1 優れている催眠療法
1-1 現状の認識
公益財団法人長寿科学振興財団は、高齢者の神経症を次のように説明しています。「高齢になると、身体的不調や身体疾患が出現しやすくなり、さらに疾患のために生活が制限されることが多くなります。
また、定年退職や引退、隠居といった地位や役割を失う事や、収入が減るといった経済的な問題、近親者や知人との死別といった生活環境の変化があります。さらに、自分自身の死という危機感が増強します。
これらの事柄が、高齢者における神経症の要因となる可能性があります。神経症になりやすい傾向の性格も、神経症の要因となる可能性があります。神経症の要因としては、身体要因、環境要因、性格要因が関連した心理的要因が挙げられます。
たとえ性格要因といったひとつの要因が弱くても、環境要因や身体要因といったほかの要因が強いと神経症を発症する可能性があります。高齢者においてよく認められる神経症には、抑うつ神経症(神経症性うつ病)や、不安障害、心気症が挙げられます。
抑うつ神経症は神経症うつ病とも呼ばれ、不安、焦燥感などの症状を伴う抑うつ気分を主体とした疾患です。うつ病では、気分が朝に悪いという症状が一日のうちで変化するという事が一般的にありますが、抑うつ神経症ではこのような変化は見られなく、また、心理的要因がなくなるとうつ症状もうつ病に比べ速やかに改善します。
心気症は、十分な医学的説明がなされない身体症状が存在し、その身体症状に対する誤った解釈に基づき、自分が重篤(じゅうとく:病状が非常に重いこと)な病気にかかる恐怖、または病気にかかっているという観念にとらわれることを特徴とします。
心気症以外では、高齢者はより若い世代に比べて、神経症にかかっている人の割合は低いという報告があります。しかしながら、高齢者は不安やそれに伴う身体症状を年のせいや身体疾患のためと思い込むために見過ごされ、神経症にかかっていると思わず治療を受けていない可能性があります。高齢者が神経症にかかりにくいとは断言できません。」
このような症状を回復させるために様々な方策が考えられてきましたが、医学的治療も薬学的治療も効果はいま一歩という状態のようです。これらの症状を解消するために、平井富雄博士が考察された「自己催眠術」からその要旨を紹介しましょう。
1-2 赤面恐怖症
小学校の教員だった長尾盛之助氏は、1964年に鶴書房から「新・自己催眠法」を出版された。明治34年に催眠術をかけているのを目撃して1度で覚え、改良して長尾式瞬間催眠法を完成された。著書で催眠治療について次のように述べている。
「まず、どのような病気治療に効果があるのか、それを簡単にいうと、医者でも薬でもなおりにくい、あるいはなおらない難病(細菌の作用によらない精神的原因による病気)が催眠治療の対象となるのです。従ってつぎのように病気の種類ははなはだ少ないのです。
治癒病名:神経衰弱、神経質、ヒステレー、リュウマチ、顔面神経痛、肋間神経痛、坐骨神経痛、四十肩、五十肩、てんかん、どもり、じんましん、赤面恐怖症、対人恐怖症、糖尿病、不眠症、乗り物酔い、めまい、頭重、ビル病、冷え性、バセドー氏病、パーキンソン氏病、チック病など。」
様々な方が催眠についての書籍を出版されているが、私が愛読したのは平井富雄博士が1942年10月に光文社から出版された「自己催眠術」だった。平井富雄氏は東京大学医学部卒業の医学博士で、日本精神神経学会理事長を務められた方である。
赤面恐怖症を例にとると、赤面症で悩む人は、顔が赤くなってしまうことを「絶対にあってはならないもの」と決めつけてしまう。顔が赤くなってしまうことは、自分にとってデメリットだと考えてしまうのだ。そう言われてみると納得する。
人前に出た時に不安や緊張するのは自然なこと、それによって顔が赤くなること自体は問題ではないのだ。だが、「顔が赤くなってしまうのではないか」ということに注意が向いてしまうことが問題なのだ。
不安や恐怖が余計に強まってしまい、そのせいで赤面する。無くさなければと思うほど、よけいに注意が自分の赤面に向いてしまう。このようにして赤面症は不安が悪循環して高まっていき、赤面恐怖症になる。
私は20代のころ極度の赤面恐怖症だった。人前に立つと上がり汗が噴き出して人の顔が霞み、舌はもつれて言いたいことの十分の一も言えなくなる。それが平井富雄博士の自己催眠術のおかげで、30代の後半に300人の前でも冷静に講演できるようになった。
1-3 自己催眠とは何か
長尾盛之助氏が学んだのはフランスのエミール・クエ氏の「自己催眠法」だった。平井富雄氏はドイツチュービンゲン大学クレッチュメル教授の「自己催眠法」や、ベルリン大学の精神身体医学者のJ・H・シュルツ博士の考案された「自律訓練法」だった。平井富雄博士は次のように説明されている。
「自己催眠は、自己の心の奥底にあるものを「抑圧」や「緊張」なしに、自然に意識という舞台に登場させてくれる。ここにはつねに新鮮な、心のドラマの展開がある。それを自分自身で演出すること、自分の演出した舞台の出来栄えを素直に見守る観衆の目…これら二つの緊密な連絡が自己催眠の心の状態を形作っているといえる。
他者催眠では、催眠者が被催眠者に対して絶対的優位な立場にあり、被催眠者の心は催眠者の暗示しか受け取らないようになってしまっている。だから、被催眠者は催眠者によって催眠状態からさましてもらわなければならない。
ところが、自己催眠では催眠者と被催眠者は同一個人である。つまり一人二役で催眠者としての自己、被催眠者としての自己が、自我の中で相互に働きかけている状態である。催眠者としての自己はいつでも、被催眠者としての自己を催眠状態からさますことができる」
自己催眠による催眠状態は、このような半無意識、半覚醒なのである。平井富雄博士はシュルツ博士が催眠の本質を、緊張の開放、心の安らぎ、あるいは爽快なエネルギーの自覚として捕らえたのは慧眼であったと評価されている。
人間の心は常に外から、そして自分自身のうちからも色々な制限や抑圧、あるいは逆に誇大な自負や意識的な自己修飾によっていつも捻じ曲げられている。とくに都会に生活する現代人にこの傾向が多かれ少なかれあると思われる。
だから現代人はよく働く。よく遊ぶ。そのあとで妙な自責感とらわれたり、むなしい孤独感にあえいだりする。ノイローゼの人は、この傾向のとりわけ強い人と言われる。不平不満は裏返せば自分の過信につながるし、恐怖症は自分の過少評価からくる心の萎縮の結果である。
だれも他人はよく見える。そして、鏡に映った自分の姿勢を良いとうぬぼれる人もいるし、嫌だとしり込みする人もいる。この時の鏡は、本当の自分を映し出しているのだろうか。
案外、社会の、会社の、友人の、同僚の、そういう他人の目の合成鏡かもしれない。だから他人は、自分より良く見えるのである。受験生も、教育ママも、余裕がない。自分自身を失って、自分の形を万華鏡のような鏡に映して、伸ばしたり縮めたりしている。
本来、人間はそんなに器用な動物ではない。だから、自然を住みよいように変え、多くの機械が人の無器用さを助けるために考案されてきたのである。しかし「心」の問題に関する限り、あまりに現代人は器用すぎないだろうか。
この器用さが人の本来の心の姿をゆがめたとき、ノイローゼというやっかいな病気が発生する。ここまでいかなくても、器用になれない自分の心をむりに鞭うつマゾヒズムが生まれ、余裕のない心がいつもなにかを求めて、あくせくしエネルギーの空費をつづけてはいないだろうか。
人がみんな同じ目標で生きるようになると、どうしても競争が激しくなる。しかし、人間には「自己」がある。自己を殺してまで、他人と競争することが必要なのだろうか。また、競争をしていて負けたら大変という「不安が」生じないだろうか。
競争に勝ち抜くことがすなわち生き抜くことにつながる。それが生きるための最低条件ならば、あなたはなぜ、あなた自身について知ろうとはしないのだろうか。機械のようにフル回転のような努力をしても、だれもが同じ能力が発揮できるわけがないのだ。
それにもかかわらず、それを理想として、自分を機械にしている人のなんと多いことか。自己催眠術は、あなた自身をより深く知る科学にほかならないのだ。