はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第23章 プロレスの掟(おきて)

テレビ中継で初めてプロレスを観戦したのは67年も昔のことである。中学時代は柔道と相撲で鍛え、横綱吉葉山にスカウトされてこともあり格闘技は好きだった。ミスター高橋レフリーの著作「プロレス」で若いころからの考え方が正しかったと裏付けられた。

1 八百長というもの

興行は観客を集め、料金を取って見世物などを催すことである。昭和30年代はお祭りになると「見世物小屋」が立ち並び、様々な芸が披露されたが通常のサーカスとは違い、奇異な外見に主眼を置かれていた。

人権侵害という言葉がなかったころ、「かわいそうなはこの子でござい、親の因果が子に報い」との口上に釣られて入ると、身体障がい者が登場してつたない芸を見せることもあった。蔑視とはいえ、身障者が収入を得る生活手段としての一面も持っていた。

へび女、人間ポンプ、タコ娘、ロクロ首など、最盛期には数百軒を数えたという見世物小屋。猿と魚のミイラを継ぎ合わせて「人魚」として披露している店もあった。芸の他にも当時はまだ珍しかった動物を披露していた店もあった。

奇異に主眼が置かれている見世物小屋の多くはいい加減な出し物だった。学生時代はへびを恐れない女や人間ポンプに感心していたが、タコ娘やロクロ首はすぐにインチキとわかるものである。しかし、うっかり言葉に出そうものなら怖いお兄さんに睨まれた。

江戸時代に八百屋の長さんが、相撲の親方と囲碁勝負をしたがいつも負けてばかりだった。ところがこの長さんは囲碁名人と勝負して勝ったこともあり、わざと手を抜いていたことが明らかになった。ここから故意に敗退することを「八百長」と呼ぶようになった。

八百屋の長さんと違って、その後の八百長は双方の合意(または暗黙の了解)のうえで行われることも多く、負ける側のほうが賭博あっせん者などから予め金を受け取る約束などを交わしているパターンが殆どである。

本当に八百長行為が行われたことが明らかであった場合は、殆どの競技で法律に違反する犯罪行為として、永久除名・永久処分という厳しい処罰が行われる。ところが八百長が当たり前のために罰することができないのはNHKが独占放送している大相撲である。

2000年1月に板井圭介元小結が現役時代の八百長相撲を認め、八百長にかかわった横綱曙太郎以下20名の実名を公表した。しかし、日本相撲協会は「板井発言に信憑性はなく八百長は存在しない。しかし板井氏を告訴もしない」とこの問題を決着させた。

2010年に発生した大相撲野球賭博問題の捜査で、警視庁は関係力士の携帯電話の電子メールを調べたところ、10数人の力士が八百長をうかがわせるメールのやり取りをしていたことが判明し、取組の結果はメールの内容通りになったと発表されている。

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2 プロ中のプロの世界

プロレスは八百長だ!公然と罵倒された時期があった。セミファイナルからテレビ中継がある場合は、一応番組の進行が決まっている。しかし、勝負だから必ず予定通りに進むはずもなく、極端に前の試合が延びたり早く終わりすぎると興行上も放送上もまずい。

入場料を取っている興行であると同時にテレビ番組であることもレスラーは意識しているが、試合が始まると戦っている者は時間のことなど頭から吹っ飛んでしまう。そこで試合の邪魔をしないようにうまくレスラーに時間を伝えるのがレフェリーの役割である。

前座試合が長引きメインイベントの開始時間が遅れそうになるのは困る。放送時間帯に入らなくなり、しかも開場は時間で借りている。そのレスラーが明らかに勝てる相手に余裕をもって試合をしている場合は「時間がないからや早くいっちゃえ」とささやく。

反対に前座試合が早く終わりすぎて、メインイベントが放送前に始まってしまうのも困る。そんなときは、負けそうなレスラーをそっと勇気づける。「頑張れ、あと5分、あと5分だけ頑張れ」。弱い選手を贔屓にしているのではない。

勝っても負けてもプロはプロである。その一言でレフェリーのいう意味が伝わる。体調が悪くて試合をあきらめかけていたレスラーが、レフェリーの耳打ちでがぜん元気を取り戻したこともある。

数千円の入場料を支払って入場したのに、全試合が30分で終わったら満足するだろうか。テレビが1時間枠で中継というのに30分で終わったら、視聴者は残りの30分間おとなしくコマーシャルを見ているだろうか。不満を漏らしながら他の番組を見るだろう。

レフェリーがレスラーのボディチェックをしているときは、「凶器を使っちゃいけないよ」とか「場外乱闘は反則だよ」などと決まり文句ばかりを並べているわけではない。試合でリングに上がったレスラーはかなり緊張している。緊張を解かなければ怪我をする。

あくまでもケースバイケースだが「焼き鳥がうまい店があるんだ。今晩行こうぜ」「いい女のいる店があるんだ、今晩つれて行くよ」「冷たいビールを早く飲もうぜ」。人間どうでもよいことをポツンといわれると緊張が解けて楽になるものである。

テレビ中継は通常カメラが三台用意される。どのカメラから映されているかを常に把握していなければ、レフェリーのお尻ばかりがお茶の間に映し出されてしまう。レフェリーはあらゆる手を使ってショー全体をコントロールしているのである。

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3 プロとしての信頼

刑法には「違法性阻却事由」という項目があり、この「正当業務行為」はプロ・アマを問わずボクシングにも適用され、アマチュアレスリングや柔道、空手においても同様である。格闘技だけでなくスポーツ競技でも起きたアクシデントは原則的に罪を問われない。

死刑執行人が死刑囚の死刑を執行するのも、医師が手術で患者の体にメスを入れて切るのも「正当業務行為」である。手術をする医師は患者の命を預かっているのと同じようにレスラーはお互いに命を預けあって試合をしているのだ。

プロレスの試合を裁くレフェリーはリングに上がっているレスラー全員の命を預かっている。この命を預かっているという意識が、他の格闘技よりも強いのがプロレスのレフェリーである。ルール違反で相手を殺してもプロレスは罪にならない可能性が高いのだ。

いままでのプロレスの歴史を振り返ると、反則技や反則行為で相手に大けがをさせた例は無数にある。殺人はまれだがないわけではない。しかし、レスラーがルールを破ったから法律違反だと、刑務所に収監されたという話を聞いたことがない。

反則はカウント5以内なら許されているし、5カウントを過ぎたら反則負けを宣告するかどうかはレフェリーの判断に任されている。カウントを数える前に即刻反則負けを告げるケースもあるが、通常のプロレスの試合ではめったにない。

プロレスの試合で窒息させてやろう、目つぶしで失明させてやろうという意思をもってリングに上がり、それを実行しようと思えばできる。他の格闘技なら未遂で止められる暴走行為も、見過ごされてしまう可能性が高い。そして、殺意の立証は非常に難しい。

もちろんこれは試合中のケースであり、いったんリングを下りれば話は別であるが、そこには微妙な部分がある。試合前に控室で相手を襲ったとか、試合後のもめ事で喧嘩になり殺したり重傷を負わせたというケースである。

試合ではなく「時間外」だから正確に言えば罪になるはずだが、プロレスには見せる部分がそこまで含まれている。そうなると、罪にならない可能性もある。これも他の格闘技では考えられないことである。

法律的にみるとプロレスほど相手を殺したり致命的なけがを負わせやすい商売はない。だから、プロレスでは相手に怪我をさせないこともレスラーの技量として評価されているのだ。そして、一線を超えそうになる時にレスラーの頭を冷やすのがレフェリーである。

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4 厳正な裏のルール

厳正な裏のルールを破ったレスラーがいた。血の気が多くて、一度火が付いたら何をしでかすかわからない、頭角をあらわす以前の若手レスラー橋本真也選手である。橋本が前座で頑張っていたころ、何人かの若手と一緒にメインイベントのリング下に控えていた。

アントニオ猪木とアブドラー・ザ・ブッチャーのシングルマッチである。試合はいつものようにブッチャーがラフファイトで暴れまわり、凶器を持ち出して執拗な反則行為を続けた。そして、両選手がもつれあい、場外に落ちて乱闘になったときに事件は起きた。

橋本選手が猪木選手に加勢して、ブッチャーに強烈な蹴りを見舞ったのである。橋本選手に何の悪気もない。あまりにもブッチャーが悪いことをするので、正義感と猪木選手を応援したい気持ちから、とっさにやってしまったのだろう。

しかし、これはプロレスの世界では絶対にやってはいけないことだった。セコンドの選手が試合中の選手に手を出したことではない。これも反則行為なのだが、そんな行為はプロレスでは珍しいことではない。

絶対にやってはいけないことは「若手がメインイベントに出ているトップレスラーを襲う」ことである。当時トップレスラーだった藤波辰巳選手が猪木選手のセコンドにつき、たまりかねてブッチャーを襲ったのなら話は別である。

セコンドが誰であれ、試合中のレスラーに手を出したらレェフリーは注意する。あまりにもひどい場合は、加勢してもらったレスラーを反則負けにすることもある。その反則と橋本選手の反則は全く意味が違った。

まだファンに顔も名前も知られていないような若手がこれをやったら、プロレスは成り立たないのだ。セコンドが手を出してはいけないがプロレスの「表のルール」。このときに橋本選手は「表もルール」よりも厳正な「裏のルール」を破ってしまったのだ。

若手がトップヒール(悪役のエース)を臆することなく蹴っとばしたら、ファンは「なんだ、ブッチャーはその程度か」と思ってしまう。それはブッチャーの商品価値を落とすだけでなく、猪木選手にとってもマイナスになる。

プロレスの試合は、第一試合からメインイベントまで一つの連続したドラマである。メインでフィナーレを飾るためには、前座は前座の、プロレス中堅には中堅クラスの役割がある。当時は、猪木選手が不動のトップだった時代である。

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以前は今より試合から試合への連続性が重視されていた。例えば、猪木選手が使う派手な大技はやろうと思えばできたとしても、前座のレスラーは絶対に使わなかった。前座が同じことをやっていたら、メインの猪木選手がかすんでしまうからだ。

これは、プロレスを成立させている不文律、暗黙のルールである。時代が移って最近はファイトスタイルが自由になってきたが、根底にある不文律は変わらない。橋本選手がブッチャーを蹴飛ばした後、理由の説明もなく橋本選手は試合から外された。

同期の武藤啓司や蝶野正洋が毎日試合に出ているのに、なぜ自分だけが出られないのだろうと、ずうっと橋本選手は不思議に思っていたようだ。そのうち、橋本選手は大先輩の星野勘太郎選手に相談した。事情が分かっている星野選手は橋本選手を説教した。

星野選手に連れられアントニオ猪木とアブドラー・ザ・ブッチャーのシングルマッチの高橋レフェリーに「橋本に言って聞かせたから、カードを組んでやってよ」と謝りに来た。だが、橋本選手は謝っても自分が悪いことをしたとは思っていなかったようだった。

それから長い年月が過ぎ、橋本選手が押しも押されもしないトップレスラーになってから、改めて高橋レフェリーに「あのときはすいませんでした」と謝りに来た。お客さんに夢を売るプロフェッショナルとして、やってはいけないことがはっきり見えてきたのだ。

もしも、橋本選手が当時に猪木選手の立場で、セコンドの若手が昔の自分と同じようなことをしたら、おそらく彼は後で若手に制裁を加えるだろう。いや橋本選手のことだからその場でぶん殴ってしまうかもしれない。

レフェリーは「表のルール」に基づいて試合を裁きながら、こうした「裏のルール」にも気を配っている。両方のルールは文字通り表裏一体の関係にある。この表と裏がからみあってこそ、プロレスはプロレスになるのである。

ルールブックがなくてもプロレスの試合が成立するのは、リングに上がる者だけが知る厳密な裏のルールが生きているからだ。裏のルールとはプロレスと喧嘩を分ける境界線にある掟であり、ファンに夢のある戦いを提供するための不文律である。

掟を踏み外して相手を攻撃した時、プロレスは喧嘩に代わる。掟を守れないやつがリングに上がると、レスラーたちの生命に危険をもたらす。だからこそ、裏のルールは絶対なのであり、それを守れない者は追放される。

その秩序をリング上で見守り、管理するのがレェフリーだが、さらにその背後でにらみを利かせているのがマッチメーカーという存在だ。リング上の世界に関して絶対的な権限を持ち、いつ殺人マシンに変貌しても不思議でないプロレスラーを監督している。

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5 観客より選手の命

プロレスを忘れているなと、試合を裁いているレフェリーはそう感じることがあるそうだ。戦っているレスラー同士、あるいは片方が興奮し過ぎて裏のルールを逸脱しそうになる場合がある。そんな時は、リズムが微妙に変わってくるのですぐにわかるそうだ。

とにかく、危ないと思ったときにレフェリーは二人の間に割って入る。「ちょっと落ち着け」というように声をかけて、冷静さを取り戻すように仕向ける。そうしなければ致命的な怪我をする危険性があり、そのレスラーのイメージを傷をつけることにもなる。

レスラーがアクシデントで怪我をして、これ以上やらせるのは危険だと判断したときも試合を止める。この場合は一時中断でなく、レフェリーの権限で試合を終わらせるのである。観客のことも考えているが、選手の命を救うことも大切である。

藤波辰巳選手がジュニアのチャンピオンだったころ、藤波選手の地元大分でのジミー・スヌーカーとの試合中だった。試合がヤマ場を迎え、ファンの興奮が最高潮に達しようとしたとき、藤波選手はリング下の金具で側頭部を深く切った。

見る見るうちに”ドクドク”という勢いで血が噴き出してきて、明らかに傷が太い静脈まで達していることがわかった。ミスター高橋は、即時にレェフリーストップを告げて試合を止めた。するとゴングの直後から、ものすごいファンの怒号がリングに伝わった。

「まだやらせろ」「こんなことで藤波はギブアップしない」「高橋のバカヤロー」。観客全員がレェフリーの裁定に抗議し、やらせろというコールが渦巻いた。ミスター高橋レフリーはリング上でマイクを握って観客に話しかけた。

「私はレフェリーとして、両選手の命を預かっているのです。みなさんは藤波選手が好きでしょう。藤波選手を応援しているのでしょう。その藤波選手にもっとやれ、もっとやれと言って無理をさせて、選手寿命をいじめていいんですか。

それが本当の藤波ファンのすることですか」。すると、場内の抗議は拍手に代わった。レフェリーも試合を盛り上げたいのはやまやまだが、選手の命には代えられない。どんな重要な意味を持つ大切な試合でも、止めるべき時には止める。

毎日全試合が名勝負でファンが満足してくれるに越したことはないが、実際にはそんなことは不可能だ。レフェリーも観客に喜んでもらうために仕事をしているプロ。レスラーの名誉と命を預かっている以上、レフェリーには絶対に譲れない一線があるのだ。

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6 ぶち壊された試合

力道山と木村正彦の試合が行われたのは1954年12月だった。「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」といわれた不世出の柔道家である木村正彦が、世間でいうところのセメントマッチで力道山に無残に敗れ去った。

私は後にこの試合をVTR録画で見たが、満足するどころか「なんだこの馬鹿げた試合は」とミスター高橋レフリーと同じ感想だった。この試合のレフェリーは、日本プロレスに雇われていた日系二世のハロルド登喜だった。

試合は力道山が空手チョップの乱れ打ちで、木村選手をノックアウトしたと記録されている。しかし、プロレスのルールの中に「ノックアウト」はない。たしかに空手チョップの乱れ打ちでコーナーに追い込まれ、倒れたところを蹴りまくられたのは事実である。

あの試合で力道山が完全に切れていたのは間違いない。試合途中で、木村選手の蹴りが誤って力道山の急所に入ったそうだ。これが力道山の怒りに気を付けて、痕は試合にならなかった。間違って急所を蹴ってしまうことは、プロレスでもよくあることである。

わざとではないとわかっていても、やられたほうはカッとくる。ましてや全国民が注目する大相撲出身者と柔道出身による天下分け目の戦いである。お互いが面子をかけてプロレスという共通の舞台で激突するという天か分け目の戦いである。

急所を蹴られた力道山が冷静さを失っとしても不思議でない。レフェリーは殴られようが投げられようが力道山を落ち着かせ、木村選手を絶たせて、軌道修正をしなければならない場面である。意図的な反則行為でないのだから、レフェリーは制すべきだったのだ。

二人の間に入って落ち着かせたうえで試合を続行すべきだった。勝負の結果がどうあろうとも、もっと木村選手のすごみが発揮された試合になり、力動山の株も上がったに違いはなかった。試合は盛り上がり、観客や視聴者を満足させたはずである。、

木村選手はノックアウトされたり、ギブアップしたわけではない。日本プロレス史上初の日本人同士の大一番の後、試合の不透明な結果と試合内容に対するファンの不満からプロレス人気は落ち込んだ。世紀の大一番はレフェリーによってぶち壊されたのである。

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7 演出と演技力

新日本プロレスには、ジャイアント馬場が率いる全日本プロレスのような外人のスター選手はいなかった。観客動員数を増やしてテレビの視聴率を上げるために、猫でも未知なる強豪に仕立て上げたいくらいに外人のスターが待望されていた。

「今度の奴は、本当に頭が狂っているから気を付けてくれよ」と猪木選手に言われ、ミスター高橋レフェリーはその男を羽田空港へ迎えに行った。1973年の5月、タイガー・ジェット・シン初来日の時である。

シンを呼ぶきっかけになったのは、旅行会社のYさんからの熱烈な推薦だった。Yさんが仕事先のカナダのプロレス会場でシンの試合を見て、ぜひ日本で試合をさせたいと思ったそうだ。新日本の関係者はだれもシンを見たことがない。

Yさんの「とにかく凄い奴」という言葉だけを信用してブッキングすることになった。「狂っていて、とにかくすごい」といった猪木選手さえ、どこまで知っていたかわからない。猪木選手のこの言葉がミスター高橋レフェリーの頭の中に響いていた。

写真を見ると端正な顔立ち品があり、どう見ても狂った男には思えない。その男は羽田空港のVIP用出口から姿を現した。端正なスーツを着こなし、終始スマートな紳士の振る舞いでミスター高橋レフェリーとあいさつを交わした。

そばに立っていると心地よい香りがする。なんという香水をつけているのか聞くと、丁寧な物腰で「イングリッシュレザーです」と答えた。当時のレスラーで、そんな洒落た高級コロンを付けているものはいなかった。

本当にこの男をヒールとして売り出せるだろうかと不安になるほど、その後のシンの日本でのイメージとはかけ離れた生の姿をミスター高橋レフェリーは見た。意外だったのは見た目の印象だけでなく、シンほど日本に溶け込もうと努力したレスラーはいなかった。

驚いたのは、シンは箸を上手に使った。ミスター高橋レフェリーが納豆を食べれば、真似して平気で納豆を食べる。生卵をかけて食べれば、同じようにまねををする。ミスター高橋レフェリーは、猪木選手から「今までにないヒール」にするよう指示を受けていた。

そのためには絶対にファンとは接触させない、ファンと一緒に写真を撮るなどもってのほか。そばに近寄ることもできない危険極まっりない来る打った男になりきることに、シンも同意していた。単なる仕掛けではない

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プロとしての彩を加えるための演出であって、それを生かせるレスリングの基礎技術をシンは身に着けていた。その実力を認めたうえでの会社の戦略だったのだ。シンはリングを下りてから、日本人レスラーと顔を合わせることも絶対になかった。

これはシンに限ったことではないが、猪木選手が現場で目を光らせていた当時は今以上に徹底していた。試合で緊張感を出すには、かくあるべしという原則を貫いていたからだ。日本人でまとまな姿のシンを見ていたのはミスター高橋レフェリーだけである。

シンも寂しかっただろう。狂っているのだから、巡業先の駅の売店で気軽に買い物をすることなどはあり得ない。いや、あってはならないのだ。いま迄にないヒールのキャラクターを作り出すために会社が決めたルールを、シンは一生懸命守った。

シンがヒールならミスター高橋レフェリーもリング上ではヒールだった。高橋はシンの味方ばかりしているといった批判が多かった。あの当時、高橋がベビーフェイスのレフェリーをやっていたら、あれほど猪木対シンが盛り上がることはなかったろう。

猪木はシンだけじゃなくフェリーにも苦しめられている。負けるな猪木、頑張れ猪木、というのが当時のファンだったからこそ、会場はヒートアップしテレビの視聴率は20%台をたたき出した。そのおかげで高橋レフェリーは一時期家の近所も歩けなかった。

ゴールデンタイムの影響力はとてつもなく大きく、世間はミスター高橋レフェリーをシンに味方する姑息なレフェリーと位置付けていた。もちろん、それは猪木選手が望んだことでありレフェリーがベビーフェイスなら試合は全然面白くない。

それを一番わかっていたのは猪木選手である。ミスター高橋レフェリーはファンの反感と憎悪を買うことを承知で試合を裁いた。シンの秘戦後史開封められた才能を引き出そうとする猪木選手の努力にミスター高橋レフェリーは呼応し続けたのだった。

善玉の日本人と悪玉の外国人という図式がはっきりしていて、猪木選手は絶対的なヒーローでなければならなかった時代だったのだ。いかに今とファンの意識が違うかがわかる話である。猪木の作戦に従ったシンとミスター高橋レフェリーは一時代を築いた。

日本政府は、東日本大震災被災地の児童に寄付金を送るなど支援活動を続けてきたカナダ在住の元プロレスラー、タイガー・ジェット・シンに両国友好親善への貢献に感謝する表彰状を授与した。授与式でシンは「49年間過ごした日本は私の故郷」と語った。

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謝辞:文中の敬称は省略させていただきました。

参考文献:プロレス 至近距離の真実(ミスター高橋、講談社+α文庫)など