1 日本人と月
1-1 和風月名
日本人は月を愛で月を生活に取り入れてきました。旧暦(太陰暦)では、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる月の和風の呼び名を使用していました。和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたものですが、現在の季節感とは1~2か月ほどのずれがあります。
1月は睦月(むつき)と呼び、正月に家族や親類一同が集まり睦ぶ(親しくする)月。2月は如月(きさらぎ)と呼び、衣更着(きさらぎ)とも書きます。まだ寒さが残っていて衣を重ね着する(更に着る)月です。
3月は弥生(やよい)と呼び、草木が生い茂る月。弥にはいよいよという意味があります。4月は卯月(うづき)と呼びウツギの花がきれいな月。5月は皐月(さつき)と呼び早月(さつき)とも書き、早苗(さなえ)を植える月です。
6月は水無月(みなづき、みなつき)と呼び、「無」は「の」を意味し田に水を引く月の意味と言われます。7月は文月(ふみづき、ふづき)と呼び、稲の穂が実る月なので穂含月(ほふみづき)とも言います。
8月は葉月(はづき、はつき)と呼び、木々の葉が落ちる「葉落ち月」が変化したという説があります。9月は長月(ながつき、ながづき)と呼び、夜長月(よながづき)とも言います。夜が長くなり、月を眺めるようになる時期です。
10月は神無月(かんなづき)と呼び「無」は「の」を意味し「神の月」という意味になります。全国の神々が出雲大社に集まり、人々の「しあわせ」のご縁を結ぶ「神儀(かみはかり)」が開かれるとされ、出雲地方では神在無(かみありづき)と呼びます。
11月は霜月(しもつき)と呼び、霜が降りる月「霜降月(しもふりつき)」が変化したという説が有力です。宮中祭祀の新嘗祭(にいなめさい)がある月で「その年に収穫できた五穀を奉納し、また自ら同じものを食べることで感謝の意を表す祭祀」です。
12月は師走(しわす)と呼びます。神社やお寺には参拝客の予約の確保、宿の手配、食料の手配、お土産の手配、参詣の手配などなどの手配をしてお世話をする「御師(おし、おんし)」役の人がいました。師が走り回るほど忙しい月という意味になります。
1-2 満ち欠けの呼び名
月の呼び方の代表的なものは、満ち欠けの違いによる名前でしょう。実際月の見え方は地球と太陽そして月の位置関係によって違います。月が地球の周りを1周するのが約30日なので、月の見え方が変わります。昔の人はその月の様子を指標にしていました。
新月(しんげつ)は月に太陽の光が全く当たっていない状態です。2日頃は繊月(せんげつ)で、月に太陽の光が当たる最初の日です。少し満ちている状態になり、その名前の通り繊維のように細い形をした月です。
新月から3日目を三日月(みかづき)と言います。7日頃は上弦の月(じょうげんのつき)といい、7日頃と21日頃は月の満ち欠けが同じくらいになります。上弦の月は夕方頃が最も見やすい位置にあります。
十日夜の月を(とおかんやのつき)と言い、旧暦10月10日の夜は収穫祭をする習慣があります。この日に見える月のことを、月齢に関係なく「十日夜の月」という言い方をすることもあります。
13日目は「十三夜月(じゅうさんやげつ)」といいあと少しで満月になる状態です。旧暦9月13日は十五夜の次のお月見として粟や栗の収穫祝いを兼ねていました。昔の月の呼び方「十日夜」「十三夜」「十五夜」の月は、この日の夜に月がきれいに見えたら幸運という感覚だったのです。十三夜月の写真は「星への誘い 」からお借りしました。
15日目で月は満月になります。占いでは満月の光に「豊か」「浄化」「エネルギー」という意味を見出し、出産、掃除などといった行動にベストなタイミングとされてきました。一方で強いエネルギーのせいで、喧嘩や事故が起きやすいともいわれています。
16日目は十六月(いざよい)と呼び、満月の次の日の月なので「既望(きぼう)」という異名もあります。旧暦8月5日の「中秋の名月」の翌日を指している場合が多いのです。秋の季語としても使われます。
17日目は立待月(たちまつづき)と呼びます。17日頃になると徐々に欠けてきている状態になります。「立って待っている間に出る月」という名前の通り、夕方頃に出る月です。
18日目は居待月(いまちづき)と呼びます。万葉集に「座待(いまち)月」と表現されており、「座って待っている間に出る月」という意味があります。立待月以降、徐々に月の出が遅くなっていきます。
18日目は寝待月(ねまちづき)と呼びます。「寝て待っている間に出る月」という意味があり、居待月よりももっと月の出が遅くなっています。「臥待月(ふしまちづき)」という名称もあります。
19日目は下弦の月(かげんのつき)と呼びます。「上弦の月」と同様、満ち欠けが同じくらいになっている月です。下弦の月は深夜や明け方頃に見られます。弓のような形をしていることから「弦月(げんげつ)」という言い方もあります。
26日目は有明月(ありあけづき)と呼びます。23日を過ぎると、大きく欠けた月が明け方まで見えるようになってきます。これを「ありあけ」あるいは「有明月」と言います。多くの和歌や短歌に詠まれています。
30日頃は晦日(みそか・かいじつ)と呼びます。新月の前日という意味で、月齢に関係なく毎月の最終日をこの名前で呼ぶようになりました。12月31日は「大晦日(おおみそか)」といいますが、これも1年の最後の月の最終日だからです。
季節を表す月の呼び名も様々あり、春の月は春月(しゅんげつ)、夏の月は夏月(かげつ)、秋の月は秋月(しゅうげつ)、冬の月は冬月(とうげつ)と言います。かすかに霞んだ月は朧月(おぼろづき)、冷たく冴えてみえる月は冬の季語は寒月(かんげつ)と言います。
夜明けにまだ残っている月は、残月(ざんげつ)・有明の月・朝行く月。清く澄んだ月は、明月(めいげつ)・朗月(ろうげつ)・皓月(こうげつ)・素月(そげつ)と呼びます。
気象・天候をあらわす月の名前や呼び方は、雨の夜の月を雨月(うげつ)、十五夜が雨で見えないときにも使います。十五夜が曇りで見えないときは無月(むげつ)、薄雲のかかった月は薄月(うすづき)と表現します。
時間の推移による月の名前や呼び方で、夕方にみえる月は夕月(ゆうづき)、夜明けにまだ残っている月は残月(ざんげつ)・有明の月・朝行く月と呼びます。 黄昏時の月は黄昏月(たそがれづき)と呼びます。
1-3 見え方の種類と呼び名
月は空にひとつですが、その明るさや色味が日によって違うということに昔の人は気付き、さまざまな呼び方で表現していました。
月白(つきしろ)。月の出の直前、東の空が白みわたって見えることを「つきしろ」あるいは「げっぱく」と言います。日本の伝統色にもこの名前の色があり、くすんだ青みのかかった白色をしています。
青月(せいげつ)。大気中のチリの影響で、月が青白く見える状態が「青月」で、ブルームーンともいいます。いくつかの偶然が重なって見られる種類の月のため、「奇跡」という意味を持ちます。
月蝕(げっしょく)。地球が太陽と月の間に入る「皆既月食」の状態、あるいは大気にチリが舞って赤く見える月は「ブラッドムーン」とも呼ばれています。月が大きく赤く見えるときは地震の前兆という言い伝えもあり、よくないことの前触れとされていました。
孤月(こげつ)。他に星や雲もなく、ひとつ寂しそうな状態の月は「孤月」という名称があります。孤独な自分と重ねて表現するパターンが多く使われます。
次に、周期によって月の出の時間や見え方が違います。夕方のオレンジの空にうっすら浮かぶ月や、明け方だんだんと色が薄くなっていく月など、月ごとの名称を探ってみましょう。
夕月(ゆうづき)。夕方、まだうっすら空が明るいときに見える月を「夕月」と言います。秋の季語として使われることも多く、三日月を特に指します。
黄昏月(たそがれづき)。日没後(黄昏)の夕闇に浮かぶ月を「黄昏月」といいます。ちなみに「黄昏」と言う言葉の由来は、暗くなって顔の判別ができず「誰そ彼=お前は誰か」という言葉が変化したと言われています。
宵月(よいづき)。こちらも日没後間もない時間帯に見える月、特に陰暦8月の2日~7日頃の月を言います。駆逐艦の名前にもなっています。
残月(ざんげつ)。明け方、空がうっすら明るくなる頃まで残っている月のことを「残月」といいます。「有明月」の異名でもあり、つまり三日月よりもさらに欠けた状態の残月です。
1-4 百人一首に詠われる月
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも(安倍仲麿) はるかに広がる大空を振り仰ぐと、今しも東から月が上ってくる。ああ、あれはかって眺めた故郷の春日、あの三笠の山に出た月と同じ月なのだなあ。
今こむと いひしばかりに 長月の 有明の月を まちいでつるかな(素性法師) そのうちに行きましょうとあなたがいって寄こしたばかりに、それをあてにして毎夜待っていたところ、九月の有明の月が出るのを待ち明かしてしまいました。
月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとるの 秋にあらねど(大江千里) 秋の月を見ていると、さまざまな物ごとが悲しく感じられます。秋は私のもとにだけ訪れるものではないのですが。
有明の つれなくみえし 別れより 暁ばかり うきものはなし(壬生忠岑) あなたとの別れを惜しむ私にとって、有明の月はまるで素知らぬふりをしているようです。そんな別れをする暁ほど、つらく悲しいものはありません。
朝朗 有明の月と 見るまでに 芳野の里に ふれるしら雪(坂上是則) 夜がほのぼのと明けるころ、あたりは薄明の光を帯びていました。まるで有明の月があるかと思うほどで、それは芳野の里に降り積もる雪だったのです。
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月やどるるらん(清原深養父) 短い夏の夜は、まだ宵の口だと思っているうちに明けてしまいましたが、あの美しい月は雲のどのあたりに宿っているのでしょか。西の山までたどり着けないままに。
めぐり逢いて 見しやそれ共 分ぬまに 雲かくれにし 夜半の月影(紫式部) 久しぶりに巡り合って、いま見たのはあなただったのか、そうでなかったのかわからないうちに、姿をくらましてしまいましたね。まるで雲間に隠れた夜半の月のように。
やすらわで ねなまし物を さよ更けて かたぶくまでの 月を見しかな(赤染衛門) おいでがないと分っていましたら、ためらうことなく寝たでしょう。夜が更け、とうとう西の山に沈むまでに傾いた月を見ていましたよ。
心にも あらで此世に ながらえば こひしかるべき よはの月かな(三条院) 思いもかけずこの後も、此の世に生き長らえることになりましたら、きっと恋しく思われることでしょう。この夜半の美しい月を。
秋風に たなびく雲の たえまより もれいずる月の かげのさやけさ(左京大夫顕輔) 秋風に吹かれてたなびく雲の、その途切れ途切れの間から漏れる月光。なんと澄みきった明るさなのでしょう。
郭公 泣きつるをながめれば ただありあけの 月ぞのこれる(後徳大寺左大臣) ほととぎすが鋭く鳴きました。どこかと声のする方を眺めましたが姿は見えず、ただ有明の月が空に残っているばかりです。
歎けとて 月やは物を おもはする かこちがほなる わがなみだかな(西行法師) 歎けといって月は私に物思いをさせるのでしょうか。いや、そうではなく、恋の辛さがそうさせるのです。まるで月のせいだと言わんばかりに流れる私の涙よ。