24.notoとの出会い
購読している「日経PC21」に「noto」の紹介記事がありました。気軽に記事を投稿して発信できるサービスで、「スキ」「フォロー」「コメント」などの機能を使った交流も盛んで、有料記事としても販売できるそうだ。
そんなものができたのかと覗いてみると、なるほど様々な記事が投稿され、レンタルサーバーで挫折した老人でもなんとかなりそうだ。早速記事を書いて投稿してみたが、プロフィールやテーマの設定がうまくいかない。
16日に「noto」へアクセスしてみると、14日に投稿した「住まいを求める悩み」が「30回も」読まれていた。マンション管理をテーマとして記事を書き続ける予定だが、30回も読まれているとがぜん意欲がわいてきた。
次は有料記事にしようと「マンションの立地調査をしよう」の記事を書き上げた。もう少し内容を充実させてから投稿しようと考えている。ホームページと異なり、読者の反応がわかるのが素晴らしいと思った。
23.みんな私が悪いのか?
Google以外の広告で収入を得ようと、新たにレンタルサーバーを3年契約しました。さらに、最新テーマをインストールして、ライセンス認証をすると受け付けてもらえません。
サーバーのサポーターに質問すると、マニュアルを読めといいます。読んでも質問の回答は掲載されていません。何度も質問するので、そのうち面倒になったのでしょう、「サポートフォーラム等」に質問するようにと指示します
2度ほど質問しましたが、望んでいるような回答は得られません。毎日のようにマニュアル等を検索して調べましたが、さっぱりわからない。「無効なサイト登録キーです」が表示された場合の対処方法という説明はありません。しだいに不信感が募ってきました。
万策尽きて、妻と話し合いました。レンタルサーバーを契約して一カ月以上になるけれど、一歩も前へ進むことができず使う事が出来ない。使い方について質問しても自分で調べろという。2度ほどサポートフォーラムへ助けを求めたが、明確な答えは届かない。どうすべきか迷っている。
お金を払って契約したのに、一カ月以上も使えないのなら詐欺みたいでしょう。質問しても使い方を教えてくれないのなら、サポートとは言えないでしょう。このレンタルサーバー会社のサポーターって、本当にサポートの方法を知っている人たちなの。
以前にもずいぶん悩んでいたことがあったし…、もうお金は返ってこないのでしょう。毎日悩んでいる姿を姿を見たくないから、詐欺にあったと思ってもうやめなさい。いまの若者は、年寄りなんか相手にしないのよ。
わかった。国勢調査の調査員を引き受けたので、その報酬が入ったら契約金でとられた金額の穴埋めをするよ。
そんなわけで、決断しました。一度も使えなかった新規テーマを解約し、一度も使えなかえないレンタルサーバーも解約します。どのような手続きが必要ですか。わかりやすく教えてくださいと連絡しました。
するとわかりやすい回答があり、その後、サーバーは、解約されたことを確認いたしました。また、自動更新設定の解除およびクレジットカード情報の削除も完了されました。新規テーマは「買い切り」となり、今後費用が発生することはなく特にご解約いただく必要もございません。
ドメインも、ひょっとしたら、WordPressやテーマの設定をわかりやすく指導してくれるレンタルサーバー会社が見つかれば、移管して使用したいと思います。と変身しましたが、もうレンタルサーバーはこりごりです
22.アフリエイトに挑戦
アフリエイト広告を始めようと、Googleが提供しているGoogleアドセンスを使い、アフィリエイトを始めようと思いました。「はげちゃんの世界」の審査を受けると「残念ながら審査には通りません」でした。Googleの審査はかなり厳しいようです。
そこで、A8ネットとアフィラボに登録しました。大手のA8ネットは商品数が多いので、紹介したい商品を探すのは時間がかかります。1時間ほど探しましたが、紹介したい商品に巡り合えません。その日はあきらめなました。
翌日、アフィラボウィ挑戦しました。A8ネット同様に1時間程探すと、「あかまる防災カバン」に目が止まりりました。災害発生時に必要な救命用品が充実しています。しかも、他の非常持ち出し袋と比較しても雲泥の差です。
これは「はげちゃんの世界」の読者へ紹介した方が良い、いや紹介しなければと思いました。どのようにして紹介しよう。そうだ、「減災と防災」と「MS管理体験」が良いだろう。そんな理由で広告を掲載しました。

東日本大震災を経験された防災士と消防士が協力監修された、あかまる防災カバンには他の非常持ち出し袋などにはない防災携帯用除水器や簡易トイレなど、いざという時に必要になる用品が揃っているので、区分所有者へ備えるよう推薦しましょう。
アフィリエイト広告 ⇒
21.頂いた絵画
1994年の1月頃でした。用務員さんが事務室へきて「池田先生の描かれた絵画を、校長が欲しがっているそうだよ」「そう、どんな絵なの」「美術準備室の壁にかかっている小樽の絵なんだ」「小樽の絵ね」「池田先生の絵は10万円以上するそうだけど、ただでほしいといったそうなんだ」「ただで?」「俺は校長だってさ」。
美術準備室へ行き、在室していた池田先生に断わり絵を見せていただいた。絵画鑑賞の趣味はないが、校長が欲しがった理由を考えた。遠景の山が少々かすんでいる。海に突き出した半島の緑が強烈である。手前に建っている家々のトタン屋根に住む人の希望が感じられる。
しばらく見てからお礼を言って戻った。翌日から毎日のように、小樽の絵の前に立って眺めた。遠くの町はどこだろう。恐る恐る質問すると、小樽の町という。しばらくすると、半島の緑が濃すぎたとおっしゃる。もう少し薄くすれば遠近感が出たそうだ。
あなたはこの絵が好きですか。ええ、海が見えるところが好きです。手前の緑に覆われた風景、左側の海そしてかすんだ遠くの町と山々、浮かんでいる雲に以前見た風景を思い出します。絵を見ていると心が落ち着きます。絵の力ってすごいですね。
2~3日後に池田先生は、小樽の絵を持参されて事務室の壁に金具を固定され、額縁に入ったままの絵を飾ってくださった。
それから3か月後の1994年3年16日のことです。勤務していた中学校の卒業式で、池田先生が挙式の進行係を務められ、式次第を述べられて着席しようとした時です。その場に力なく崩れ落ちたそうです。先生方や父兄の方々が、慌てて助け起こそうとしましたがぐったりして全身の力が抜けています。
養護教諭の指示で職員室へ走った教諭が救急車を手配しましたが、この日はなぜか全救急車が出動していました。池田先生は参列されていた内科医と養護教諭に付き添われて、一階事務室の前の廊下へ運ばれてきました。廊下に仰向けに寝かされた池田先生の表情は真っ青でした。
池田先生は狭心症の持病があり、友人からもらったニトリという薬を飲んでいたそうです。養護教諭が、美術室の机の引き出しを探しましたがニトリは見当たりません。しだいに呼吸が途切れるようになってくると、養護教諭は心肺蘇生術を始めました。
事務室で文房具納品業者に購入予定品の見積を依頼していた私は、10分おきに119番へ救急車を要請しましたが、一台も戻っていないという回答です。交代で心肺蘇生をしていた内科医が池田先生の瞼を持ち上げ首を振ると、養護教諭は意を決してマウス&マウスの人口呼吸を始めました。
救急車はまだ戻っていません。いらいらしながら受話器を握りしめていると、一時間後に救急車が到着して池田先生のかかりつけの医師のもとへ搬送され、その後、養護教諭が付き添って市立病院へ搬送されたそうです。
卒業式終了後の緊急職員会議で校長は、札幌市立病院へ付き添っていった養護教諭から、池田先生は息を引き取ったと電話があった。学校から直接市立病院へ搬送すれば助かったかもしれない。養護教諭のミスが池田先生の死を招いたようだ。
この報告に、私は怒り心頭に達し立ち上がって発言した。養護教諭は池田先生の主治医へ電話で症状を説明し、すぐ連れてくるように指示されてその指示に従った。池田先生の症状を診た主治医は、手に負えないから市立病院への搬送を指示したと思われる。
全市の救急車は出動していて、要請してから1時間以上かかって到着した。到着するまでの間、心肺蘇生術やマウス&マウスの人口呼吸で全力を尽くし、命を守っていた養護教諭に責任はありません。
葬儀の後に、事務室訪れた池田先生の奥様に「この絵は池田先生が飾ってくださいました。思い出にいただいてもよろしいでしょうか」とお願いしてご了解いただきました。退職と共に今は私の部屋に飾っています。
20.防災トイレとテントを購入
テレビで宣伝している夢グループの「折り畳みトイレとテント」を購入しました。価格が10,000円ですから、安かろう悪かろうという商品と思っていました。納品された段ボールを開くと、トイレもテントもしっかりしています。

さすが防災士が監修したというだけのことはあります。かって、町内会用に個室テントと丸椅子状の便座を20組購入しましたが、それと比較しても遜色ありません。非常に良い買い物をしたと思っています。
19.北大の地震講演会(06.21)
6月14日に、地震の講演を聞くために北大の学術交流センターへ出かけました。通りかかった方に聞くと、本日は行事がありませんと言います。おかしいなとスマホで検索すると、会場は理学部3号館でした。
農学部の玄関前で雑草を抜いている人がいたので、理学部3号館はどこですかと尋ねると、3号館という言葉を言う前に、「ああ、理学部ね、右の道路をまっすぐ進んで北大病院を超えたら左へ曲がってください」「案内板を見ると、このあたりの右側のように書いてありましたが」「いいから、右の道をまっすぐ進み、北大病院を超えたら左ですよ」
北大病院を越えて左へ曲がってもさっぱりわかりません。学生が歩いていたので尋ねると、北大の学生ではないといいます。30度を超える日差しの中を歩いていると頭がクラクラします。あきらめて帰宅しました。
一週間後に、再び北大理学部3号館へ出かけました。北大正門前から入ったのが間違えで、再び迷いました。北12条から入れば直線で行けます。やっとたどり着いて、講義を受けることができました。早稲田大学の先生の講義は、受けてよかったという感想です。
帰宅するときに、再び道に迷いました。なぜか北7条西12丁目に出てしまったのです。JRの高架線が見えたので沿って行けば札幌駅へ行けると考え、歩き始めると西へ向かっていました。慌てて戻るとバス停があります。北24条行とあります。
停留場に立っているとタクシーが来るのが見えました。思わず止めて札幌駅までと告げて送ってもらいました。今まで迷ったことはなかったのですが、歳のせいなんでしょうね。
18.蔵書の処分を決断(06.14)
終活という言葉を聞いて、そろそろ考えなければと思いました。蔵書の引き取り手をネットで検索すると、山形県のもったいない本舗を知りました。段ボールを送ってたただけるうえ、運送費用も負担してくれるそうです。蔵書の4分の1をご紹介します。


蔵書256冊をダンボールに詰めていくと7つになりました。買取金額は全額を石川県災害基金へ寄付しました。蔵書を納めていた書架はH200D45W180もの大きさです。これを大型ごみに出しました。運ぶのに一苦労でした。
17.苞の花と対面(06.03)
気温の上がらない午前中に、白石こころーどを散歩しました。みのる公園まで来ると、5年ほど前に見た苞の花が見たくなりました。カラスなく声が気になりましたが、月寒川を越えると左手の草むらに苞の花が咲いていました。
苞(ほう)の木はそれほど大きくなっていず、ちょうど顔のあたりに花が咲いています。「しばらくぶりだ、きれいな花が咲いたね」「あんまり来ないので病気でないかと思ったよ」「そうか、今日は体調いいのでここまでこれたよ」「元気でよかった」「これからも、時々見に来るよ」。
朴の木の実は大きく、とても目立つ赤色をしています。ドリアンのような形状をしていますが、この実はたくさんの袋(たいか)が集まってできています。秋になると、このひとつひとつの袋から、橙色や赤色の種子が現れます。これを見るのが楽しみです。
16.国勢調査員の依頼(05.20)
午後2時頃、地下鉄駅から自宅へ向かう途中で町内会長に出会いました。町内会の役員たちは国勢調査の調査票を訪問配付し、回収するのは面倒と誰も引き受けないそうです。過去に何度も調査員をしているので、今回もお願いできないだろうかといいます。
町内会長が困っている野を見ると放置しているわけにいきません。「わかった、いいよ引き受けるよ」と云うと、「町内会の住人は、前回よりも増えているので一人で大丈夫かい。「賃貸マンションが二棟増えただけでしょう。大したことはないよ」「そうかい、助かった」。
22日に町内会長へ届いた「令和7年国勢調査の推薦について」という文書を見ると、調査員は3と書いてあります。1丁角の町内会の調査に3名も必要とは、どんな計算をしているのでしょう。思わず吹き出しました。
15.理事長から謝罪の電話(05.12)
昨年暮れの修繕セミナーに参加したとき、一緒に参加した理事長より、大規模修繕が目前なので次期理事長を受けてもらえるかと打診があり、了解しました。5月の初めに総会の連絡があり、3月12日にプリンターを購入したので、理事長の仕事ができると安心していました。
5月9日に届いた総会議案書を開くと、次期役員には推挙されていません。総会への委任状に、「修繕セミナーで打診されたのでプリンターも購入して準備を整えていました。残念です」と記入し、同封の大規模修繕用資料を新理事へも配付しましたと記入して理事長のメールボックスへ投函しました。
就寝時間となった20時に理事長から謝罪の電話がありました。何をしているんだか。
14.河内晩柑が届く(05.02)
4月30日に愛媛県の吉田農園へ今年も河内晩柑を注文しました。いつごろ届くだろうと楽しみにしていると、なんと5月2日に届きました。あまりの速さに驚きました。
河内晩柑(かわちばんかん)は初夏から夏にかけて収穫できる黄色くて大きな柑橘です。見た目や大きさはグレープフルーツに似ていますが、グレープフルーツのような苦味は少なく、さっぱりとした甘みのある品種です。さっそく食べるとそのジュシーなこと。びっくりしたな~もう。
私は、愛媛県の西南端、南宇和郡愛南町の吉田農園に注文しています。電話番号は「0895-72-3954」で、受付時間は平日9時から17時(日曜・祝日は休みです)までです。ぜひ取り寄せて、ご賞味下さい。おいしさに驚きます。
13.右手でワインの栓を(04.28)
指根管症候群の手術を受けてから両手の筋肉を着けなければと、指根管症候群の手術後1年ほど経過してからハンドグリッパーで握力をつける運動を始めました。握るときも放すときもゆっくりした動作で週に2日だけ。筋肉をつけるには毎日運動するのはマイナスとか。
トレーニングアドバイザーの花岡美智子先生著作の「筋力トレーニング最強バイブル」に掲載されている通りにしました。おかげさまで、左右の手ともに握力が戻り、ワインのふたが開けられるようになりました。
12.ブログ収益化入門講座受講(04.20)
あちこちのブログを見ましたがShimanoさんの「超初心者向け!ブログ収益化入門講座」が面白そうで、無料と分かり受講を決めました。さまざまな講座がありますが、佳境に入ると次からは有料となります。そんなことはないそうなので受講しました。
講座内容は基本中の基本の説明ですが、はっと気づかされることもありました。講座のテーマを列記すると、次のようになります。
【第1講】好きを仕事にする!のすすめ。【第2講】インターネットビジネスとは?超具体的な始め方。【第3講】時給で働く危険性×マーケティングの力。【第4講】必見!超具体的なアフィリエイト開始方法。【第5講】資産価値1億円サイトの作り方。【第6講】ブログのテーマ設定。
興味のある方は受講されてはいかがですか。instagramには過去のライブが掲載されています。「しまの@好きしごコンサルタント」で検索してください。
11.右膝に痛みを感じる(04.11)
右膝に痛みを感じ、歩きづらくなってきたので近所の整形外科へ行きました。金曜日でしたが待合室に患者は2人しかいません。すぐに診察してくれるだろうと思っていると1時間ほど待たされて、看護師の問診が始まりました。
「どうしました。右膝に痛みを感じ、歩きづらいのですか」はい。「あなたは脊柱管狭窄症の手術を受けていますね。その手術をされた先生に診ていただくのが最も良いと思いますよ」はあ~そうですか。
相手にもしてくれないので月曜日の朝、脊柱管狭窄症の手術した病院で院長先生の診察を受け看護師に脊柱管狭窄症の手術をした医師に診てもらえと言われたことを告げると、MRIとレントゲン写真を撮りました。
その後、診断の説明を受けると、「脊柱管狭窄症の手術をした部分は完全に正常な状態です。心配いりませんよ。最近足をひねったことはありませんか。高齢になると元へ戻るのが遅くなります」云われて思い出したことがあります。薬を断って帰宅しました。
症状が現れる2日前に、マンション前の車道がツルツル滑ります。これは危険だと左右を見ると右側の車道に土が落ちています。土があれば滑らないだろうと、右側へ右足を踏み出しました。途端に車の警笛が鳴りブレーキ音が聞こえます。
瞬間的に体を戻しながら右を振向くとトラックがいます。運転席から運転手が顔を出して、けがはないですかと聞きます。車体に触れていないので、私の体も車の体もけがはしていません。滑りそうだったので、いきなり動いてごめんなさい。止まってくれてありがとうございます。
運選手は「よかった」と一言残して走り去りました。左へ戻ったときに左足をひねったようです。瞬間的なひねり方だったのでしょう。脳への伝達も症状が現れるのも、のんびりしています。そして、治り方もゆっくりしすぎています。20日後に階段の上り下りもやっとスムーズになりました。
10.小説を出版依頼(04.10)
内容を書き改めた「命果てるとも」と「藪小路宮家」を、長編となった「夢を追いかけて~限界マンションの理事長~」の出版をスリースパイスに依頼しました。5月に入ったら、印刷された見本が届くでしょう。
ところが、背表紙と裏表紙がないので作成して送るように言われました。Wardで作成して送るとPowerPointで作成したものでなければだめという。ひな形がないか問い合わせると送ってくれましたが、背表紙の厚さがわかりません。問い合わせるとExcelで作成した計算表が届きましたが、全く違うものでした。
仕方がないので、紙の厚さをもとに瀬表示の厚さを算出しましたが、PowerPointの使い方を覚えるのに時間がかかります。また、写真の調整でギンプを入手しましたが、2枚目の写真は調整途中で何度も断念しました。いつになったら表紙と背表紙ができるのか目途が立ちません。
09.さらば友よ(04.10)
4月に入っても親友から電話がありません。変だと思って施設へ電話しました。すると対応がおかしく、息子さんへ電話してくださいといいます。息子の電話番号は知らないというと、あなたの電話番号をお知らせしてよろしいですかと聞きます。いいですよと答えて電話を切りました。
3時間後に親友の息子から電話をいただきました。高校と大学の同期ですと名乗ると、「お名前は父から何度も聞いています。実は、父は放射線治療が終わると主治医から、完全にがんはなくなりました。完治ですよと言われ、大喜びで退院しました。
施設へ戻って風呂へ入ったときに、心筋梗塞を起こして前のめりに倒れ、息を引き取ったそうです。」えっ、心筋梗塞で亡くなったのですか。施設からは、息を引き取ったと説明を受けたそうです。親友が入所していた施設をインターネットで調べてみました。
その施設は、全国的な規模のホスピスで、「医療依存度が高い方々のための在宅型のホスピス。24時間体制で常にケアの目が行き届く環境です」として、「夜間も看護師・看護師が対応してくれる24時間安心のサポート」とあります。
心筋梗塞を起こしても、迅速な手当をすれば死ぬことはありません。日本赤十字の救急救命士の資格や、札幌市消防署の応急手当普及員認定を受けていた私には信じられないことでした。ホスピスの宣伝と真実は、まるで違うことを知りました。合掌。
08.友人とカラオケへ(03.24)
1月10日にラインが届き「ひとりカラオケで二か月に一度、シルバー料金で4時間粘っています。気が向いたら連絡ください」とありました。「一人カラオケはつらいでしょう。橋幸夫は歌うのをやめたようですが、わたしはまだ大丈夫です。久しぶりに歌声を聞きたくなりました」と返信しました。
数回の打ち合わせ後、この日は地下鉄でひばりが丘駅まで行き、地上へ出るとなつかしい後輩の笑顔がありました。彼の車で常連になっているという、札夕線沿いのカラオケ店へ行きました。料金体系は同じでも、まねきネコでは有料になった飲み物類がすべて無料です。3時間ほど歌を楽しんだ後は、久しぶりの出会いに、お互いの近況を話し合いました。
07.3月の大雪
1月と2月は暖冬で驚異的なほど積雪が少なかったのですが、3月に入るとこれまでの分を取り戻そうとするかのように降雪が続きました。乾いていた幹線道路はもちろん生活道路も雪に埋もれてしました。
3月末には、1月と2月の降雪量を超えそうな積雪量にまで達しました。短期間に積雪が増えると除雪が大変です。
今日も玄関前は積雪に覆われました。
町内のT字路にできた雪山は、去年よりも高くなったようです。
06.シンポジュームへ参加(03.15)
2025年地震火山研究観測センターシンポジュームが、北海道大学大学院研究院付属地震火山研究観測センターの主催で、北海道大学学術交流会館小講堂で開催され、「日本海沿岸の地震と津波・能登半島地震から学ぶ」を拝聴しました。
司会進行は北海道大学地震火山観測センター長の高橋浩晃教授でした。講師を務められたのは全員北海道大学地震火山研究観測センターの専門家で、海底地震津波研究分野を担当されている「能登半島地震から学ぶ日本海沿岸で発生する大地震の特徴」の講演は谷岡勇一郎特任教授。
「海底地震観測から明らかになった能登半島地震の余震活動」の講演は村井芳夫准教授。「能登半島地震による津波」の講演は山中悠資講師、「古文書と地質記録から探る北海道日本海沿岸あの地震津波像」の講演は西村裕准教授でした。
05.まちかど腎臓病講座(03.13)
3月13日は世界腎臓デーでした。紀伊国屋書店札幌本店で開催された第一回「まちかど腎臓病講座」に参加しました。東苗穂病院内科の吉田祐一医師の進行で、勤医協中央病院の腎臓内科入宇田智子医師の「腎臓病について」の講演。
愛心メモリアル病院腎臓内科の石田貴之医師の「慢性腎臓病と言われたら」、東苗穂病院訪問診療部の森小合管理栄養士の「あなたの腎臓を守る、始めよう減塩のコツ」などの講演を拝聴しました。
m三星腎臓病は(CKD)は8人に1がかかる国民病で、心筋梗塞や脳卒中の危険因子である、進行すると腎不全や透析に移行する場合があります。早期発見が大切なので、参加者は健康診断を受ける事を薦められました。蛋白尿乳やGFRが60未満の場合は、医師への相談が必要とのことです。
3月13日の世界腎臓デーに合わせて、18時にさっぽろテレビ塔を緑にライトアップするそうです。残念ながら見ることができませんでした。
04.プリンタを購入する(03.121)
日本電子機器補修協会(JEMTC)から購入したパソコンで補正した写真を、プリンタで印刷しようとすると反応しません。おかしいなとネットで調べていると、Windows7の時代に購入したプリンタはWindows11には対応できないとわかりました。
しかたがないので、EPSONの機種を探して、大容量インクが充てんできる機種を見つけました。購入すると補充インクはボトルで、プリンタにはボトルの6分の5もインク入ります。これは長持ちするでしょう。これまで控えていた写真を印刷できます。
03.親友からの返信(01.18)
「昨年は病気との戦いで7月に悪性リンパ腫で入院し、5サイクルの治療薬の点滴で苦労しました。2年前には妻が長い闘病生活の末に他界しました。独り身となり、介護付きの施設に入所し安心した生活を送っています。住所も変更になりました」
ハガキを受け取って驚きました。連絡がないのは元気の証拠と思っていたら、奥さんを亡くして病気のため介護付きの施設に入所していると知りました。入所している施設がわかったので、施設へ電話しました。面会をしたいので、尋ねてもよいか照会しました。
氏名やどのような関係かを質問され、面会は家族の許可が必要といいます。刑務所の囚人に面会を求めているのではありません。なぜか、事情が分かりましたのでおいでくださいとはいいません。腹が立って、これから施設へ行くと伝えて家を出ました。
施設まで50mのところで、スマホのベル音が鳴りました。電話に出ると施設からで、親友は放射線治療のため病院に入院しています。ええっ、それじゃあ会えないかと、自宅へ引き返しました。すると、4日後に親友からハガキが届きました。
「放射線治療のため一か月ほど入院しています。積もる話があると思います。退院したら電話します。」退院しても後期高齢者は、耐力が回復するのに日数がかかります。一か月経度は休養が必要を考えていました。
02.親友への手紙(01.10)
お元気でお過ごしのことと思います。寒中見舞いをありがとうございました。文面を拝見すると「昨年の年賀状にて以後の年賀の欠礼をさせていただく旨、記載させていただきました」とあります。あなたが年賀状を出すのをやめるのはあなたの自由ですが、相手に対して年賀状を出すなということであれば欠礼を強制していることになりませんか。
私は後期高齢者とも年賀状をやり取りしていますが、2年前にあなたと同じ年齢の方より「高齢のため年賀の欠礼をさせていただく旨の連絡」を受けました。翌年、昭和42年当時のことで照会したいことがあり手紙を出しました。その手紙に次のように書き添えました。
「高齢のため年賀欠礼の連絡をいただきましたが、人生100年時代と言われています。わたしはビクトル・ユーゴーの言葉をもじって『70歳は青年の老年期であり、80歳は老年の青年期である』と信じています。老人だからと甘えて、人生から逃げ出すのはむなしすぎませんか。」
今年届いた年賀状に「一昨年から今年まで『日本全国四十社鉄印マップ』掲載の四十鉄道すべてを踏破しました。北海道いさびり鉄道から九州肥後のおれんじ鉄道まで40鉄道の社印を収集しました。まだ、がんばっています」。元気の良さに驚きました。
私は、町内会長を辞退すると小学校の評議員を頼まれ、率先してPTA主催の児童見守り運動に参加し、毎年学期始業日から一週間は交差点で交通指導をしています。おはようと声をかけると、おはようございますと元気な声が返ってきます。
北海学園大学の初代学長上原轍三郎氏は、「開拓者精神」をもって北海学園大学生のモットーとすべきことを説きました。賛同した私は常に「開拓者精神」と共に生きてきました。年だからとボケルのを待っていないで、もう一度写真部の部室を作りたい、グリークラブの合宿をしたい、演奏旅行をしたい、発表会をしたいと夢を抱いた当時を思い出しませんか。
01. 暖冬の三学期始業式(2015.01.15)
2025年の1月は暖冬です。1月というのになぜか気温はプラスです。
いよいよ新学期です。
川の表面に貼っていた氷は解けて、水の流れが見えます。
生活道路の積雪も見当たりません。