えることができました。報告会は午後六時からとありますので、岩木山にまします神々へ悲願成就のお礼参りをかねて出向くことにいたしました。

岩木山神社に立ち寄ったのは青森県の事務研究平賀大会のおり。ちょうど紙袋をはずした時期で、あたりを埋め尽くした鈴なりのリンゴにあげる声も忘れ、その姿を心の奥に焼き付けておりました。あわい若草色をした王林、真っ赤に色付いた津軽や富士。雨上がりのひんやりとした爽やかな空気につつまれ、一本の木に百も二百もの実をつけているリンゴ。

かって、札幌の平岸地区はリンゴ園がつらなっておりました。盗難防止のために周囲は塀や垣根で覆われて、中には数匹の犬が放し飼いにされていました。近づく用事はなかったこともあり、リンゴがなっている姿を見かけたことはありません。いまは豊平区を貫く環状線の分離帯に観光用をかねたリンゴ並木がわずかに残されておりますが、樹木と果実の大きさがまるで違うようです。

枝も折れそうなほどたわわに実ったリンゴ。雨に洗われた色鮮やかな姿を直視するのが気恥ずかしく思えます。水滴のついた表面が目に入るたびに、胸がキュンと音を立てて、まだあげそめし前髪を思い出すのでございます。

平成9年7月11日午後6時より八戸パークホテルの大広間で、八戸市小中学校文書取扱要領施行報告会並びに文書管理検討委員会解散式が開催されました。事務職員以外の検討委員は校長が6名で養護教諭が2名。教育委員会より主だった課長が6名も参加されております。

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八戸市教育長代理として下田総務部長の御挨拶に続いて、事務研の研究を取り上げて文書取扱要領導入までの道筋を整えられた学務課長、現在は小学校の校長を勤められます森林先生の経過報告のなかに、このようなお話がございました。「青森県の事務研究平賀大会で山崎先生とわたしが助言者ということで招かれました。そのとき、分科会のステージにのぼられた事務研のメンバーの目が、キラキラと輝いていたことを覚えています。

文書取扱要領は、平成7年度より試行して加除修正を加え、平成9年1月に巻教育長へ答申したわけですが、要領の表紙にあった検討委員会名を教育委員会名と差し替えて、内容はそのまま印刷配布されました。文書管理が本格実施となった本年度に入り、事務研の齋藤会長よりいただいた礼状のなかに、「一同の悲願を成就させていただきました。」という一節がありました。八戸市の教育界を改善するため、事務職員と事務研が大きな情熱をかたむけられたことをあらためて認識し、惜しみない努力を粘り強く続けてこられた事務の先生方に敬意を表します」。

この暑いのに出張ですかという人に、八戸で一杯飲んでくるだけと気楽に出掛けたのですが、岩木山神社を参拝しようにも時間的距離的に不可能と分かったうえ、来賓挨拶の構想も不十分と気付いてホテルに閉じこもり、缶ビールを片手に思い出をたどりました。

平成元年9月より文書管理の研究を深められた八戸事務研、平成7年1月より教育現場導入へ向けての調整作業を行われた文書管理検討委員会。各団体各位の御努力が実を結ばれ、平成九年度より八戸市立小中学校文書取扱要領の施行に至りましたことを心からお祝い申し上げます。

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八戸事務研と私どもの御縁は、全事研秋田大会で発表した「情報公開制度への対応、札幌市における検討の軌跡」が切っ掛けとなり、平成3年11月に齋藤会長より視察団受入要請の電話をいただいたのが発端でした。以来、アサヒビール園でジンギスカン昼食、居酒屋ルックでの宴会、すすきのは来々軒のラーメン、六花亭のお菓子と館のケーキ。そして、青森県の事務研究平賀大会。弘前の菊富士、文書管理の研究をかならず成就させるという願いを聞き届けてくださった岩木山神社の神々、盛り上がった簡保の宿碇が関、風雨に襲われながら見学した三内丸山遺跡、青森港を望む西村でのじゃっぱ汁など、数多くの思い出が生まれました。また、八戸事務研のご努力の模様は学事出版社の月刊誌「学校事務」に連載した「神々の贈り物」を通して、努力することの尊さを改めて認識させ、全国の仲間に大きな感銘と勇気を与えました。

文書管理の研究はこれで終わったのでしょうか。いえ、文書管理は命を与えられたのです。これからは常に改良を必要とし、望ましい姿を求めていくのです。研究には完全も完成もありません。日々の実践をとおしての改良がなければ、時代にそぐわぬ過去の遺物となってしまいます。文書管理の研究こそ、決して終わることがないネバーエンディングストーリーなのです。みなさま方のさらなる研さんを期待し、一生の思い出となるこの会にお招きくださいましたことを感謝してお祝いの言葉といたします。

事務職員が取り組む研究は動物にたとえられます。産み落とすまでには長い苦しみを味わいます。産み落としたら社会に適応できるように躾けなければなりません。生みっぱなしで放置していれば、人間世界と同様なことも起こります。問題を発見したら直ちに是正し、誰にも迷惑をかけず、誰からも好かれるようにと導くことが大切です。

こんなことをいえるようになったのは、同じような失敗と挫折感を味わってほしくないとの願いからでございます。

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