はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第1章 身近な宇宙

私たちが身近に宇宙を感じるのは月を見たときです。あんなに大きなものが浮かんでいる。そして、自分のいる地球も空中に浮かんでいると学んだこと。子どもの頃は星々が空いっぱいに広がっていたが、いまは星空の鑑賞は夢のまた夢である。

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1 日本人と月

 1-1 和風月名

日本人は月を愛で月を生活に取り入れてきました。旧暦(太陰暦)では、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる月の和風の呼び名を使用していました。和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたものですが、現在の季節感とは1~2か月ほどのずれがあります。

1月は睦月(むつき)と呼び、正月に家族や親類一同が集まり睦ぶ(親しくする)月。2月は如月(きさらぎ)と呼び、衣更着(きさらぎ)とも書きます。まだ寒さが残っていて衣を重ね着する(更に着る)月です。

3月は弥生(やよい)と呼び、草木が生い茂る月。弥にはいよいよという意味があります。4月は卯月(うづき)と呼びウツギの花がきれいな月。5月は皐月(さつき)と呼び早月(さつき)とも書き、早苗(さなえ)を植える月です。

6月は水無月(みなづき、みなつき)と呼び、「無」は「の」を意味し田に水を引く月の意味と言われます。7月は文月(ふみづき、ふづき)と呼び、稲の穂が実る月なので穂含月(ほふみづき)とも言います。

8月は葉月(はづき、はつき)と呼び、木々の葉が落ちる「葉落ち月」が変化したという説があります。9月は長月(ながつき、ながづき)と呼び、夜長月(よながづき)とも言います。夜が長くなり、月を眺めるようになる時期です。

10月は神無月(かんなづき)と呼び「無」は「の」を意味し「神の月」という意味になります。全国の神々が出雲大社に集まり、人々の「しあわせ」のご縁を結ぶ「神儀(かみはかり)」が開かれるとされ、出雲地方では神在無(かみありづき)と呼びます。

11月は霜月(しもつき)と呼び、霜が降りる月「霜降月(しもふりつき)」が変化したという説が有力です。宮中祭祀の新嘗祭(にいなめさい)がある月で「その年に収穫できた五穀を奉納し、また自ら同じものを食べることで感謝の意を表す祭祀」です。

12月は師走(しわす)と呼びます。神社やお寺には参拝客の予約の確保、宿の手配、食料の手配、お土産の手配、参詣の手配などなどの手配をしてお世話をする「御師(おし、おんし)」役の人がいました。師が走り回るほど忙しい月という意味になります。

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 1-2 満ち欠けの呼び名

月の呼び方の代表的なものは、満ち欠けの違いによる名前でしょう。実際月の見え方は地球と太陽そして月の位置関係によって違います。月が地球の周りを1周するのが約30日なので、月の見え方が変わります。昔の人はその月の様子を指標にしていました。

新月(しんげつ)は月に太陽の光が全く当たっていない状態です。2日頃は繊月(せんげつ)で、月に太陽の光が当たる最初の日です。少し満ちている状態になり、その名前の通り繊維のように細い形をした月です。

新月から3日目を三日月(みかづき)と言います。7日頃は上弦の月(じょうげんのつき)といい、7日頃と21日頃は月の満ち欠けが同じくらいになります。上弦の月は夕方頃が最も見やすい位置にあります。

十日夜の月を(とおかんやのつき)と言い、旧暦10月10日の夜は収穫祭をする習慣があります。この日に見える月のことを、月齢に関係なく「十日夜の月」という言い方をすることもあります。

13日目は「十三夜月(じゅうさんやげつ)」といいあと少しで満月になる状態です。旧暦9月13日は十五夜の次のお月見として粟や栗の収穫祝いを兼ねていました。昔の月の呼び方「十日夜」「十三夜」「十五夜」の月は、この日の夜に月がきれいに見えたら幸運という感覚だったのです。十三夜月の写真は「星への誘い 」からお借りしました。

  十三夜の月

15日目で月は満月になります。占いでは満月の光に「豊か」「浄化」「エネルギー」という意味を見出し、出産、掃除などといった行動にベストなタイミングとされてきました。一方で強いエネルギーのせいで、喧嘩や事故が起きやすいともいわれています。

16日目は十六月(いざよい)と呼び、満月の次の日の月なので「既望(きぼう)」という異名もあります。旧暦8月5日の「中秋の名月」の翌日を指している場合が多いのです。秋の季語としても使われます。

17日目は立待月(たちまつづき)と呼びます。17日頃になると徐々に欠けてきている状態になります。「立って待っている間に出る月」という名前の通り、夕方頃に出る月です。

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18日目は居待月(いまちづき)と呼びます。万葉集に「座待(いまち)月」と表現されており、「座って待っている間に出る月」という意味があります。立待月以降、徐々に月の出が遅くなっていきます。

18日目は寝待月(ねまちづき)と呼びます。「寝て待っている間に出る月」という意味があり、居待月よりももっと月の出が遅くなっています。「臥待月(ふしまちづき)」という名称もあります。

19日目は下弦の月(かげんのつき)と呼びます。「上弦の月」と同様、満ち欠けが同じくらいになっている月です。下弦の月は深夜や明け方頃に見られます。弓のような形をしていることから「弦月(げんげつ)」という言い方もあります。

26日目は有明月(ありあけづき)と呼びます。23日を過ぎると、大きく欠けた月が明け方まで見えるようになってきます。これを「ありあけ」あるいは「有明月」と言います。多くの和歌や短歌に詠まれています。

30日頃は晦日(みそか・かいじつ)と呼びます。新月の前日という意味で、月齢に関係なく毎月の最終日をこの名前で呼ぶようになりました。12月31日は「大晦日(おおみそか)」といいますが、これも1年の最後の月の最終日だからです。

季節を表す月の呼び名も様々あり、春の月は春月(しゅんげつ)、夏の月は夏月(かげつ)、秋の月は秋月(しゅうげつ)、冬の月は冬月(とうげつ)と言います。かすかに霞んだ月は朧月(おぼろづき)、冷たく冴えてみえる月は冬の季語は寒月(かんげつ)と言います。

夜明けにまだ残っている月は、残月(ざんげつ)・有明の月・朝行く月。清く澄んだ月は、明月(めいげつ)・朗月(ろうげつ)・皓月(こうげつ)・素月(そげつ)と呼びます。

気象・天候をあらわす月の名前や呼び方は、雨の夜の月を雨月(うげつ)、十五夜が雨で見えないときにも使います。十五夜が曇りで見えないときは無月(むげつ)、薄雲のかかった月は薄月(うすづき)と表現します。

時間の推移による月の名前や呼び方で、夕方にみえる月は夕月(ゆうづき)、夜明けにまだ残っている月は残月(ざんげつ)・有明の月・朝行く月と呼びます。 黄昏時の月は黄昏月(たそがれづき)と呼びます。

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 1-3 見え方の種類と呼び名

月は空にひとつですが、その明るさや色味が日によって違うということに昔の人は気付き、さまざまな呼び方で表現していました。

月白(つきしろ)。月の出の直前、東の空が白みわたって見えることを「つきしろ」あるいは「げっぱく」と言います。日本の伝統色にもこの名前の色があり、くすんだ青みのかかった白色をしています。

青月(せいげつ)。大気中のチリの影響で、月が青白く見える状態が「青月」で、ブルームーンともいいます。いくつかの偶然が重なって見られる種類の月のため、「奇跡」という意味を持ちます。

月蝕(げっしょく)。地球が太陽と月の間に入る「皆既月食」の状態、あるいは大気にチリが舞って赤く見える月は「ブラッドムーン」とも呼ばれています。月が大きく赤く見えるときは地震の前兆という言い伝えもあり、よくないことの前触れとされていました。

孤月(こげつ)。他に星や雲もなく、ひとつ寂しそうな状態の月は「孤月」という名称があります。孤独な自分と重ねて表現するパターンが多く使われます。

次に、周期によって月の出の時間や見え方が違います。夕方のオレンジの空にうっすら浮かぶ月や、明け方だんだんと色が薄くなっていく月など、月ごとの名称を探ってみましょう。

夕月(ゆうづき)。夕方、まだうっすら空が明るいときに見える月を「夕月」と言います。秋の季語として使われることも多く、三日月を特に指します。

黄昏月(たそがれづき)。日没後(黄昏)の夕闇に浮かぶ月を「黄昏月」といいます。ちなみに「黄昏」と言う言葉の由来は、暗くなって顔の判別ができず「誰そ彼=お前は誰か」という言葉が変化したと言われています。

宵月(よいづき)。こちらも日没後間もない時間帯に見える月、特に陰暦8月の2日~7日頃の月を言います。駆逐艦の名前にもなっています。

残月(ざんげつ)。明け方、空がうっすら明るくなる頃まで残っている月のことを「残月」といいます。「有明月」の異名でもあり、つまり三日月よりもさらに欠けた状態の残月です。

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 1-4 百人一首に詠われる月

天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも(安倍仲麿) はるかに広がる大空を振り仰ぐと、今しも東から月が上ってくる。ああ、あれはかって眺めた故郷の春日、あの三笠の山に出た月と同じ月なのだなあ。

今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を まちいでつるかな(素性法師) そのうちに行きましょうとあなたがいって寄こしたばかりに、それをあてにして毎夜待っていたところ、九月の有明の月が出るのを待ち明かしてしまいました。

月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとるの 秋にあらねど(大江千里) 秋の月を見ていると、さまざまな物ごとが悲しく感じられます。秋は私のもとにだけ訪れるものではないのですが。

有明の つれなくみえし 別れより 暁ばかり うきものはなし(壬生忠岑) あなたとの別れを惜しむ私にとって、有明の月はまるで素知らぬふりをしているようです。そんな別れをする暁ほど、つらく悲しいものはありません。

朝朗 有明の月と 見るまでに 芳野の里に ふれるしら雪(坂上是則) 夜がほのぼのと明けるころ、あたりは薄明の光を帯びていました。まるで有明の月があるかと思うほどで、それは芳野の里に降り積もる雪だったのです。

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月やどるるらん(清原深養父) 短い夏の夜は、まだ宵の口だと思っているうちに明けてしまいましたが、あの美しい月は雲のどのあたりに宿っているのでしょか。西の山までたどり着けないままに。

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めぐり逢いて 見しやそれ共 分ぬまに 雲かくれにし 夜半の月影(紫式部) 久しぶりに巡り合って、いま見たのはあなただったのか、そうでなかったのかわからないうちに、姿をくらましてしまいましたね。まるで雲間に隠れた夜半の月のように。

やすらわで ねなまし物を さよ更けて かたぶくまでの 月を見しかな(赤染衛門) おいでがないと分っていましたら、ためらうことなく寝たでしょう。夜が更け、とうとう西の山に沈むまでに傾いた月を見ていましたよ。

心にも あらで此世に ながらえば こひしかるべき よはの月かな(三条院) 思いもかけずこの後も、此の世に生き長らえることになりましたら、きっと恋しく思われることでしょう。この夜半の美しい月を。

秋風に たなびく雲の たえまより もれいずる月の かげのさやけさ(左京大夫顕輔) 秋風に吹かれてたなびく雲の、その途切れ途切れの間から漏れる月光。なんと澄みきった明るさなのでしょう。

郭公 泣きつるをながめれば ただありあけの 月ぞのこれる(後徳大寺左大臣) ほととぎすが鋭く鳴きました。どこかと声のする方を眺めましたが姿は見えず、ただ有明の月が空に残っているばかりです。

歎けとて 月やは物を おもはする かこちがほなる わがなみだかな(西行法師) 歎けといって月は私に物思いをさせるのでしょうか。いや、そうではなく、恋の辛さがそうさせるのです。まるで月のせいだと言わんばかりに流れる私の涙よ。

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2 地球と月の誕生秘話

 2-1 シネスティアの出現

私たちは月を活動のない死んだ天体だと思っていました。表面はクレーターだらけで、何十億年も前から何の変化もないと思っていましたが大間違いでした。月は壮絶な環境で生まれた衛星というより惑星に似た環境で成長しました。

過去には生命を育める環境もあったと考えることも、それほど無茶ではないのです。アポロ宇宙船が月の石を持ち帰って以来、科学者たちは答えを探してきました。持ち帰った石の科学的組成は地球の石とそっくりでした。

月の材料は地球と同じでした。ほかの惑星や衛星を調べるとそれぞれ違っていました。私たちが思ってもいなかったけれど、月は地球に似ているようです。月はどのようにして生まれたのか、それは科学界最大の謎でした。

その謎を解くために初期の太陽系に戻ってみると、初期の太陽系では天体同士がぶつかり合い、新しい星に生まれ変わっていました。原始地球ができたころ、太陽系は原始惑星になれなかった残骸が充満し、その残骸がぶつかり合って惑星を形成していきました。

多くの残骸が原始地球にぶつかりました。およそ45億年前、直径65kmの原始惑星テイヤが原始地球に衝突したとされます。それは正面からの衝突だったので衝撃波がこの二つの天体を貫き、衝撃波のエネルギーは二つの天体を溶かして一部を気化させました。

それがシネスティアという新種の天体になりました。高温でオレンジ色に輝くシネスティアは、気化した岩石が高速で回転するドーナツ形の天体で、衝撃波の膨大なエネルギーで太陽のように輝いていたことでしょう。

地球とテイヤの気化した岩石は数百年かけて完全に混ざり合いました。やがてシネスティアは冷えてドーナツ状の雲は縮小していきます。気化していた岩は次第に液体へ、さらに個体へと変化し中心部で地球の再形成が始まりました。

ドーナツ状の雲の周囲でも同じような収縮が始まり、月が形成されていきました。地球も月も同じシネスティアから生まれたので、どちらの組成も同じになりましたが取り分が多かったのは地球でした。

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 2-2 月にも大気はあった

地球と月では大きく違ったものがありました。シネスティアには水蒸気や二酸化炭素といった揮発性成分も充満していました。シネスティアが十分に冷えると、揮発性成分は地球と月に引き寄せられますが、地球のほうが引き寄せた岩石や水の量が多かったのです。

重力の差がものを言いました。月は水分を引き付けようとしても、周囲に残っている揮発性成分は僅かでした。月も水は確保しましたが、ほとんどの水は地球のものになりました。地球と月は引き寄せた水分を地面の岩の中に蓄えました。

地球と月の表面はドロドロに溶けていましたが、次第に冷えて固まり地殻が形成されていきました。地球は大気に覆われ生命を育める環境になりました。月は重力も弱かったので、大気と水を引き留めることができなかったのです。

2018年惑星科学者たちは月の過去を明らかにしようと、周回衛星ルナー・リコネサンス・オービターが撮影したマップを調べました。注目したのは海と呼ばれる黒い部分です。有名なのは静の海ですが、直径数100kmのくぼ地は溶岩が埋めたものです。

30億年以上前、月では地球の火山を超える規模で大量の溶岩が噴出していました。海と呼ばれる部分の面積を測れば流れ出した溶岩の量が分りますし、月に大気が存在したかどうかの目安になります。

溶岩の噴出量を調べると月の表面は数億年の間、溶けた岩に覆われていたようです。およそ35億年前には、最大規模の噴火が起こっていました。その時5,300超立法メートルもの溶岩が噴出したとみられます。

おおよそのところ月は毎年8,500万立法メートルもの溶岩を噴き出していました。更に火山活動によって10兆トンもの火山ガスが放出されました。水蒸気と二酸化炭素も含まれています。この壮大な噴火で月にも大気が生まれたと考えられます。

ごく薄い大気でしたが、それでも現在の火星の1.5倍くらいの気圧があったようです。この状態ですと、液体の水を地上に留めることができたかもしれません。月が大気に包まれれば、水蒸気は水となって地表にとどまることができたのです。

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 2-3 磁場の盾を失った月

大気はさらに多くの役割を果たし水が凍るのを防ぎます。ということは、一時期月にも生命が育める環境があったと考えるのはそれほど無茶なことではありません。月に大気があった時代、地球の岩の中にはバクテリアがいました。

噴火によって岩石は宇宙空間へ飛び散ります。岩の表面は熱や宇宙の真空にさらされますが、内側はほとんど影響を受けません。バクテリアだらけの地球の岩が宇宙空間に飛び散って月に届くこともあり得ます。

しかし、月の温かくて湿った環境は長続きしませんでした。噴火がやむと大気の供給は止まり、月の重力では大気を保持できなかったのです。数千万年の間に大気はなくなり、表面の水は蒸発して温度は激変します。

月と地球は壮絶な天体衝突後に、双子のような存在としてあゆみ始めました。ところが時とともに違いが際立っていきます。運命を隔てたのは大きさでした。地球は大きかったので大気や水を保持できました。小さかった月はどちらも失ったのです。

2017年アポロ15号が持ち帰ったおよそ10億年前の石の再調査が行われました。月の磁場は、従来の推定値よりも20億年ほど長く残っていたことを示していました。月の内部が溶けていれば磁場が存在し、冷えて内部が固まれば磁場は消えてしまいます。

月の石の調査で月には10億年前まで磁場が残っていたのです。考えられるのは潮汐力で、月は地球の重力で伸び縮みしていたと思われます。月が誕生したときは、地球からの距離は2万キロほどでした。これほど近ければ潮汐力が大きく働きます。

地球の重力は月を伸び縮みさせ月の内部に摩擦熱を起こしました。摩擦熱は非常に大きく、月の内部に蓄積されていきました。摩擦熱で月の内部は相当の間液体だったのです。やがて月が地球から離れていくにつれ、摩擦熱は治まり内部も外観も固まりました。

ひとたび内部が固まるともう磁場は生じません。磁場の盾を失った月は無防備となりました。有害な太陽風が容赦なく吹き付け、月面は放射線にされされる荒野になりました。無数の衝突クレーターは長い間地質活動がなかった証です。

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 2-4 月にも地殻変動がある

月はずっと死んだ天体だったように見え、過去40億年分のクレーターが侵食されることなくそのまま残っています。ところが、シュ-リンガー盆地を調べると新たな発見がありました。ほとんどクレータの跡がない崖が見つかったのです。

くわしく調べるとクレーターの跡がない、つまり若い地形があったのです。その若い地形とは耳たぶ状の崖でした。耳たぶ状の崖というのは割れた地殻の一方がもう一方に乗り上げたような断層地形です。崖は全長数十キロ高さは100メートル以上にも達します。

これほどの崖を作るのは相当強い力のはずです。それは数十年来の謎であった月震でした。アポロ計画で設置された地震計で多くの月震が観測されました。月は大気がないので宇宙から飛んできた岩が燃え尽きることはありません。月面を直撃すれば記録されます。

ところが、設置された地震計にはそれ以外の振動もありました。月で起こる地震ですから月震といいます。8年間にわたる観測で1万3回もの振動が記録されました。そのうちの28回は最大でマグニチュード5にも達する本格的な月震でした。

こうした月震は月面の現象では説明できません。ということは、地下で何かが起こっているのです。地震計のデータから月のマントルの状態を調べると、月では完全に固まった状態の岩石が地下1千キロまで達していました。地球の岩石圏の厚さの10倍以上です。

岩石圏が厚いので月震は10分以上続くこともあります。地震計のデータから震源を割り出すと、断層地形の30キロ圏内に多いことが分りました。震源はシュ-リンガー盆地の耳たぶ状の崖の付近にも見つかっています。

耳たぶ状の崖ができるときに、震源の浅い月震が起きていると推測できます。驚いたことに月は今でも地球の潮汐力で伸縮し続けていたのです。新しい断層や月震は月が生きていることの証拠でした。

2019年1月に月周回衛星のデータを調べた結果、天体衝突の頻度に関する発見がありました。地球は天体が衝突したクレーターがほとんどないので天体衝突は滅多に起こらない思っていましたが、地球上では植物などがクレーターを隠してしまっていたのです。

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 2-5 生物を進化させた小惑星

1969年11月14日アポロ12号が持ち帰った月の石は、コペルニクスクレーターより370キロ南の地点で採取されました。宇宙飛行士が月の表面を10センチ掘ると白っぽい砂が出てきました。持ち帰って分析すると年代測定結果は8億年前のものでした。

1960年のアポロ計画以降は月の探査がなかったので、日本は月周回衛星かぐやで月全体を探査しました。2007年9月14日に打ち上げられた日本の月周回衛星かぐやは600日間も月の上空にとどまって月を観測しました。

地球は地球磁場によって太陽風や宇宙線から守られています。この地球磁場が月にも影響を与えていました。太陽と反対方向(夜側)では、地球磁場は彗星の尾のように引き延ばされます。その中央部には熱いプラズマがシート状に存在している領域があります。

月は約28日かけて地球の周りを一周しますが、そのうち約5日間はこの磁気圏の中を通過し、さらに数時間~半日だけプラズマシートを横切ります。月と「かぐや」がプラズマシートを横切る場合にのみ、高エネルギーの酸素イオンが現れることを発見しました。

地球の極域から酸素イオンが宇宙空間に漏れ出ていることは知られていましたが、「かぐや」は「地球風」として38万キロ離れ地球風た月面にまで酸素イオンが運ばれていることを世界で初めて明らかにしました。

右上の「地球風」のイラストは、宇宙航空研究機構(JAXA)の「月周回衛星「かぐや(SELENE)」の解説ページ、「かぐや」が観測した「地球起源の酸素イオン」よりお借りしました。

さらに、かぐやが捉えた写真でクレーターの数を調べると、溶岩噴出年代からクレーターの年代がわかりました。直径100メートルもないクレーターから溶岩噴出による火山活動もわかりました。15億年前に噴出した溶岩もありました。

太古の海にできたクレータには溶岩が流れ込み、後にできたクレータには溶岩が流れ込んでいません。この様子でクレーターの新旧が分ります。下降する谷で見つかった穴は垂直でほかの天体が衝突してできたものとはまったく違い、月内部からの噴出口でした。

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大きなクレータの中央に盛り上がった丘を詳しく調べると、地下深くにあったと思われる岩石が月の表面で見つかりました。丘の表面はほぼ純粋な斜長石の岩に覆われていました。そのそばに、落下した天体があけた穴とは明らかに違う縦穴が見つかりました。

月の砂の中からみつかったガラス玉は小惑星が衝突したときに生成されたものでした。6.6億年前にクレーターが集中している衝突の痕跡が現れ、かぐやの観測結果からコペルニクスクレーターは6.6億年に形成されたと判明しました。

2020年に「かぐや」が撮影した写真でクレーターを研究していた科学者は、8億年前の新原生代にできたクレータを17個も発見しました。しかも小惑星の公転周期が同じ破片は、直径100キロの小惑星が8億年前の衝突で木っ端微塵となった痕跡でした。

衝突で粉々になった小惑星の破片は宇宙へ広がり、その一部の破片は木星の重力に引かれて地球や月の軌道上へ移動し、太古の月と地球に大きな異変をもたらしました。1億年もの間直径1キロにもある破片が地球へシャワーのように降り注いでいたのです。

岐阜県坂祝町の木曽川流域で堅い岩に挟まれた厚さ5センチもの三畳紀の粘土層に、地球外からもたらされた微量元素オスミウムが多く含まれていました。その量から隕石の大きさは8キロにおよぶと推測されました。

8億年前の隕石落下によって地球外からもたらされた破片は、カナダのケベック州のマニクアガンクレ-ターを造りました。そして、この時期に深海で21種類住んでいた放散虫が18類も絶滅していました。

リンは地球生命を支える重要な元素で、リンがなければ遺伝情報を伝えることもできません。8億年前のリンの増加がきっかけになって地球は複雑な生命の星になりました。8億年前から生物の化石の種類が増えた始めたのです。

もし月と同じ隕石シャワーが地球に注いでいれば、地球にもたらされた隕石の量は40超億トンにもなります。隕石は酸素を多く含む特別なものだったと考えられています。リンの急増を証明できる証拠は見つかっていませんが8億年前の異変が原因と思われます。

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 2-6 太陽系は危険地帯

月を調べると天体衝突の跡は歴然と残っています。地球でも月と同じくらい天体衝突は起こっているはずです。クレータだらけの月面は、どれだけの天体が衝突したかを物語っています。現在の衝突のリスクを知るには、衝突のペースを知る必要があります。

手がかりはクレータの周辺の岩とダストに隠されていました。衝突クレータの周りには必ず岩が積み上がります。隕石は地面をえぐり、大量の岩を周囲に押しのけるのです。積みあがった岩は次第に侵食されていきます。岩を侵食するのは微細隕石です。

砂粒のような微細隕石が、猛スピードで月に降りそそぎ岩を砕くのです。この侵食作用の進み具合で、天体衝突がいつ起きたかの目安になります。クレーターのおおよその形成年代は、噴出して積みかさなった岩の多さで見当がつきます。

昼の高温と夜の低温の間で、クレータ周辺の温度がどう変化するかを調べました。一般に大きいものより小さなものは早く冷めます。温度からクレータ周辺の岩の年代を割り出すと、驚くべきパターンが明らかになりました。

月の表面を見ると、およそ3億年前から衝突が急に増えています。月への衝突が増えれば、地球への衝突も増えるはずです。3億年前と比較すると天体衝突はおよそ3倍に増えていました。原因は小惑星帯で大きな小惑星が衝突したことでしょう。

大きな小惑星が衝突してバラバラになれば、他の小惑星の軌道も乱され弾き飛ばされます。そして、衝突後数億年にわたって地球や月にシャワーとなって降り注ぐことになるでしょう。

およそ3億年前、岩の破片のシャワーが月と地球を襲い始めたようです。月には次々と大きなクレータ ができていきます。中には直径80キロのものもあります。地球へも衝突が相次いだかも知れません。太陽系は危険なのです。

宇宙からくる危険の最たるものは小惑星です。惑星サイズの大きなのもでなくても、被害は甚大です。大都市も真上で、またはその近くで空中爆発が起これば、街は壊滅状態になります。こうした小惑星に対しても備えあれば患いなしです。

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3 月と地球の最後

月から得られる情報は備えに役立ちます。月は今のところ私たちに天体衝突の情報を与え、危険回避のための助けになっています。ところが将来的には、破滅をもたらす可能性もあるのです。

月と地球はお互いに寄り添いながら、5億年という歳を重ねて来ました。しかし、変化する月の軌道は両者の関係が変わることを予言しています。月は惑星としてはあまりにも大きすぎます。地球は月を引っ張っていますが、月も地球を引っ張っています。

そのため、月の公転の中心は地球の中心から少しだけズレているのです。月の公転軌道の中心は地球と月の質量の中心、いわゆる共通重心です。もし共通重心が地球の外にあれば、地球の衛星ではなく二重惑星になります。

しかし、現在の共通重心は地球の地下1800キロのところにあります。共通重心は地球と月の距離によって変化します。月は毎日少しずつ地球から離れ、共通重心は地球の表面に近づいていきます。月が離れていくのは地球の海のせいです。

月は地球の海を引っ張り満潮や干潮を起こし、地球の自転にブレーキがかかります。地球の自転が遅くなれば、月は地球から1年に3.8センチずつ離れていくのです。このままのペースで離れていけば、40億年以内に共通重心は地球の外に出てしまいます。

そうなれば、地球と月は二重惑星になります。さらに月は、地球にブレーキをかけながら遠ざかるのです。地球の1日はどんどん長くなっていきます。はるかに遠い未来のことですが、地球の公転速度が月の公転速度と同じになる時が来ます。

地球と月は常に同じ面で向き合うことになります。これを潮汐ロックと呼びます。潮汐ロックが起きれば地球の1日の長さは1千時間以上になります。気の遠くなるほど長い昼と、どこまでも冷えていく長い夜は巨大な嵐を引き起こすかもしれません。

それとも温室効果で金星のようになってしまうのか影響は計り知れません。地球があるのは月のおかげです。月の影響がなかったら、私たちの地球はまったく別のものになっていたでしょう。

地球と月は双子として生まれました。その後、別の道を歩むことになりましたが、両者の物語は複雑に絡み合っています。わたしたちにとって月は単なる衛星以上の存在です。豊かな歴史を持つ月は、地球にとってかけがえのない天体です。

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参考資料:BS11ディスカバリー傑作選「解明・宇宙の仕組み」など。