はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第4章 がん治療の疑問

1997年7月7日、食道癌が肺へ転移した父は70歳で永眠しました。初診から5ヶ月半、自ら病と闘うことを許されず放射線と制癌剤の副作用に苦しみながら去りました。医師の云う治療は病を治すことではなく、薬を投与してどうなるか見ていることでした。

1 疑問を呈した父

昭和52年1月14日の心電図検査の前に、父は掛かり付けの医師に「昨年の10月頃から、時々食事がのどに引っかかるような気がするのです」と自覚症状を訴えました。医師は微笑みながら「気のせいじゃないですか。よく噛んで、ゆっくり食事をとるようにしてください」と答えたといいます。

家族に「食道がんは早期発見しか助かる道はない」と言われ、薬をもらいに出かけた際に食事がのどに引っかかる症状を詳しく説明しました。翌21日にレントゲン写真を撮ると「この病院では詳しくわからないので、ガンの専門病院で再検査を受けてください。」と指示があり、レントゲンフイルムと内科医師への手紙を渡されました。

指示された24日にがん専門病院で内視鏡検査を受けると、気管が腫れているので放射線科で再検査を指示されます。26日に放射線科で再検査を受けると「食道内に腫瘍があるので放射線治療をします。ベットが空きしだい入院してください」と言われたそうです。

1月31日にがん専門病院へ家族が出向くと、内科の医師より「お気の毒ですが食道がんの末期症状です。手術ができる状態ではないので放射線治療をします。良くて一年ぐらいでしょう」という説明がありました。

父の死亡診断書(死体検案書)には次のように書かれています。

  発病年月日        昭和52年1月頃
   死亡年月日        昭和52年7月7日午前9時8分
   死亡の種類        病死
   死亡の原因        食道がん
   発病から死亡までの期間  約6ヶ月
   解剖の主要所見      陳旧性心筋梗塞症、両側肺炎、左胸膜炎、
                左肺気管支食道の穿孔

父は「飲み込みずらくなったのは昨年の10月頃から」と医師に症状を説明していましたが、掛かり付けの医師が書かれた死亡診断書の発病年月日は昭和52年1月頃となっています。医師が患者の訴えに基づき、撮影したレントゲン写真で食道がんを確認したのは昭和52年1月21日でした。死亡診断書に書かれた科学的根拠のない発病年月日は必要なのでしょうか。

医師の「この病院では詳しくわからない」というのは不勉強ですまされても、がん専門病院の内科医は「気管が腫れている」と診断し、放射線科医は「食道内に腫瘍がある」と異なる診断を下しました。ガン専門病院の内科と放射線科で診断が異なるのはおかしいと疑問を呈した父を説得し、入院させるためにどれほど苦労したかわかりません。

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2 食道がん

放射線科の医師は30代と思われました。最新の機械を駆使して治療できるのは、機械以上に優秀な頭脳と訓練を受けた若い医師でしょう。2月1日に主治医となった医師に面会を申し込み「食道内良性腫瘍であり、放射線で焼き切るので心配ないとはなしておきましたが、父の病状をくわしく教えていただきたいのですが」と質問しました。

「良性腫瘍で良いでしょう。すでにお聞きになったと思いますが、食道内壁にラセン状に10センチの癌腫があり、転移も考えられるケースです。手術することは腫瘍の大きさからも不可能で、放射線を照射して食道内の通過障害を取り除くことぐらいでしょう。あとは抗癌剤を使用することになりますが、これも効果は期待できず、余命は半年から一年以内と思われます」

医師は「効果は期待でき」なくても「あとは抗癌剤を使用する」といいます。抗癌剤の副作用は、考えた以上にひどいと言うはなしを聞いています。患者の苦しみを除去するより、効果は期待できない抗癌剤で苦しみを与えることが重要なのでしょうか。余命は半年から一年以内といい、死を迎えるまで苦しませることに意味はあるのでしょうか。

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3 不可解な事象

3-1 正反対の言葉

入院前日の2月1日、入退院は婦長権限と聞いていたので婦長に菓子折りを持参し、ほんの気持ちですからお納めくださいと差し出しました。「この病院は患者さんからいただくことを禁止しています。それよりも先生方の指示を守って一日も早く元気になられ、退院できるようにしてください。そのときは遠慮しませんから」と固辞されました。

婦長の言葉に耳を疑いました。医師は「余命は半年から一年以内」といい、婦長の言葉は「先生方の指示を守」ると「早く元気」になり「退院できる」といいます。病状を知らされているはずの婦長の言葉は、医師とまるで正反対でした。

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3-2 壁は厚い

医師との入院打ち合わせで、「素人がこのようなことを申し上げるのは失礼ですが、丸山ワクチンを使っていただくわけにはいきませんか。末期のガンにも効果があると聞いていますが」とお願いしました。「丸山ワクチンは、以前患者さんの希望で使用してみましたが効果のあったケースはありません。結論から言いまマルヤマワクチンのパンフレットすと、本来の治療以外に学問的検索の十分でない実験的な治験薬を使用するのは望ましいことではなく、なるべく使用しないよう申し合わせをしています。効果のあった例はないんですよ」

テレビ番組の解説とは違いすぎるので「全然効かないんですか」と声が高くなりました。すると「わたしの病院で結果が良いというのはありません。入院中はいろいろと出費がかさみます。丸山ワクチンは東京へ出向かなければならず、ほとんど効果はないのですから余分なお金は使われないほうが良いと思います」

気を取り直して「最近クレスチンというガンの特効薬が出たと聞きましたが、どうなんでしょう」と質問しました。「クレスチンですか。現在使用している患者さんもいますが、効果はねえ。何人か試してみましたが特効薬なんてありませんよ。これもワクチン同様治験薬ですから、いろいろ複雑な使用報告書を出さなければなりません。私たちは忙しいのでわかってもらえると思いますが」

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3-3 配慮だろうか

入院した2月2日、母は家族に知られないよう「病状はどうなんでしょうか」と婦長へ質問したそうです。婦長は「大したことはありませんよ。最新の治療機械がありますからすぐ退院できますよ」と優しく答えたといいます。

母は、婦長の「大したことはありません。すぐ退院できます」という言葉に疑いを持っていました。父の葬儀後に理由を聞くと、「高齢者にショックを与えないように配慮したのだろう」と、常識的な答が返ってきました。しかし、配偶者にも真実を伝えないことに疑問が残ります。

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3-4 命は誰のもの

2月28日に面会を求めて、医師に「父にガンであることを話すのは、いつ頃がよいでしょう」と質問しました。医師は「患者さんに知らせてはいけません。それでなくても体は衰弱しているのですから精神的な負担も大きくしてしまいます。それと分かるそぶりもいけません。これは家族の協力が大切です」と説明しました。

そこで、「自分の病状を知っていたほうが病気と闘いやすいと思うのです。本人も家族も一緒にガンと闘うべきと思いますが」と考えを述べました。医師は「患者さんの治療は私たち専門家に任せてください。失礼ですが、素人の方々はいろいろ聞きかじってくるものですから治療に差し障りが起きることがあるのです。私たち医師を信頼してお任せ願いたいのです」と医師は答えました。

患者の家族はただ一つ「病気を治してほしい」という願いです。医師の言葉は「治療は専門家に任せて」、余計な事を云うと「治療に差し障りが起き」るので「医師を信頼してお任せ願いたい」。患者の家族が黙って医師に任せていれば、医師は確実に病気を治してくれるのでしょうか。

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3-5 当事者の質問に

3月9日、父は午前中の心電図検査を終えると婦長に呼ばれて詰所へ向かいました。勧められた丸椅子に腰を下ろしていると、汗を拭きながら入ってきた婦長が「食道にできた腫瘍を焼き切りますから14日より放射線をしますよ」。

父は思わず腰を浮かせました。婦長は「そんなに心配いりません。リニア・アクセルレーターという最新の機械を使いますから、放射線の量は少なくて済みますしほとんど副作用はありません」と説明したそうです。

座り直した父は「婦長さんにそう言っていただけると安心しましたが、わたしはガンですか」と尋ねました。ゆっくり振り返った婦長は、不思議そうに問いかけたそうです。「どうしてガンなんです」「違うんですか」「違いますよ。家族の方にはくわしくはなしましたが心配いりません。なにか気になることがあるんですか」と言われ、入院以来初めて熟睡したと父はいいました。

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3-6 もし事実なら

病院へ見舞に出向いた3月12日、医師が父の臀部に注射をしていました。物陰に隠れて医師をやり過ごし、通りかかった新人の若い看護婦に「先生が直接注射をしていましたが、新薬が出たんですか」と質問しました。

看護婦は怪訝な顔をして「ちょっとお待ちください。」と詰所へ行き「看護日誌になにも記録されていません。見間違いでしょ」と答えました。

当時、入院患者の家族の間に不吉なうわさが広がっていました。「余命が短くなった患者は人体実験の材料にされる。製薬会社は開発中の新薬にどの程度の副作用があるかの実験を医師に依頼し、医師は命を助けることができないと判断した患者を選んで、副作用の有無や人体への影響を調べて報告し手数料を受領する。新薬が販売できれば莫大な利益が上がるので、人体実験をした医師にもそれ相当のボーナスがでる」という、真実味のありそうな人体実験のうわさでした。

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3-7 賭けるなら

妹が制約会社に勤めている友人より「クレスチン」の情報を入手しました。カワラタケというキノコの菌糸体成分からつくられたほとんど副作用のない免疫賦活剤で、腫瘍縮小効果はないが抗がん剤の5-FUなどの併用で延命効果がクレスチン一回分認められるそうです。丸山ワクチンと併用しても副作用はなく、相乗効果が期待できるというものでした。

放射線科の医師に3月19日「食道がんの腫瘍は15センチとなり、放射線は食道の通過傷害を取り除くことしかできず、癌の腫瘍を撲滅することができません。今後は抗癌剤による治療を行います」と言われ、医師は患者に苦痛を与えることを知りながら、万に一つも効くかもしれない賭けに出たと感じました。

再び丸山ワクチンとクレスチンの投与を切り出すと「どうしてもというのなら使用してみましょう。いずれにしても延命効果は望めませんよ。21日に病院へ来てください、書類をつくっておきましょう」との回答をいただきました。当時のこの病院でクレスチンは取れないので、直接製薬会社から提供を受けました。食道のイラスト

丸山ワクチンを提供する大学病院前は、最後尾が視界に入らないほどの行列ができていました。15名単位の受付が始まり、使用承諾書などを封筒からだして渡されたカルテにクリップで止めていると、15センチになった腫瘍の形状がわかりました。

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3-8 異なる処置

3月26日に丸山ワクチンを放射線科医師へ届け、丸山ワクチンを提供する大学病院で説明を受けたとおり「抗癌剤との併用をしない」よう依頼しました。医師は「ワクチンは効果が認められないので、だれもが抗癌剤と併用しい丸山ワクチンの注射液てますが希望どおりにしましょう。この薬はあくまでも病院側の好意で使用することになり、そのため婦長や看護婦は本務外の仕事が増えることになります。婦長にはわたしから頼んでおくが家族のほうからもひとこと挨拶してください」と要望されました。

翌日、菓子折りを持参して婦長へ「ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」を挨拶しました。「先生方の指示を守って一日も早く元気になられ、退院できるようにしてください」との言葉は聞かれず、菓子折りを無表情で受領されました。

3月30日に病室を訪れると点滴は続いていました。点滴の薬品名ラベルをみると、体内で活性化されて5-FUとなるフトラフール207が800mgです。抗癌剤は併用しない約束は反故にされ、丸山ワクチンの効果はわからなくなりました。

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4 不思議な判定

4-1 ワクチン使用判定1

4-1-1 症状

2回目の丸山ワクチン請求時にあずかった臨床成績票の表に3月29日・4月1日・8日・15日の4日分のデータが記録されていました。呼吸器と消化器症状(せき・たん・はきけ・嘔吐・腹痛・腹部圧迫感・腹水・胸水)はすべて「-」、食欲は「±」、浮腫は「-」です。体重は3月29日に52kgで4月8日は51.5kgとなり、4月1日より微熱があります。脈拍は90で一定し、血圧も128/70と大きな変動は見られません。

4-1-2 臨床検査

臨床成績票の裏に、3月29日と4月13日に検査した二種類のデータが記録されていました。

項目3月29日4月13日
血液ヘモグロビン  12.3  1.8
赤血球数  393  384
白血球数 4300 4500
末梢血リンパ球   27   37
肝機能ZTT 正常 正常
TTT 正常 正常
酵素AlP  5,7  6.1
GOT   10   11
GPT    7    6
LDH  173  185
総蛋白質  5,0  5,4
A/G比 正常 正常
黄疸指数 正常 正常
総コレステロール 正常 正常
電解質Na  141  142
  4.0  4.5
Ca++  4.4  4.5


 所見等お気づきの点記入欄(X線主要所見・ワクチンと併用薬剤・輸血・輸血等の使用料とその投与方法)とツベリクリン反応実施年月日の欄に文字や記号の記載はなく、効果判定欄に「 no effective (まったく有効ではありません)」と書かれていました。「抗がん剤を併用している」とは書かれていません。

4-1-3 効果判定

4月30日に持参した「臨床成績」表を見たワクチン療法研究施設の担当者は、「ワンクールだけでは効果の有無については判定できないので継続して使用してみてください。」とおっしゃいました。当然といえば当然の答えです。

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4-2 ワクチン使用判定2

4-2-1 症状

3回目の丸山ワクチン請求時にあずかった丸山ワクチン臨床成績票の「症状」欄には5月9日~6月6日まで6日分のデータが記録されています。呼吸器と消化器症状(せき・たん・はきけ・嘔吐・腹痛・腹部圧迫感・腹水・胸水)はほぼ「-」で、時折せきとたんが出ています。食欲は「+」、浮腫は「-」で、体重は5月9日に50kgで6月6日は47kgまで落ちていました。体温は36.6~36.7度と一定し、脈拍も平均75で血圧は120/70と大きな変動は見られません。

臨床成績の結果は5月13日と27日のデータが記録されていました。

4-2-2 臨床検査

項目5月13日5月27日
血液ヘモグロビン 11.2 10.3
赤血球数  316  324
白血球数 5000 7800
末梢血リンパ球   28   15
肝機能ZTT
TTT
酵素AlP  7,2 7,21
GOT   15   14
GPT  145  124
LDH  235  245
総蛋白質  6,0 7,04
A/G比 1,07 1,85
黄疸指数    6    5
総コレステロール 196  246
電解質Na    1  140


 X線主要所見に、食道がん、PSK3.0g分にて毎日投与。所見欄に記入なく、効果判定欄に「 狭窄が次第に増強、余り効果は認められず」と書かれています。

4-2-3 効果判定

6月11日に持参した「臨床成績」をみたワクチン療法研究施設の担当者は、「白血球は最大正常値まで回復しており、酵素も安定している。抹消リンパ球は減少しているが、体調の波があるので心配ないだろう。体温も安定し、食事が進まないと言ってもすぐにどうということはない。

現在のところ全身症状は良好であるかに思える。この症状により、SSMは有効であると判定できるので、今後も続けるほうがよいだろう。クレスチンとの併用は害がない」とおっしゃいました。あの程度の臨床データでなぜ有効と思えたのか疑問です。

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5 生き物として

5-1 治療という用語

家族が最初にであったのは、医師の「手術ができる状態ではないので放射線治療をします。」という言葉でした。手術は治すために行うもので、直せないことがわかれば手術はしないでしょう。放射線も手術同様に治すために行うものと考え、直せないことがわかれば放射線治療もする必要性はないでしょう。助けたいという願いの家族は「治療とは病を治すこと」と信じていました。

放射線科の医師は「治療は私たち専門家に任せて」、家族が口をはさめば「治療に差し障りが起きる」といい、「あとは抗癌剤を使用することになりますが効果は期待できず」と説明しました。効果が望めないと言い言い切っておきながら、患者に苦しみを強いる抗癌剤をなぜ使うのでしょう。

末期のガンにも効果があるらしい丸山ワクチンやクレスチンの使用依頼をすると、実験的な治験薬を使用するのは望ましいことではないといいました。3月12日に医師自ら父の臀部に注射した「看護日誌に記録されない人体実験らしい薬の使用」は、望ましい行為と言えるのでしょうか。

広辞苑第六版の治療を見ると「病気やけがをなおすこと。また、そのために施す種々のてだて。」と説明されています。大辞林第三版に治療は「病気をなおすこと。療治」。世界大百科事典内に治療は「病気という名前で呼ばれる個人的状態に対し、それを回復させるか、あるいは悪化を阻止しようとしてとられる行為をいう」と説明されています。これが普通の考え方です。

父は放射線と抗癌剤の副作用で苦しみながら死にました。病気やけがをなおすことができない場合は、治療という言葉を使うべきではありません。医師の使う言葉が特殊な意味を持つなら、「私たち医師を信頼してお任せ願いたいのです」と言いながら患者やその家族の信頼を裏切っていることになりませんか。

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5-2 免疫機能の活性化

古代ギリシアのヒポクラテスは「医師が病を治すのではなく、身体が病を治す」という言葉を残しました。人のからだには、病気になったときに元の健康な状態に戻そうとする力があります。「自然回復力」や「自然治癒力」などと言われ、医療行為はからだの治る機能を手助けすることとされていました。

病で苦しんでいる患者に、真実を隠したままで病と闘わせても効果は上がらないと思います。知りたくない人に教えることは無駄ですが、指示されるまま左を向き、うるさく言われるから右を向く。そんな状態になった患者に生きる気力が湧くでしょうか。病という敵を知らせ、己の状態を知らせることで火事場の馬鹿力を湧き上がらせ、病に打ち勝たせる気力を高めるのが最善の策ではないでしょうか。

生命を脅かす事態が起きたことを、患者に一刻も早く伝えるべきでしょう。患者自身が生命の危機を知れば、生命維持組織は自らの命を守るために適確な作戦を立て、総力をあげて生命を守るための闘いに臨むでしょう。目標がわかれば力を発揮できるはずです。

効果を望めない薬剤の副作用に苦しみながら死を待つより、生まれつき備わっている免疫機能を活性化させて病と闘い、その結果を迎えるほうが生物らしい生き方と思います。効果の分からない薬剤を使うより、痛みや苦しみを取り除いてくれるだけで十分です。

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6 ありがとうございました

昭和52年3月23日(水)の4時半に退勤した私は、青い顔をして東京へ向かいました。出費が続いているから予算はぎりぎりです。日暮里から病院までの路上に散った桜の花びらが泥にまみれています。公園にはビールの空き缶や折詰の残骸が山のようになっていました。

午後9時ころ病院前につきました。近所を見回すと一軒しかない喫茶店から明かりがもれています。店には学生らしい客がたった一人です。店長は品の良い46~7の女性で、閉店時間が午前2時と聞いてホットしました。一時間おきにコーヒーを頼んでいると、

「そんなに気になさらなくてもいいですよ。お客さんは、どちらからいらっしゃいました」
「札幌から来ました」。
「札幌ですか。じゃあ、ワクチンをもらいにですね」
「ええ。でも、どうしてわかるんですか」
「北海道の方も、九州の方も、いろいろなところから随分こられますよ」
「ああ、それで。ワクチンをもらいに来る人はみなさんここへ寄られるんですか」

その店長は「よろしいですか」といいながら、向かいに腰をおろしました。

「このあたりの旅館は素泊まりでも結構するらしく、2回目とか3回目にこられる方はうちで時間をつぶされることが多いのですよ。あなたは初めてのようですが、どなたがお悪いのですか」
「父が食道癌なんです。頼りになるのは丸山ワクチンしかないところまできました。ワクチンは本当に効くんでしょうか」
「いろいろなことをいう方がいますけど、わたしにはわかりません。使用の許可をいただくまでずいぶんご苦労されたのでしょうね。わたしの店では気兼ねせずに、閉店までゆっくりしてください」

午前1時から春雨が振りだした。閉店時間の2時になると「帰りに届けてくれれば良いから」と傘をにぎらせ、「ありあわせの材料で失礼ですが、朝食のかわりにしてください」と、サンドイッチをさしだしました。

病院の玄関前に新聞紙を敷いてガラス戸にもたれるように腰をおろ、借りた雨傘はひらいて風よけに利用しました。午前4時を過ぎると60代の男性が一人あらわれ、丸山ワクチンを必要としてされている方でしった。大都会東京に突然響きわたるニワトリの鳴き声を聞きながら、喫茶店の女性に感謝しつつ2人はいただいたサンドイッチを食べました。

この日のことは忘れません。父が黄泉の国へ旅立つまで3回お世話になりました。やっと落ち着きを取り戻したとき、住所を知らないことに気づいたのです。いつの日か一言お礼を云いに行きたかった。13回忌が過ぎたころ、やっとチャンスが巡ってきました。

降りしきる雨は心の温かなあの人を思い出させます。休ませていただいた喫茶店をさがしましたが、街のようすはすっかり変わっていました。雨に濡れないように白い恋人というお菓子を胸にかかえ、坂道をうろうろしながら記憶をたどれないことをさとりました。そして2時間後、あの喫茶店は9年まえに閉店したことを知りました。

お元気にお暮らしのことと祈っています。ありがとうございました。

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