1 宇宙開発先陣争い
1) ソ連の大活躍
1957年10月4日にソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソビエト」と略す)は人類初の人工衛星スプートニック1号を打ち上げた。衛星は直径58cmのアルミニューム製球形で重量は83.6kg。長さ2.4mのアンテナが一方向に4本ついていた。
電池の寿命は3週間で、10月22日後に電池が切れた後も軌道周回を続けた。高度があまり高くなかったことから軌道が下がるのが早く、打ち上げから92日後の1958年1月4日に大気圏に再突入して消滅した。
続いて、ソビエトは1957年11月3日にスプートニク2号星を打ち上げた。衛星の本体は円錐形で質量は508kgもあり、船内には「ライカ」という名のイヌが乗せられていた。シベリァン・ハスキーのメス犬と推定されている。
軌道投入後にロケット本体と衛星の分離に失敗し、スプートニク2号はロケットと結合したまま軌道を周回した。さらに衛星の断熱材も一部が損傷し、これらのトラブルにより熱制御が故障して船内の温度は40℃にまで上昇した。
ライカがどれだけ生きながらえたか、正確には分かっていない。初期のデータではライカが動揺しつつも食事を取る様子が伺われた。このことから有人宇宙船の可能性が開けた。
異常な高温に晒されたため、1日か2日程度しか生きられなかったと考えられている。スプートニク2号からの通信は11月10日に途絶え、打ち上げ162日後日に大気圏に再突入してライカと共に消滅した。
1958年に3回失敗して、やっと1959年1月2日にソビエトは月探査機ルナ1号を打ち上げた。重量361kgで探査機を月に着陸か衝突させることを目的としていたが月へ着くことはできず、地球と火星の間を公転する太陽周回軌道に入った。
打ち上げロケットの第3段目もルナ1号と並走し太陽周回軌道に入った。1959年9月12日に打ち上げられたルナ2号は、13日に月に到達してルナ1号が検出した太陽風を確認した業績によって評価されている。
2) 躍進するソビエト
1959年10月4日に打ち上げられたルナ3号は、ソビエトの無人月探査機は世界で初めて月の裏側を撮影する快挙をあげた。探査機の本体は両端が半球状になった長さ1.3mの円筒形で直径は90cm、本体上部の張り出し部分の直径は1.3mだった。
質量は278.5kgでルナ1号や2号より軽い。内部の温度が、25℃を超えるとカバーを開いて放熱板を露出させることで内部の温度調整を行うシステムだった。電力は本体の周りに貼り付けられた太陽電池パネルで供給していた。
月へ向かう軌道に投入された時点で、探査機が送信する信号の強さが予定に満たず内部が異常な高温になっていることが判明したらしい。温度を抑えるために重要性の低い装置の電源が落とされたが、送信の不調は解決できなかった。
10月7日に検出器が月の光を捉えて自動撮影システムが起動した。29枚の写真を撮影したルナ3号は姿勢制御の方式をスピン制御に戻して飛行を続け、月を半周して地球へ再接近する軌道に乗った。ルナ3号は地球に向かいながらデータの送信を行った。
送信機の不調にもかかわらず10月18日までに17枚分の不鮮明な画像データを転送することに成功した。10月22日に交信が失われ、軌道を制御されないまましばらく地球近傍を飛行していたが、1960年3~4月に大気圏に突入したと推定される。
1963年4月2日にルナ4号が打ち上げられ、一旦地球周回軌道にとどまった後に打ち上げロケット第4段の燃焼によって月への軌道に乗せられた。しかし、月へ向かう途中で制御装置に問題が発生し、姿勢制御が上手くいかなくなり中間軌道修正に失敗した。
ルナ4号は4月7日まで電波を送信し続けた。その後、地球の重力圏を離れて太陽を周回する人工惑星になったと見られている。1965年5月9日に打ち上げられルナ5号は探査機を減速する逆噴射ロケットが故障して月面に激突したらしい。
3) アメリカの追撃
アメリカは1958年に人工衛星を打ち上げる計画を立てていた。1957年にソビエトがアメリカより先に人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、軌道に乗せることに成功した。当時、これをスプートニク・ショックと呼ばれた。
フォン・ブラウンの所属するアメリカ陸軍は衛星を打ち上げる技術を持っていたが、衛星の打ち上げは海軍とされていたためにソビエトに先を越されてしまった。アメリカは陸海軍を問わず早急に衛星を打ち上げることを要求し、陸軍と海軍の交渉が行われた。
この結果、陸軍が打ち上げを行うことが決まり、最終的に1958年1月31日にエクスプローラー1号が打ち上げられアメリカ最初の衛星となった。エクスプローラー1号は高度により、宇宙線計測数に大きな差異があることを報告してきている。
これは後のエクスプローラー3号の観測結果と合わせ、ヴァン・アレン帯の発見につながっている。エクスプローラー1号の電力は1958年5月23日までに消耗した。その後も軌道を周回して1970年3月31日に太平洋の底へ沈んだ。
1958年3月17日にアメリカ海軍が打ち上げたヴァンガード1号は、太陽電池パネルを利用した最初の人工衛星で1964年の通信途絶まで交信が続き、現在も軌道を維持しており人類が宇宙に打ち上げ軌道上に残っているものでは最古の物となっている。
ヴァンガード1号の電波位相比較角度追従システムで詳細な飛行軌道が分かり、この軌道データをもとに導き出された北半球がわずかに小さかった。南半球がわずかにふくらんだ南北非対称で、地球のその形状は洋ナシの形に喩えられることもある。
ヴァンガード1号は高度、緯度、季節、太陽活動の作用と上層大気の密度の測定のために使われた。衛星本体の抵抗特性と計測速度と軌道シフトのタイミングから、大気が宇宙へ向けてより薄まっているとわかった。
ソ連のリードはアメリカに対して技術的にソ連から大きく劣っているとの危機感を抱かせ、アメリカ人が宇宙開発に目を向けるきっかけを作った。陸海空三軍、政府、議会、NASAは、ソ連のリードはアメリカに対して技術的にソ連から大きく劣っているとの危機感を抱かせるに十分であった。
4) アメリカは計画再検討
アメリカは有人宇宙飛行計画であるマーキュリー計画を立て、安全に人類を打ち上げるために何度ものテストを開始した。さらに、月に探査機を送り込むか、ロケットを命中させるというパイオニア計画を立てて実行に移した。
しかし、技術水準が低かった当時は、大型のロケットの爆発や月までの途中でロケットがとまり衛星が戻ってくる失敗なども起こった。このときもソビエトはルナ2号の月への到達、ルナ3号による月面の裏側の撮影成功でアメリカをリードした。
アメリカ陸海空三軍、政府、議会、NASA、JPLなどの宇宙開発に関する計画を一元化し、月探査計画と惑星探査計画に結束して注力することになり、JPLなどの宇宙開発に関する計画を一元化し、月探査計画としてレンジャー計画を発足させた。
アメリカがマーキュリー計画の実験を終え、有人宇宙飛行を行おうとしていた1961年4月12日、ソ連はユーリ・ガガーリンをボストークに乗せて地球の衛星軌道を一周させて有人宇宙飛行を達成し、ガガーリンは世界初の宇宙飛行士になった。
1961年5月25日にジョン・F・ケネディ大統領が、1960年代の内に月にアメリカ人を送り込むと宣言した。アポロ計画の始まりである。
レンジャー計画の1号機から6号機まですべてが月の表面を撮影するという目標を達成することは無かった。しかし、アポロ計画が始まって以降、レンジャー計画は月に人間を送るための十分な調査を行うことが目標となったのである。
レンジャー計画の結果はサーベイヤー計画に生かされ、月への軟着陸の研究が行われた。マリナー計画もこれらの探査の情報が大きく利用されている。有人宇宙飛行ではジョン・グレンがアメリカ初の衛星軌道周回を成し遂げた。
アポロ計画のために行われたジェミニ計画やサーベイヤー計画などの実験は多くが成功したが、アポロ宇宙船の初めての有人打ち上げは悲劇が襲った。ロケットの打ち上げ準備中に火災が発生し、船内に待機していた3人の宇宙飛行士が死亡したのである。
5) 手を取り合って
火災事故後にアポロ4号では世界最大のロケットサターンを無事に打ち上げ、アポロ7号では長期間の宇宙滞在での人間の状態を研究し、アポロ8号では月の周回に成功した。アポロ11号は人類を乗せて月への着陸を果たし、初めて月に足跡を残した。
1969年7月20日、ケネディ大統領が演説したとおりアメリカはに月へ到達した。月探査はその後6度にわたって行われ、ローバーを送り込んで広範囲を探査したほか、持ち帰られた鉱物や情報から月への科学が大きく進んだ。
月到達以降は米ソ両国ともにの宇宙への期待値は小さくなっていった。そのような中でNASAは惑星探査か宇宙ステーション実験のどちらかに予算を絞るように命令された。しかし、サターンロケットを再利用することで両方が可能になった。
アメリカ初の宇宙ステーションはロシアの宇宙ステーションサリュート1号よりは遅れたが、非常に大きな宇宙ステーションになった。合計4回宇宙ステーションへ人間が送られ、ソ連との間で宇宙での滞在時間競争が起きた。
アポロ宇宙船を利用して、アポロ宇宙船とソユーズ宇宙船のドッキングも行われた。当時、米ソ間は緊張緩和が進んでおり、宇宙開発は金がかかることもあり両国の共同で行われた計画であった。
ドッキングが必要であるためドッキング機構は両国で共に開発を行う必要もあった。これは宇宙開発競争の終わりをもたらし、現在の国際宇宙ステーションへとつながっているともいえる。
バイキング計画では火星の周回軌道に衛星を乗せることに成功し、2台のローバーを火星におろすことに成功した。詳しい情報が知られていない時代に生命存在の可能性が噂されたが、探査結果により火星に生命が存在するという考え方は否定されるようになった。
パイオニア11号で土星の環が非常に薄いことや環の間に隙間があるなどの情報が得られ、これがどのようなものかを調べることも期待された。探査機に独自で判断する能力を持たせ、航行中にプログラムを変えることが出来るな機能を持たせることになった。
2 宇宙の謎解き
1) 未知の世界へ
数百年に一度の惑星直列にあわせて、それぞれの惑星に探査機を送り込む計画も生まれた。ボイジャー2号は1977年8月20日に、ボイジャー1号は1977年9月5日に打ち上げられ、木星と土星を探査することになった。
予算や当時の技術力に対する信頼は、天王星や海王星まで探査することを予定しなかった。しかしながら、木星の大赤斑や環、衛星の状況がわかったほか、土星の環の羊飼い衛星や土星の衛星タイタンの噴火など惑星科学に非常に意義深い結果を残した。
これらの結果から探査の延長が認められ、ボイジャー2号はさらに天王星や海王星を探査することになり、天王星の地軸が倒れていることや逆行している海王星の衛星トリトンなどを発見した。大型ボイジャーの成功は宇宙の探査において大きなきっかけになった。
1970年代半ば頃からアメリカは再使用可能な宇宙船の開発をはじめ、スペースシャトル計画を生み出した。ロケットは通常一回利用であり、非常に高価で資材は多くが海の下に沈んでしまうため、当時から非経済的であると考えられていた。
スペースシャトルはこれらの廃棄される部品を少なくするため考えられた計画で、有人の大型の宇宙船が宇宙を往還することにより故障した衛星の修理、調整後の地球外軌道への投入、再使用による費用の減少、宇宙空間での実験室的役割などが出来るようになる。
こうして開発されたスペースシャトルは実際に多くの方法で利用されるようになった。有人飛行が非常に多く行われるようになり、日本や欧州、その他の国の宇宙飛行士も多くがスペースシャトルで宇宙へ行っている。
スペースシャトルではチャレンジャー事故が起こった。グレートオブザバトリー計画で計画され欧州との協力で打ち上げに成功したハッブル宇宙望遠鏡は大きな成功を収めた。ハッブル望遠鏡は遠天体の観測に大いに役立ち、様々な画像や映像がもたらされた。
スペースシャトルに外国人を乗せることに加え、この時期に提唱されたフリーダム宇宙ステーションは現在の国際宇宙ステーションにつながっている。国際宇宙ステーションは現在アメリカ、欧州、日本、ロシア、カナダの五つの国と団体で運用を行っている。
2) 宇宙の神秘を解明
日本放送株式会社が放映している「BS11(ビーエス・イレブン)」は、NHKのBS放送と異なり全番組が無料放送である。なかでも興味を引くのは、毎週日曜日の夜9時から55分間の「ディスカバリー傑作選 解明・宇宙の仕組み」である。
宇宙誕生の秘密とその仕組みを解き明かしていくシリーズで、第一線で活躍する専門家による解説と最新技術を駆使した鮮明な映像で、神秘のベールに包まれた宇宙の実態を解き明かしている。解明された最新の宇宙の神秘が、わかりやすく紹介されている。
しかも、大人から子供までが興味をもって視聴できるように配慮され、出演者も第一線で活躍する専門家たちで知識も豊富さには驚く。出来れば、小学生から大学生までの若い人々に視聴していただきたい番組である。放送内容の一部を紹介する。
太陽系第9惑星の謎 太陽系の端には、謎の第9の惑星が存在する。巨大で、質量は地球のおよそ10倍。いまだ撮影されてはいないが、天文学者はその姿を予測している。それは、火山の多いスーパー・アースなのか?それとも冥王星のような氷の惑星か?あるいは海王星のようなガスの惑星なのか?そしてもしかすると、その第9の惑星には衛星があり、生命が存在しているかもしれないのだ。
メガフレア 宇宙の恐るべき現象、メガフレアとは?宇宙ではあちこちで爆発が起きている。太陽でも定期的にフレアが観測されており、地球の電力系統や通信に大きな影響を与えている。しかしそれは氷山の一角。他の星を破壊するほどのエネルギーの爆発が起きたり、遠い星からのガンマ線が届いたり、宇宙は危険に満ちているのだ。そして最近では恐るべき現象、メガフレアの存在が明らかに。地球がその影響を受けることはあるのか?
暗黒宇宙の戦い 暗黒物質と暗黒エネルギーはどちらが宇宙を支配するか、戦っているような状態だと言える。当初宇宙を支配していたのは暗黒物質だった。そして星や銀河などを作り上げた。ところが50億年前から暗黒エネルギーが支配するようになった。そして宇宙の膨張が加速し、銀河がどんどん離れて行ったのだ。
星間空間の謎 星と星の間の空間には何もないように見える。ところが研究により様々な物質が様々な活動をしていることが分かった。死にゆく星が危険な宇宙線を放出し、真っ暗な星が当てもなくさまよっている。そんな中、星が輝きながら猛スピードで通り過ぎたり、ガスや塵が音楽を奏でたりしているのだ。
不可解な暗黒物質 現在、宇宙で最も謎に満ちている物は「暗黒物質」。この目に見えない物質は、宇宙の質量の大半を占めている。「暗黒物質」が銀河や天の川などを作ったことは分かっている。そして、その名の通り"暗黒の世界"も作っているのかもしれない。大量絶滅を引き起こしたり、超大質量ブラックホールを作ったり、火山の噴火を誘発したり...。この「暗黒物質」は、地球にどのような影響を及ぼしているのだろうか?
中性子星の悪夢 中性子星はブラックホールよりも地味な存在だと思われがちだが非常に興味深い。地球上の金やウランなどは、中性子星で作られた可能性が高いのだ。中性子星は、重い恒星が超新星爆発したときに残った核。その核の質量が多ければ中性子星ではなくブラックホールとなる。さらにエネルギーのために他の星を食べたり、磁場で人間を溶かしたりすることも可能なのだ。
ホームBS11(ビーエス・イレブン)のホームページで「ディスカバリー傑作選 解明・宇宙の仕組み」の番組紹介で「過去のラインアップ」がタイトルごとに解説されている。そして、アメリカに史上最大の損失を与えた中国人スパイ「チャン」のことも。
3 追撃する中国
1) 目覚ましい発展
中国の宇宙開発技術の始まりは、1950年代後半の弾道ミサイルや原子爆弾の開発にまで遡る。1955年1月15日に開かれた中国共産党中央委員会の会合で毛沢東は、核兵器とそれに関連するミサイルを含めた中国独自の戦略兵器の開発を宣言した。
赤狩りによってアメリカから国外退去となった銭学森を所長に迎え、1956年10月8日に現在の中国運載火箭技術研究院が設立された。研究所は中国初の弾道ミサイルの開発を始め、1956年に最初の「中国航空宇宙の12か年計画」として承認された。
中国初のミサイル実験基地建設は1958年4月に始まり、同年10月20日には利用可能となっていた。1950年代の中ソ関係が良好な間は、ソ連は中国人学生の育成やR-2ミサイルの提供など中国への技術提供に協力的であった。
毛沢東は1958年5月17日の共産党国民会議で「581計画」を承認し、建国10周年記念の1959年までに人工衛星を軌道上に打ち上げることによって、他の超大国と同等の存在になるべきと決定した。
中国初のミサイルは1958年10月、Rー2をリバースエンジニアリングして複製したミサイルであり、重量は20.5トン、液体酸素とアルコールが推進剤で射程は590kmだった。なお、R-2ミサイはソ連がドイツのV2ロケットを改良したものである。
中国初の観測ロケットTー7は1960年2月19日に南匯区の射場より打ち上げられ成功した。しかし、ニキータ・フルシチョフのスターリン批判や対米政策などが原因で、毛沢東はソ連から徐々に距離を置き始めた。
それまで友好的であった中ソ関係は一転して対立状態となり、1960年の対立後にソ連の技術的援助は突如無くなった。ソ連の専門家が中国を離れた僅か17日後に、中国製推進剤が使われたRー2ロケットが打ち上げに成功した。
2) 急速な技術開発
2003年10月15日、宇宙飛行士楊利偉を乗せた神舟5号を打ち上げ、世界で3番目に自力で有人宇宙飛行に成功した国となった。2008年9月25日に打ち上げられた神舟7号では宇宙遊泳が行われた。
2007年に自国の老朽化した気象衛星風雲1号C型を衛星攻撃兵器で破壊し、大量のスペースデブリを発生させたとして各国から懸念の意を伝えられた。2011年には宇宙ステーションの雛形である天宮1号を打ち上げ、天宮宇宙ステーションを目指している。
2013年には、月探査機嫦娥3号で月面軟着陸に成功した3番目の国となった。翌年嫦娥5号YIの打ち上げに成功し、月の裏側を経由して地球に帰還する自由帰還軌道に入る。嫦娥5号TIの大気圏再突入を実施、内モンゴルへの着陸に成功した。
2016年に乗組員はの2人を載せた神舟11号を打上げ、天宮2号との自動ドッキングに成功し中国内モンゴル自治区内に無事帰還した。2年後には、月の裏側を撮影することを目的に嫦娥4号が打ち上げられ、2019年に月へ軟着陸した。
2020年7月23日には、火星探査機天問1号が海南省の文昌航天ロケット発射場から長征5号により打ち上げられ、2021年2月10日に火星周回軌道に乗った。
無人宇宙実験モジュール神舟8号、有人の神舟9号、神舟10号は、いずれも小型宇宙ステーション天宮1号とのドッキングに成功した。神舟11号は地球周回軌道に乗り、同年9月に打ち上げられた宇宙実験室と天宮2号とドッキングした。
飛行士は天宮2号を利用して実験をおこなった。同年11月に内モンゴル自治区に帰還し、神舟10号の15日間を超える33日間(天宮2号での滞在は30日間)の宇宙滞在となった。中国は、神舟11号で有人宇宙飛行の実験段階は終了したとしている。
大型宇宙ステーション(基本型空?站)が計画の第三段階であり最後の段階でもある。総質量は100トン以下で、船員の居住区である20トンを超える中核モジュールを備える。これには神舟貨物船と有人の神舟、2機の実験モジュールが含まれる。
3) 壮大なる計画
中国は2020年と2028年に火星探査機を送り込む予定である。また、2020年に打ち上げた探査機天問1号は2021年に火星周回軌道へ投入。5月15日に火星への軟着陸に成功し、探査車「祝融」で火星表面の気候や土壌などを調査する予定である。
火星への有人探査は2040年から2060年の間に予定される。2017年までに安全な有人航行にも利用可能な宇宙天気予報システムの夸父衛星を、ラグランジュ点L1におくことによって実現させる予定とされている。
火星へ向けた安全な有人航行にも利用可能な宇宙天気予報システムの完成を2012年までに夸父衛星をとされていたが、この衛星の打ち上げは2012年の時点では2017年の予定とされている。
中国は、なにはともあれアメリカと肩を並べる大国になりたいというのが全体で目指している。アメリカの火星探査などに後れをとってはならないという競争や、国威発揚、負けるなというナショナリズムなどが非常に強く前面に出ているようだ。
一方で、やはり宇宙は軍事的な応用も可能である。例えば、私たちが携帯電話などに使っているGPSなどは、各国の軍隊や兵器に完全に組み込まれている。宇宙がないと兵器が動かないというぐらい、もう宇宙は安全保障上重要なシステムになっている。
中国はアメリカのGPSに対抗して、独自の位置情報システム「北斗(ほくと)」を開発した。全世界で運用を始めているが、ミサイルの誘導など軍事利用を目的に作られたとみられる。
2007年には人工衛星を弾道ミサイルで破壊する実験に初めて成功した。それ以来、実験を繰り返している。これは、アメリカへの攻撃を想定している可能性があり、防御を検討する必要があるとされている。
4) 日本中国友好協会
公益社団法人日本中国友好協会は、中華人民共和国建国の年である1949年10月に準備会が発足し、同年10月1日に創立大会が開催された。日本中国友好協会は中国の宇宙開発について次のように紹介している。
10-1 中国の宇宙開発の今
中国は現在、世界でもっとも月探査を推進している国の一つで、昨年11月24日には月探査機「嫦娥5号」の打ち上げに成功したのも記憶に新しい。中国の月面探査計画は、「繞・落・回」の3つの段階で計画されている。
第1段階の「繞」は月を周回して探査すること、第2段階の「落」は、月面への軟着陸と自動探査。第3段階の「回」はサンプルリターンである。今回は、月探査の現在や今後の計画・目的について、中国の宇宙開発を推進している中国国家航天局に取材を行った。(取材・文 村沢 譲)
10-2 画期的な月探査
中国初の月面探査ミッションは、2007年10月24日、四川省の西昌衛星発射センターから打ち上げられた嫦娥1号です。嫦娥1号は月を周回して探査を行い、中国初となる全月球画像を撮影しました。
2010年10月1日には嫦娥2号を打ち上げ、月面の「虹の入り江」地域の一部の画像を撮影しました。さらに月探査終了後、月を周回する軌道を離れて「太陽-地球ラグランジュ点(L2)=太陽と地球の引力が釣り合う地点に到達。その後、小惑星トータティスに接近して探査を行いました。
2013年12月2日に打ち上げられた嫦娥3号は、月面への正確な軟着陸に成功。着陸機は現在も稼働中で、月面での最長稼働時間記録を更新しています。
嫦娥4号は月面ローバー「玉兎2号」を搭載し、2018年12月8日に打ち上げられ、2019年1月3日、世界で初めて月の裏側への軟着陸に成功しました。月の裏側の環境や地形が明確ではなかったため、着陸と探査機の保全に大きなリスクがありました。
しかし2020年10月11日現在、嫦娥4号の着陸機とローバーは、月の裏側で647日間、安全に稼働中で、数多くの科学探査データを取得しています。嫦娥5号は2020年11月24日に打ち上げに成功、月面の物質を持ち帰るサンプルリターンを中国で初めて成功させました。
10-3 どんな科学的発見
中国の月面探査プロジェクトは、これまで数多くの核心技術を進展させ、独自の科学的成果を上げてきました。主な成果には、次のようなものがあります。
1) 月の裏側の探査範囲の様子や鉱物の成分 着陸エリアの地形、物質・鉱物の成分や出処、特性などの科学的結論を導き出しました。月面を直接探査することで、月の深部の物質成分を明らかにし、月の裏側、特に隕石が衝突してできた巨大クレーター・南極エイトケン盆地の複雑な衝突の歴史を解明。月の土壌の形成や変化のカギとなる証拠を発見しました。これらは今後の探査機の月の南極への着陸とローバー探査の候補地選択などに重要な参考材料となります。
2) 月の裏側の探査範囲の地下浅層構造の解明 嫦娥4号で着陸エリアの地層断面や小天体の衝突による飛散物質の蓄積に関する研究を行い、南極エイトケン盆地には複数回の小天体の衝突で飛散物が降り積もり、玄武岩マグマが噴き出してクレーターを満たしたことを明らかにしました。
この発見で初めて月の裏側の地下構造の謎が解明され、月の隕石衝突や火山活動の歴史に関する理解を大幅に深め、月裏側の地質の変化の研究に新たな啓発をもたらしました。他に月面の中性子や放射線量・中性原子の研究、低周波電波天文観測でも大きな成果を上げています。
見出しは、月の裏側の探査範囲の様子や鉱物の成分となっていたが、一般向けとしても内容はあまりにも希薄である。また、月の裏側の探査範囲の地下浅層構造の解明についても、知り得たことは一切公表しないという考えのようだ。
10-4 これからの月探査計画
中国は今回の嫦娥5号ミッションを含め、月のサンプルリターンを展開する予定です。その後も月探査プロジェクト4期を計画しており、2030年前後に嫦娥7号、嫦娥8号などのミッションを予定しています。
現段階では主に無人探査を進め、技術の確立と月へのより深い認識のもと、ロボットと有人を組み合わせた形での月面探査を検討しています。今後も中国は開放的な姿勢で各国と共同して月面探査活動を展開していきます。
10-5 月面探査の最終的な目的は
中国は現在、国際月科学研究ステーション事業を論証中です。月面に短期の有人、長期の無人インフラを建設し、国際宇宙事業に協力チャネルを設け、共同で月面探査や資源の現地における開発利用を展開し、科学成果を共有する予定です。
中日両国は互いに隣国であり、ともに宇宙大国です。双方が交流を深め、月や宇宙探査分野における協力の将来性を発掘し、ともに宇宙、工業及び科学教育の分野における協力を推進していきたいと考えています。
4 湧き上がる疑問
中国初の人工衛星「東方紅1号」を打ち上げたのは1970年だった。それから50余年、宇宙強国を目指す中国は米国を脅かす存在にまで強大化した。火星では米国の探査機パーシビアランス(今年2月着陸)と中国の祝融(同5月着陸)が火花を散らす。
火星までの距離は最接近時で約7500万キロメートル、月─地球間の約200倍という長旅に加え、「軌道への投入」「周回」「探査車の軟着陸」と技術的ハードルが高く、「地球と火星の間には探査機の墓場がある」とまでいわれた。
米国が数十年かけて実現した火星探査を、今回中国は探査機「天問1号」による初めてのチャレンジで、しかも、たった1回のミッションで成功させた。中国の宇宙事業にとってのハイライトは、宇宙ステーションのコアモジュールの打ち上げだった。
「天問1号」の火星着陸も、2021年の中国宇宙事業にとって大きな柱となる。中国初の火星探査機の天問1号は今年2月に火星の周回軌道飛行に成功しており、約3か月間の探査の末、5月か6月に着陸する計画という。
中国政府は5月9日、打ち上げた大型ロケット「長征5号B遥2」の残骸が同日午前10時24分(日本時間午前11時24分)に大気圏に再突入した、と発表した。ロケットの残骸の落下地点は、インド洋のモルディブ付近の海域だった。
アメリカの航空宇宙局(NASA)と軍当局は打ち上げ直後から大気圏への再突入時に燃え尽きずに残骸が地上に落下する危険性があるとみてロケットの軌道を追っていた。
中国には前科がある。昨年5月にも今回と同型のロケットを打ち上げた後、切り離された1段目のロケットの破片とみられる物体が西アフリカのコートジボワールの民家の庭先などに落下した、とロイター通信などが報じている。
今回のロケットは今年4月29日に、中国が計画している独自の宇宙ステーション建設のために打ち上げられたものだが、それにしてもなぜ中国のロケットは残骸を地上に落下させてしまうのだろうか。技術の未熟さがそうさせるのだろう。
参考文献:BS11(ビーエス・イレブン)の「ディスカバリー傑作選 解明・宇宙の仕組み」など。