1 一止校長の決断
1) 禁断の掟を破って
一止氏は、平成10年から15年3月までの間、二つの公立学校で校長を勤めました。そのうち大阪府内の養護学校に勤務した10年4月からの3年間の記録をまとめたものです。校長の話せばわかるが通用しなかった記録です。
一止校長の著書を読ませていただくと、学校現場のようすが目に浮かびます。日本人でありながら、日本を象徴する国旗・国家に反対すること自体がおかしなことですが、健全な国民育成を職務としている公立学校の先生たちが反対しているのです。主要部分を抜粋でご紹介します。
国歌・国旗に反対する動きの根底には、突き詰めてみると、日本という国そのものをひっくり返そうとする左翼イデオロギーがあることが分かります。日本の左翼イデオロギーは共産主義や社会主義を基底にしています。
それは天皇制と共に歩んできた日本の歴史や日本の形を忌み嫌い、日の丸や君が代を天皇に結びつくものとして忌避します。自虐的な暗黒史観に立って日本を貶め、愛国心を敵視するところに顕著な特色があります。
左翼イデオロギーにかぶれているのはほんの一握りの教員にすぎませんが、この人達の発言力や行動力は一般の教員のそれをはるかに凌駕していて、多くの先生たちがそのことに気付かないまま巻き込まれています。
一般的に校長は、自分が勤務する学校の問題点を外に向かって語ろうとはしません。それはいろいろな理由が考えられますが、校長は学校現場の最高責任者であり、語った責任がすべて自分に帰ってきて、語れば語るほど自分の首を締めることになるからです。
しかし、語らなければ外に何も伝わりません。自分を追い込むことになっても学校の問題点を世間の人に知っていただき、学校改善に役立てたいとの強い思いが当時の私にはありましたと、一止校長は著書「学校の先生が国を亡ぼす」の序文に記しています。
タイトルを「学校の先生が国を亡ぼす」としたのは、学校の先生たちこそが、日本人から日本人としての自覚や誇りを奪い、愛国心をそぎ落とす役割を果たしている張本人ではないかという思いが私にあるからです。
この本で紹介する国旗・国歌の取り組みを通して私が持つに至った問題意識であり、40年近く学校教育に携わってきた当事者としての結論であり、自壊でもあります。
先の衆議院選挙で民主党が圧勝しました。これまで日教組をはじめとする左翼系の教職員組合が、国旗・国歌の問題に象徴されるような日本を誹謗し貶める教育を進めてきました。民主党の大勝によって、支持母体の一つである日教組は、益々その傾向を強めるのではないかと危惧されます。
しかし、日本国民は愚かではなく、自由民主党にお灸をすえただけだった。耳触りのいい言葉を武器にして、口先だけで政権運営の何たるかを知らない民主党はマニュフェストも守れずに、危機管理能力のなさを露呈してあっというまに国民の前から消え去った。
2) 一止校長の赴任先
平成10年3月下旬のある日、一止校長は着任先の学校へ出向いて3月末で定年退職する女性校長と事務引き継ぎをしました。教育委員会の参事という要職を経て、教頭を経験することなく校長になられた女傑で、やり手との評判が聞こえていました。
引継ぎで、入学式や卒業式における国旗・国歌のことも当然話題になりました。「国旗は、これまで玄関に三脚で掲揚してきました」。彼女は国歌斉唱には触れずに、国旗掲揚のことだけをこのように説明しました。
「式場には掲揚しないのですか」との質問に、「玄関だけです。本校ではそうすることなっています」とさらりといいました。「国歌斉唱はどうなっていますか」と尋ねると、一瞬間をおいて「君が代なんて、そんな、やらなくてもいいわよ」と答えました。
教育委員会の要職を務めた人の言葉とも思えず、私はわが耳を疑いましたが、初対面でもあり突っ込んだ話をするのははばかられて、国旗・国歌に関する会話はこれだけで終わりました。
辞令交付式のあと、新任校長は別室に集められました。教育委員会から国旗・国歌の指導にかかわる分厚い資料を渡され、入学式や卒業式などにおいて国旗・国歌の指導を正しく行うようにとの訓令を受けました。教育委員会の言葉には力がこもっていました。
あとでわかったことですが、女性校長は校長会などで国旗・国歌の指導を正しく行っていると吹聴していたということです。実態を知ったある校長は驚きの声を上げ、「あんなに偉そうなことを言っていたのに」と深いため息をついていました。
当時は似たようなことがよく話題になっていました。実際には国旗掲揚も国歌斉唱もしていないのに、教育委員会や外向けには「した」ことにするまやかしがあちこちの学校でまかり通っていた観がありました。
にもかかわらず、教育委員会は学校からのまやかしの報告を受けて最もらしく「実施率」を発表していました。穿った見方かもしれませんが、教育委員会はそんな事情を百も承知で、形だけを取り扱っていたのではないかと私には思えてなりません。
3) 異常どころではない
普通は、4月1日に全職員を集めて校長の着任挨拶が行われるはずですが、この学校は変わっていました。一日には職員会議が開かれず、開かれたのは3日になってからでした。これは私が着任する前から決まっていたことで、どうにもなりません。さらに驚いたのはその職員会議の異様さです。
私は最初に新着任校長としての挨拶をするつもりでした。ところが、職員会議の議長は私に発言させず、はじめに議長挨拶をやり続いて議題の審議に入ろうとしました。
私は立って議長を制し、「新任の校長なので、はじめに皆さんに挨拶をしたい。議題の審議に入る前に挨拶をさせてください」と言いました。
議長は怪訝な表情をして「それは」と短く言うと議場を見回しました。居並ぶ先生たちの反応を見るよう様子ですが、議場の雰囲気を察したらしく「このまま議事に入ります。校長の話は最後の連絡・報告のところでしてもらいます」と云ったのです。
驚きました、新着任の校長が初めに着任の挨拶をするのは当然ではないか。この学校の先生たちの常識はどうなっているのか。私は脳転に一撃を喰らった思いがしました。「先生」私はついに議長の名を呼んで制しました。
「それは変ではありませんか。新着任の校長に初めに挨拶させないなんて、考えられません。私ははじめに皆さんに語りたいことがあります」。私が議場を見回すと少しざわめきが起こりました。
それは、私の発言に反発する空気を含むものでした。議長は気を良くしたのか「これは、先日の運営委員会で決まったことです。職員会議の進行手順は運営委員会で確認されていますので、このまま進めます」と頑として受けません。
私も退けない気持ちになりました。いや、退いてはいけないと思いました。「それは間違っています」私は声に力を込めました。「新任の校長として初めに挨拶をするのは当然のことです。学校運営の基本方針を皆さんに披露したい」
退かない私に、議長は辟易した表情を見せましたが議場を見回して、仕方がないという表情になり、「それでは前例にありませんが、初めに校長に挨拶をしてもらいます」と不機嫌に言いました。私は、この異常としか表現にしようがない雰囲気の中で、着任の挨拶をしなければなりません。
挨拶の中で「憲法、教育基本法をはじめとする法規範を守り、民主教育を推進する」という基本姿勢を示すとともに、子どもたちを大切にすることを第一に考えて教育活動を展開することを明確にしました。
国旗・国歌の指導についても触れ、国旗・国歌の指導が学習指導要領に定められた意義などについて説明しましたが、このときは国旗を掲揚することだけを表明するにとどまり、国歌斉唱については保留しました。眼前の雰囲気の中ではとても言い出せないと思ったからです。
しかし、このはじめての第一歩を踏み誤ったことが、後々国旗、国歌の取り組みを進めるうえで私を苦しめ、ひいてはこの学校の不幸を招くことになりました。異様さはまだ続きます。
私の挨拶が終わると「議長!」と呼ぶ声があり、一人の男性教員が立ち上がりました。「議事に入る前にお願いします。これは毎年恒例ですから」その教員は手に持った紙を小さく降りました。
「そうでした、どうぞ」議長はあっさりと発言を認めました。何が始まるのかと思って見ていると、その教員は紙に印刷された文章を読み始めました。聞いて驚きました。なんと、それは主任制反対の決議文でした。その教員が読み終えると一斉に拍手が起こりました。
なんだこれは!私はあまりの出来事に呆然とする思いでした。職員会議ですでに法令等で規定されている主任制に反対する決議をあげるなど、あってはならないことです。
横にいる教頭に「どういうことですか」と尋ねると、教頭は「毎年のことです。年初めの職員会議でこうやって決議を挙げるのです」こともなげにそういったのです。