はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第12章 アンパンマンのエキス

献血ルームの落書き帳に残された感謝の言葉は、4歳の長男を小児がんで亡くしたお母さんがつづられたものでした。急激に増殖するガンに肩で息をしながら血液が届くのを待つ子、子どもの手を握り締めて祈り続けるしかない母。多くの人々が涙しました。

1 献血ルームに残された言葉

 「ありがとう!って いっぱい言わせて」

私の4歳の長男は小児ガンです。

10ヶ月月の闘病生活の末、亡くなってしまいました。

  その間、皆様の献血のおかげで

  安心して治療を受ける事ができました。

  本当にありがとうございます。


あの子は輸血されると元気になる事を知っていて

『アンパンマンのエキスだ~』と言っていました。


  一時は毎日のように輸血させて頂きました。

  輸血が必要な時 『今 足りないので待っていてください』

    と言われ 祈るような想いで待っていた事もありました。

    届いたときは、本当に嬉しかったです。


献血して頂きました皆様になんてお礼を言ったらいいのか。

ありがとう! ありがとう!

  医療スタッフと皆様のおかげで生きながらえる事ができて

  どんなに《ありがとう》と言っても足りません。


    今でも病院では、多くの子供たちが輸血を待ってます。

    これからも献血をお願いします。 もちろん私も来ます。

    子供たちの笑顔が消えませんようにと祈ってます。

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2 その後の追記

これはアタシの長男が亡くなって1ヶ月後に、

献血ルームの落書き帳へ書いたものです。

  たまたま持っていた写真も貼りました。

  泣きながら書いたんで感情がむき出しで

  文法がへんになってるんですけど。

    タイトルは誰かがつけてくれました。


その後【アンパンマンのエキス】は、

小冊子や献血の広告・ポスター等の呼びかけや

看護学生さんの教材などにも使ってくれています。

亡くなった後も、こうして皆様に可愛がって

もらえるなんて長男はとても幸せ者です。


  『今 足りないので・・』の時の話をさせてください。

  当時は一刻を争う時でした。肩で息をする程の。


通常こちらの病院は、朝 輸血のGoサインが出ると

昼すぎには始まります。

  輸血をしなければ、即 何が起こっても不思議じゃない。

  ・・・でも、なかった。

    《早く!早くなんとか!!》

    ずっと苦しがっている長男の手を握りしめながら

    祈るしかできないこの歯がゆさ。

  そして深夜、丸一日経って届けられた 命をつなぐ血!

  それは県外からヘリコプターで届けられたものでした。


また、一回の輸血で必要とされるのは約8人分らしく(血小板)

これらを含め輸血を50回以上もさせて頂いてました。

  本当に、本当に心から感謝いたします!


「ねぇ、今 なにしてる?」

       今日も お空にむかって。

                    きよみ

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3 アンパンマンのエキスとの出会い

平成20年1月12日、北海道血液センターと札幌市の連名で「第2回献血フォーラムの開催について」という案内文書が届きました。各医療機関から400ml献血で製造された赤血球製剤の需要が多く、約84%の需要に対して献血割合が80%にとどまり、献血量の不足を訴えるものでした。

献血フォーラムの講演は「アンパンマンのエキス」となっていました。「ご自身のお子さんが小児ガンにより4歳で亡くなり、輸血を通してその闘病生活を支えたお母さまのお話。ある献血ルームのらくがき帳から生まれた真実の物語です。」とあります。

平成20年1月29日の「第2回献血フォーラム」に参加すると、神戸から「きよみさんご一家」が招かれ、きよみさんとラジオアナウンサーとの対談形式でお話を伺うことができました。

異様な腹痛に救急車を呼びましたが病院の診断は風邪でした。いったん帰宅しても異様な状態に納得できず、再び救急車で病院の診断を受けたそうです。血液検査結果は末期の小児ガン(神経芽細胞腫)で余命一ヶ月との宣告でした。

2000年7月29日、無菌室の中で「ママ、だっこ」がりょうすけ君の最後の言葉でした。無菌室の壁は無常にも親子を断絶し、きよみさんはわが子を抱きしめることができなかったといいます。りょうすけ君ときよみさんが病に挑んだ姿に300人を超える参加者はだれもが涙しました。

「ありがとう!っていっぱいいわせて」の出典は「育児・株 きよみ主婦の娯楽日記」です。すばらしい動画(ナローバンド250kbps、ブローバンド1mbps)を提供してくださるのは「テレビ新広島」です。

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4 あなたの善意で引き継いで!

大学生時代に「なにか人の役に立つことができないだろうか。」と考えて始めたのが献血でした。就職してから献血センターが近くになかったり、時間帯が合わなかったりであまり熱心ではなかったと後悔が残ります。

65歳以上の献血は、健康を考慮して60歳から64歳までに献血経験がある場合に限定されましたが、なんとか69歳11ヶ月27日まで続けることができました。2012年(平成24年)4月15日、70歳となる4日前に125回目の献血を済ませました。

献血センターの前を通りかかると、今日も血液を必要としている方々がいるとわかります。血液が届くのをいまか今かと待っている人がいるのです。この歳ではお役にたてない寂しさに襲われ、献血に協力してくださる方が現れるようにと祈ります。

体調がよろしければ献血にご協力ください。献血については「日本赤十字社」をご覧ください。わたしがもっとも利用した献血センターの情報は、サイドメニュー「信頼の医療機関」の最終部にあります。

えっ、そんなものくれるのと驚いたのが献血の表彰制度です。日本赤十字社は献血記念品や感謝状などにご協力いただいた方々(個人・団体)や献血の推進にご協力いただいた方々(個人・団体)に対し、感謝の気持ちを込めて功労に対する表彰を行っています。箱の中身はいただいてから確認してください。

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