4 日本人は滅亡を待つだけ
4-1 信頼された日本軍
先の事変で日本の第五師団が北京を開放したが、ロシア兵は略奪に血道をあげる者が少なかったのに対して、日本兵は略奪を全く行わなかった。日本軍は規律正しくふるまい、現地の人々にはまったく危害を加えずさっさと引き上げた。
H・N・アレン(申福龍訳)『朝鮮見聞記』、イザベラ・バード(時岡敬子訳)『朝鮮紀行』、W・F・サンズ(申福龍訳)『朝鮮備忘録』、F・A・マッケンジー(渡部学訳注)『朝鮮の悲劇』などには、日本軍の規律を称賛する記述が多い。
国防に制限を加えるべきというのは、たとえ北朝鮮や中国の軍事的脅威にさらされようとも、国民の生命を守るための防衛力整備を遠慮しなけらばならないと云っているようなものである。
ロンドンタイムズは、1952年6月から7月にかけて約二ヶ月間戦争裁判に対する論争を連載した。サンフランシスコで講和条約が締結され、日本の独立が認められた年である。しかし、日本のマスコミは一切取り上げることはしなかった。
東条英機の弁護を担当した清瀬一郎弁護士は、「裁判の最中に毎日流されていた法廷記事の半分は嘘であった。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりをしていたのだと、日本国内は勿論世界の隅々にまで宣伝した。
しかも弁護人はこれに対抗する手段は封ぜられ、判決が下されても判決批判は一切禁じられていた」と語っている。戦争を起こさざるを得ないまでに追い詰められ、やむなく立ち上がってアジアを白人支配から解放させたのは日本である。
戦争犯罪者という汚名を着せられた一番の被害国である日本の政治家も、法律家も学者もインテリもジャーナリストも、汚名を着せられた気の毒な同胞に石を投げるような態度に終始している。
トップへ戻る
4-2 被害者は日本
日本が太平洋戦争に突入した背景には、国による報道統制を受けた新聞が戦意を煽ったことがあると一般的には考えられている。しかし実際には報道統制が理由ではなく、新聞は自発的にそのような報道を行っていた。
鬼畜米英と叫んでいた人々はひとたび占領軍が進駐してくると平身低頭し、唯々諾々として占領軍に忠誠を誓い、国民は騙されたといいながら日本の弱体化政策、愚民化政策、骨抜き政策に奉仕し、自らの手をもってこれを短期間で成就させた。
大東亜戦争による日本の存在と決断と犠牲が、白人の侵略停止、植民地の開放、人種差別の撤廃の動機となり、世界地図を塗り替えるほどの人類史上最大の革命をもたらしたことは、何人も疑うことのできない事実である。改めて大東亜戦争で散華された英霊に深謝したい。
世界の国々の首相が相手国を訪問したときは、戦死した軍人らを追悼する墓地に献花するのが常識である。国家のために尊い命を捧げた英霊に対して、天皇のご親拝はもとより首相の参拝もままならないという国は世界中で日本だけである。
日本はソ連に対して侵略を行ったたどころか、終始一貫してソ連と事を構えることを避けてきた。日本にソ連を侵略する意図があれば、ヒトラー軍がモスクワを包囲してソ連軍がウクライナで死闘を続けていたチャンスを見逃すはずがない。
日本国政府が最後の頼みとしてソ連を通じて和平交渉を依頼しているときに、ソ連は中立条約を一方的に踏みにじって満州になだれ込み、婦女子を強姦して住民の財産を剥奪し大勢の日本人をシベリアに連れ去って奴隷労働を強いたのはソ連であった。
二十世紀に入って白人の支配に従わない唯一の国「日本」を、北からソ連、西からイギリス、東からアメリカが一挙に襲いかかったのが大東亜戦争だった。東京裁判は白人500年の侵略と残虐、植民地支配の罪をすべて日本に転嫁するものだった。
トップへ戻る
4-3 戦火からの脱出
ウクライナへロシア軍が侵攻したとき、ウクライナの人々は土地続きのポーランド経由でヨーロッパの西側諸国へ避難した。西隣のポーランドとの国境地帯は、戦火を逃れる市民であふれかえっていた。
国連によると、同国ではすでに1千万人以上が侵攻のために住み慣れた自宅を離れたとみられている。近隣諸国へ避難した420万人のほか、戦乱の続くウクライナ国内で、さらに650万人が避難生活を送っているそうだ。
IOMは、国内で避難している人の半分が女性だと推測している。また、その多くは妊娠していたり、障害があったり、暴力の被害者だったりするなどの理由で、特に弱い立場にあるとみている。
ポーランド、ルーマニア、スロヴァキア、ハンガリー、モルドヴァなど、西側の近隣諸国にも難民が渡っている。国連によると4月5日現在、420万人以上がウクライナを離れている。その内訳は以下の通り。
ポーランド249万447人、ルーマニア:65万4825人、モルドヴァ:39万9039、ハンガリー:39万8932人、ロシア:35万632人、スロヴァキア:30万2417人、ベラルーシ:1万7317人。
ウクライナ国境に向かう列車は満員で、隣国へ至る道路には車の長い行列ができている。難民は、身分証明書やパスポート、一緒に旅行する子供の出生証明書、医療書類などがあると便利だという。
難民認定を受けるには、ウクライナ国民であるか、留学生などウクライナに合法的に居住していることが要件となる。しかし、アフリカ諸国からウクライナを訪れ生活していた人たちが、出国を阻止された事例も報告されている。
トップへ戻る
4-4 逃げ道がない島国
北方領土に軍備を拡大しているロシアは虎視眈々と北海道進攻を狙っている。大東亜戦争末期に北海道占領を申し出たロシアはマッカーサーに拒否された。ロシアにとって北海道占領は戦前からの夢だった。
台湾へ逃げ込んだ中華民国の蒋介石は、大東亜戦争末期の同じ時期に九州を中華民国の領土として要求し、マッカーサーにはねつけられている。この事実は中華民国の要求であっても、中華人民共和国の要求として認識しているようだ。
日本へ近隣諸国が侵攻してきたら、周囲を海に囲まれている日本人には逃げ場がない。東シナ海や南シナ海は中国が制海権をにぎり、侵入してくるものは難民であろうとなかろうと問答無用に殺傷するだろう。
チャールズ・リンドバーグ(ニューギニア戦線に従軍)の日記やユージーン・スレッジのペリリュー・沖縄戦記を読むと、米軍兵による日本軍捕虜虐殺の証言が載っている。ジュネーブ協定を守っていたのは日本だけである。
太平洋戦線に投入されたアメリカ兵のなかには、日本兵の遺体の一部を切断したり、狩猟の獲物と同じように扱い「戦争の記念品、土産」として持ち去る例があった。「土産」には金歯のほか、頭蓋骨や他の人体各部が採取されることもあった。
耳を切り取ってベルトにぶらさげる、歯でネックレスをつくる、竿に生首をたてる、戦車に頭蓋骨を取り付ける、といった具合に使用された。戦後、マリアナ諸島から本国へ日本軍将兵戦死者の遺体の残りが送還された時、約30%がそれらの頭部を失っていた。
サイパン島で収容所にいた日本人少年は、海岸で頭蓋骨をボール代わりにして遊ぶという猟奇的行為を行うアメリカ軍兵士を目撃している。
1944年6月には、フランクリン・D・ルーズベルト大統領がペンシルベニア州選出フランシス・E・ウォルター連邦議会下院議員から、日本兵の腕の骨で彫ったペーパーナイフを贈呈された。
トップへ戻る
4-5 米軍の占領時には
連合国軍が日本へ進駐した最初の10日間、神奈川県下で1,336件の強姦事件が発生した。1945年8月28日、9月に開業予定の大森海岸小町園慰安所にマシンガンで武装したアメリカ軍兵士達が乗り込み、すべての慰安婦たちを強姦した。
横浜の慰安所では100名を超える武装したアメリカ兵が開業前日に乗り込み、慰安婦14名を輪姦して翌日抵抗した慰安婦を絞殺するという事件が起きた。開業後の慰安所では、精神を患う慰安婦、自殺する慰安婦も少なくなかった。
9月1日には野毛山公園で日本女性が27人の米兵に集団強姦された。武蔵野市では小学生が集団強姦され、病院に2~300人の米兵が侵入して妊婦や看護婦らが強姦された。しかし、GHQのプレスコードの発令後はこのような報道はできなくなった。
1946年に当時のアメリカ大統領夫人、エレノア・ルーズベルトの反対で米軍向けの特殊慰安施設は廃止された。特殊慰安施設が廃止される前の強姦事件と婦女暴行の数は1日平均40件発生していた。
しかし、特殊慰安施設協会が廃止された後の、1946年前半の強姦事件と婦女暴行の数は1日平均330件も発生した。日本を戦争へ導いたルーズベルトと、その夫人によって日本女性の純潔をも守ることができなくされたのである。
GHQの民政局は、台本を書いて「真相はこうだ」というラジオ番組をNHKに放送させ、戦争に協力したと見なされた人物を裁判等にかけることなく公職から追放し、「日本は悪である」との考え方を国民に押し付けた。
米国が望んだように日本は侵略国家としての歴史を持ち、日本人はアジアの諸民族に多大な迷惑をかけた悪い民族である。日本国憲法は平和憲法で、すばらしい憲法だから守り続けて行かなければならない、という考え方が染みついた。
洗脳工作の効果は絶大で、戦争についての罪悪感を心に植えつけられ、過去に日本や日本人がしたことを罪悪視し、日本を嫌悪する日本人が増加した。洗脳された人たちは、先人を犯罪者と思い込まされ井の中の蛙になってしまった。
トップへ戻る
4-6 韓国人は豹変する
日本人ヨーコの戦争体験記「竹林はるか遠く」は、終戦直後の朝鮮半島と日本で、日本人引揚者が味わった壮絶な体験を赤裸々に描いた物語である。11歳と16歳の娘を連れた母の逃避行は凄惨を極めた。その一部を紹介するのでぜひご一読をお勧めする。
私はたちが京城にきて五週間経ったある日、好が深刻な事情を伝えた。「私たちは京城を出なければいけない。朝鮮人の男たちが、藪の中へ女の人たちを引きずっていくのを見たし、若い女性に乱暴しているのを見たわ」好は震えていた。
酔った朝鮮人が私たちの周りに来た。一人が前後にふらつきながら好に執拗に迫った。「お前は男か女か?」「男だ」好は答えた。「女の声のようだ。触らせろ」「触ってみろ」好は言い返した。私は、どんなに誰か助けに来てくれないかと祈っただろう。
しかし、朝鮮人をこれ以上怒らせると、倉庫中にいる日本人を焼き払うかもしれないと恐れていたので、誰もそういった若い女性たちを助けようとはしなかった。酔った朝鮮人は大きな手を好の胸に当てた。
「平だ」彼は言った。「男には興味がない」男たちの集団は去ったが、彼らは悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、そして娘たちを見つける度に外へ引きずり出した。たびたび女たちの悲鳴が響いた。
小さな小川で水を飲もうと立ち止まったとき、私は泣き叫ぶ声を聞いた。草むらの中で女性の上に乗った朝鮮人がいた。彼女は思い切り男を蹴とばしながら、金切り声をあげていた。私の膝が震え始めた。両手で頭上のリックサックを支えながら、できるだけその場を離れ、母と好のもとへと急いだ。
38度線近くの小さな農家に、金夫婦と16歳の長男、14歳の次男が住んでいた。勝手口の外でドシンという音がしたとき、彼らは夕食を取っていた。金さんは長男に斧を持たせて戸を持ち上げると、戸の前に人が倒れて意識を失っていた。
金さんは淑世(ヨーコの兄)の服を触った。「凍っている」彼らは淑世を中へ運ぶと、少年たちは物置からわらやむしろを持ってきて、土間に寝床を作った。奥さんが破れた薄い朝鮮服を引き裂くと日本の学生服が出てきた。「父さん日本人なの」次男が尋ねた。
「制服のボタンに桜の紋章があるから日本人だ」と金さんは言った。みんなでゲートル、靴、湿った靴下を脱がした。奥さんは体を拭き、心臓マッサージをした。息子たちが淑世の体をマッサージしている間、奥さんは砕いた乾燥唐辛子を靴下に入れて履かせた。
トップへ戻る
彼らは淑世に寝間着を着せ、毛布を掛けてたくさんのわらで体を包み込んだ。「誰かに私たちが日本人の男の子を救助したことが知られたら、密告され処刑される。この子は私の甥ということにしよう」。息子たちが寝た後もずっと金さん夫婦は看病をし続けた。
淑世の体は回復し、辺りがリンゴの花の香でいっぱいになると淑世は故郷青森に思いをはせた。両親や妹たちへの懐かしさが募ったある夜、金さん一家に日本へ帰る時が来たと話した。金さんも奥さんも二人の息子も涙を流して引き留めたが決心は堅かった。
淑世は奥さんに感謝の気持ちを伝えたかったが、涙が出てきて胸が締め付けられるだけだった。彼女は淑世の手を取って泣き、「アイゴ」と悲しみの言葉を口にした。金さんは涙を浮かべ荒れた唇をかみしめ、しわが刻まれた顔でうなずいた。
息子二人は38度線を横切るイムジン川まで淑世を送ってくれた。川は共産党軍の厳重な監視下にあった。淑世は袋の中へ衣服と靴を詰めて紐で頭上に固定した。金さんの二人の息子と別れを告げ、探照灯が頭上を通り過ぎた時に川の中に滑り込んだ。
無事に川を泳ぎ渡った淑世は60キロ歩いて京城に着いた。羅南を出発してから8か月ぶりに貨物列車に乗り、釜山の港から淑世は舞鶴に到着した。そして、新聞を開くと妹たちの住所と一緒に自分の名前が書いてあるのを見つけた。
「竹林はるか遠く」がアメリカで出版されて20年たった2006年の秋ボストン近郊にすむ在米韓国人たちが突如怒りを爆発させました。本書はアメリカで中学生の教材として採用されていたのです。
本の内容について「日本人を被害者に、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」
といった理由を付けて、本を教材から外す運動をあらゆる手段を使ってやり始めたのです。さらに「著者の父親が731部隊に属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送っていた悪人である」といった事実に反することも言い始めました。
そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったのです。本書は私が11歳のとき、母と姉と朝鮮北部の羅南を脱出した時の体験を描いた自伝的小説にすぎません。
トップへ戻る
4-7 日本の防衛能力
防衛費約5兆4000億円、陸上自衛隊150,777名、海上自衛隊45,356名航空自衛隊46,923名。戦車557両、装甲車464両、装輪装甲車2,803両、自走砲277両、自走榴弾砲26両、自走ロケット弾発射機99両、自走式高射機関砲52両、砲けん引車・弾薬車72両、戦車回収車82両、航空機ヘリコプター354機、戦闘機300機、潜水艦22隻、へり母艦4隻等。
2017年に第五世代戦闘機Fー35Aの国内生産が開始され、三沢基地の27機を実戦配備している。航空自衛隊の第四世代戦闘機の保有数は215機にとどまる。中国空軍の740機、韓国軍の空軍の228機と比較すると数的に劣勢である。
マスコミや一部の政治家たちは、先の大東亜戦争(マスコミは太平洋戦争と言う)は侵略戦争で、戦争責任は日本にあると非難してきた。そのため、日本のためにと命を捧げた兵士たちを無駄死にさせ、慰霊を弔うことも忘れさせた。
日本は大東亜戦争に敗北した。日本を占領したアメリカは、防衛も否定した憲法を押し付けて日本の弱体化を図った。ソ連の指示を受けた左翼勢力は宣伝工作を活発化させ、日本は侵略戦争を行った悪い国だから永久に贖罪すべきと自虐思想を植え付けた。
NHKを初めとするマスコミ各社は、日本は侵略戦争を行った悪い国という左翼思想に染まり、国民の生命を顧みようとはしない。視聴料を番組編成に使わず、理由を説明せずに蓄財しているのは中国の日本占領に備えて賄賂を準備しているのだろう。
日本のマスコミや一部の政治家たちがいかに自虐思想を植え付けても、国民は次第に真実に目覚めていく。調べようとすれば資料はあちこちにあり、読み深めると次々に疑惑が持ち上がり、史実は隠れていることができずに白日の下に姿を現すのだ。
特攻隊は、決して「犬死」になどではなかった。特攻隊を犬死としたのは戦後のGHQによる情報操作と左翼思想家の捏造である。日本軍の肉弾攻撃は、敵の戦意を挫くほどの大戦果を上げていた。
ところが戦後のマスコミはこの軍事的な勝利をひた隠し、ただ戦争の悲劇の代名詞としてあるいは戦争の犠牲者の象徴として特攻隊を位置付け、イデオロギー闘争の手段として彼らを利用してきた。
トップへ戻る
4-8 自衛隊より軍隊を
仮に日本を非難ばかりしている近隣諸国が侵攻してきた場合、自衛隊は私たちを守ることができるのだろうか。田母神俊雄元航空幕僚長は、日本が抑止力を持つということは、自衛隊を強い存在として認識させる必要があるということだと説く。
現在のように、日本が理不尽な要求をされたときには、強い自衛隊をもって相手を攻撃する能力と意思があると示すことが必要になる。日本を攻撃したら自衛隊に徹底的に叩かれる。勝てる見込みがないということが他の国に広く知られていればこれが抑止力になる。
抑止力が効いていれば、他国は簡単に日本に武力行使をしようとは思わないものである。拉致被害や領海侵犯なども、自衛隊が法律でがんじがらめになっており、行動できないために被害が拡大しているのだ。
日本の場合、命令がない限り海上自衛隊は何もできない。それ以前に海上自衛隊によるやむを得ない対応で不審船の乗組員が死んだりしたら、殺人罪で捕まる恐れすらある。
日本の自衛隊が世界標準と大きくかけはなれているのは、世界の軍は「やってはいけないこと」が決められているが、自衛隊は「やっていいこと」が決められている。自衛隊は法律で決められ範囲でしか行動が許されていないことだ。
北朝鮮の拉致もまさに専守防衛の悪影響といえる。北朝鮮にしてみたら日本は絶対に自分たちを攻撃しないと分かっているから、交渉に3年から5年をかけても拉致被害者を返さないのである。
現在の自衛隊で可能な行動は、日本を攻撃してきたものを叩き、追い払うだけである。さらにまた相手から攻撃が続くような場合であれば、日本は敵地に反撃する能力はないというなんともお粗末な体制なのだ。
例えばアメリカと日本の船が並んでいて、アメリカの船が攻撃されても今の日本はアメリカを助けることはできない。しかし、日本はアメリカに助けてくれという。なんとも虫の良い考え方である。
ウクライナ問題でアメリカがロシアに対して経済制裁しかしない理由は明白である。アメリカ本国の安全保障には関係がないからである。この国際政治の現実を踏まえれば、中国が台湾や尖閣に侵攻したときに、日本は国民はもちろん領土すら守れないのである。
自衛隊は軍隊ではないと考えているのは日本だけである。海外派遣でどこの国へいっても、世界は日本軍として歓迎している。ロシアのウクライナ侵攻は、グローバル・スタンダードの軍隊がなければ国民の命は守れないと教えている。
自衛隊に正当防衛が問われるのはおかしい。ウクライナのように侵攻されたら、国民が目の前で殺されても手出しはできず、自分の命が危険と判断できるまでは攻撃できない。そんな馬鹿げた国が日本である。私は軍隊を復活させるべきと思う。
トップへ戻る
参考文献:日中戦争知られざる真実(黄文雄氏、光文社出版知恵の森文庫)、竹林はるか遠く(ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ、ハート出版)など。