はげちゃんの世界

人々の役に立とうと夢をいだき、夢を追いかけてきた日々

第27章 亡国の民達

日本中で、国家・国旗の指導をめぐってトラブルが起きていたことは報道などでよく知られています。左翼イデオロギーにかぶれているのは一部の教員にすぎませんが、その人たちの行動力や言動は一般の教員のそれをはるかに凌駕していました。

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1 一止校長の決断

 1) 禁断の掟を破って

一止氏は、平成10年から15年3月までの間、二つの公立学校で校長を勤めました。そのうち大阪府内の養護学校に勤務した10年4月からの3年間の記録をまとめたものです。校長の話せばわかるが通用しなかった記録です。学校の先生が国を亡ぼす

一止校長の著書を読ませていただくと、学校現場のようすが目に浮かびます。日本人でありながら、日本を象徴する国旗・国家に反対すること自体がおかしなことですが、健全な国民育成を職務としている公立学校の先生たちが反対しているのです。主要部分を抜粋でご紹介します。

国歌・国旗に反対する動きの根底には、突き詰めてみると、日本という国そのものをひっくり返そうとする左翼イデオロギーがあることが分かります。日本の左翼イデオロギーは共産主義や社会主義を基底にしています。

それは天皇制と共に歩んできた日本の歴史や日本の形を忌み嫌い、日の丸や君が代を天皇に結びつくものとして忌避します。自虐的な暗黒史観に立って日本を貶め、愛国心を敵視するところに顕著な特色があります。

左翼イデオロギーにかぶれているのはほんの一握りの教員にすぎませんが、この人達の発言力や行動力は一般の教員のそれをはるかに凌駕していて、多くの先生たちがそのことに気付かないまま巻き込まれています。

一般的に校長は、自分が勤務する学校の問題点を外に向かって語ろうとはしません。それはいろいろな理由が考えられますが、校長は学校現場の最高責任者であり、語った責任がすべて自分に帰ってきて、語れば語るほど自分の首を締めることになるからです。

しかし、語らなければ外に何も伝わりません。自分を追い込むことになっても学校の問題点を世間の人に知っていただき、学校改善に役立てたいとの強い思いが当時の私にはありましたと、一止校長は著書「学校の先生が国を亡ぼす」の序文に記しています。

タイトルを「学校の先生が国を亡ぼす」としたのは、学校の先生たちこそが、日本人から日本人としての自覚や誇りを奪い、愛国心をそぎ落とす役割を果たしている張本人ではないかという思いが私にあるからです。

この本で紹介する国旗・国歌の取り組みを通して私が持つに至った問題意識であり、40年近く学校教育に携わってきた当事者としての結論であり、自壊でもあります。

先の衆議院選挙で民主党が圧勝しました。これまで日教組をはじめとする左翼系の教職員組合が、国旗・国歌の問題に象徴されるような日本を誹謗し貶める教育を進めてきました。民主党の大勝によって、支持母体の一つである日教組は、益々その傾向を強めるのではないかと危惧されます。

しかし、日本国民は愚かではなく、自由民主党にお灸をすえただけだった。耳触りのいい言葉を武器にして、口先だけで政権運営の何たるかを知らない民主党はマニュフェストも守れずに、危機管理能力のなさを露呈してあっというまに国民の前から消え去った。

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 2) 一止校長の赴任先

平成10年3月下旬のある日、一止校長は着任先の学校へ出向いて3月末で定年退職する女性校長と事務引き継ぎをしました。教育委員会の参事という要職を経て、教頭を経験することなく校長になられた女傑で、やり手との評判が聞こえていました。

引継ぎで、入学式や卒業式における国旗・国歌のことも当然話題になりました。「国旗は、これまで玄関に三脚で掲揚してきました」。彼女は国歌斉唱には触れずに、国旗掲揚のことだけをこのように説明しました。

「式場には掲揚しないのですか」との質問に、「玄関だけです。本校ではそうすることなっています」とさらりといいました。「国歌斉唱はどうなっていますか」と尋ねると、一瞬間をおいて「君が代なんて、そんな、やらなくてもいいわよ」と答えました。

教育委員会の要職を務めた人の言葉とも思えず、私はわが耳を疑いましたが、初対面でもあり突っ込んだ話をするのははばかられて、国旗・国歌に関する会話はこれだけで終わりました。

辞令交付式のあと、新任校長は別室に集められました。教育委員会から国旗・国歌の指導にかかわる分厚い資料を渡され、入学式や卒業式などにおいて国旗・国歌の指導を正しく行うようにとの訓令を受けました。教育委員会の言葉には力がこもっていました。

あとでわかったことですが、女性校長は校長会などで国旗・国歌の指導を正しく行っていると吹聴していたということです。実態を知ったある校長は驚きの声を上げ、「あんなに偉そうなことを言っていたのに」と深いため息をついていました。

当時は似たようなことがよく話題になっていました。実際には国旗掲揚も国歌斉唱もしていないのに、教育委員会や外向けには「した」ことにするまやかしがあちこちの学校でまかり通っていた観がありました。

にもかかわらず、教育委員会は学校からのまやかしの報告を受けて最もらしく「実施率」を発表していました。穿った見方かもしれませんが、教育委員会はそんな事情を百も承知で、形だけを取り扱っていたのではないかと私には思えてなりません。

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 3) 異常どころではない

普通は、4月1日に全職員を集めて校長の着任挨拶が行われるはずですが、この学校は変わっていました。一日には職員会議が開かれず、開かれたのは3日になってからでした。これは私が着任する前から決まっていたことで、どうにもなりません。さらに驚いたのはその職員会議の異様さです。

私は最初に新着任校長としての挨拶をするつもりでした。ところが、職員会議の議長は私に発言させず、はじめに議長挨拶をやり続いて議題の審議に入ろうとしました。

私は立って議長を制し、「新任の校長なので、はじめに皆さんに挨拶をしたい。議題の審議に入る前に挨拶をさせてください」と言いました。

議長は怪訝な表情をして「それは」と短く言うと議場を見回しました。居並ぶ先生たちの反応を見るよう様子ですが、議場の雰囲気を察したらしく「このまま議事に入ります。校長の話は最後の連絡・報告のところでしてもらいます」と云ったのです。

驚きました、新着任の校長が初めに着任の挨拶をするのは当然ではないか。この学校の先生たちの常識はどうなっているのか。私は脳転に一撃を喰らった思いがしました。「先生」私はついに議長の名を呼んで制しました。

「それは変ではありませんか。新着任の校長に初めに挨拶させないなんて、考えられません。私ははじめに皆さんに語りたいことがあります」。私が議場を見回すと少しざわめきが起こりました。

それは、私の発言に反発する空気を含むものでした。議長は気を良くしたのか「これは、先日の運営委員会で決まったことです。職員会議の進行手順は運営委員会で確認されていますので、このまま進めます」と頑として受けません。

私も退けない気持ちになりました。いや、退いてはいけないと思いました。「それは間違っています」私は声に力を込めました。「新任の校長として初めに挨拶をするのは当然のことです。学校運営の基本方針を皆さんに披露したい」

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退かない私に、議長は辟易した表情を見せましたが議場を見回して、仕方がないという表情になり、「それでは前例にありませんが、初めに校長に挨拶をしてもらいます」と不機嫌に言いました。私は、この異常としか表現にしようがない雰囲気の中で、着任の挨拶をしなければなりません。

挨拶の中で「憲法、教育基本法をはじめとする法規範を守り、民主教育を推進する」という基本姿勢を示すとともに、子どもたちを大切にすることを第一に考えて教育活動を展開することを明確にしました。

国旗・国歌の指導についても触れ、国旗・国歌の指導が学習指導要領に定められた意義などについて説明しましたが、このときは国旗を掲揚することだけを表明するにとどまり、国歌斉唱については保留しました。眼前の雰囲気の中ではとても言い出せないと思ったからです。

しかし、このはじめての第一歩を踏み誤ったことが、後々国旗、国歌の取り組みを進めるうえで私を苦しめ、ひいてはこの学校の不幸を招くことになりました。異様さはまだ続きます。

私の挨拶が終わると「議長!」と呼ぶ声があり、一人の男性教員が立ち上がりました。「議事に入る前にお願いします。これは毎年恒例ですから」その教員は手に持った紙を小さく降りました。

「そうでした、どうぞ」議長はあっさりと発言を認めました。何が始まるのかと思って見ていると、その教員は紙に印刷された文章を読み始めました。聞いて驚きました。なんと、それは主任制反対の決議文でした。その教員が読み終えると一斉に拍手が起こりました。

なんだこれは!私はあまりの出来事に呆然とする思いでした。職員会議ですでに法令等で規定されている主任制に反対する決議をあげるなど、あってはならないことです。

横にいる教頭に「どういうことですか」と尋ねると、教頭は「毎年のことです。年初めの職員会議でこうやって決議を挙げるのです」こともなげにそういったのです。

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2 私が体験したこと

 1) 新採用で着任した中学校

一止校長の著書を読ませていただくと、教育現場の荒廃も大阪府ではそこまでひどかったのかと驚きます。北海道も日本教職員組合(日教組)傘下の北海道教職員組合(北教組)という左翼団体があり、北教組の役員は触らぬ神に祟りなしと恐れられていました。

最初に赴任した中学校の分会は北教組から見ると弱いという組織で、分会とは教職員組合の傘下にある各学校の教職員組合のことで、分会長とは各学校の教職員組合長にあたります。この学校の分会長も分会もキリン闘争を信条としていました。

キリン闘争というのは、他の分会の動きを探って大多数の学校の分会と同様の動きを取ることです。組合に従って正義感に燃えて行動し、処分されたら大変という自己保身の手段です。

職員会議の議案審議を聞いていると、他の人とどこかずれているような発言をされる教員がいました。30代後半と思われる方ですが、私は間違えて私信の封筒に文書収受用の受付印を押してしまい、こっぴどく叱られたことがあります。

半年が過ぎて職場に慣れると、職員の中には生粋の共産党員がいるから注意するようにといわれました。放課後に校舎内を巡回していると、教室の片隅で2~3人がこそこそと話し合っている姿を見かけました。私をこっぴどく叱った教員が中心になっていました。

当時は相撲部の顧問を頼まれていたので、生徒から先生方の評判が耳に入ります。社会科の先生はいつも自習にして教室で眠っているという。そんな馬鹿なことがあるかと否定すると、授業中に廊下から見てくださいと言われました。

数日後のこと授業中に廊下から教室内を見ると、椅子に腰かけた状態で教壇にもたれて熟睡しているようです。自習していた相撲部員が指さして「嘘じゃないだろう」という顔をしています。選挙が近づくと眠っている姿を頻繁に見かけます。

相撲部員が「毎晩、遅くまであちこちの家を訪問して選挙運動をしているよ」という。「公務員は選挙運動はできないから間違いだよ」と否定すると、「嘘じゃないよ。うちの婆ちゃん家にも来たといってたんだから」。

この先生が退職することになった。校長先生は「共産党の宮本委員長の要請で、社会党や総評と中立労連等が結成した団体の事務局長に就任するそうだ」と説明した。もう一人の社会科の先生が胃潰瘍で入院され、私はピンチヒッターで教壇に立つことになった。

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ある年のこと、北教組が指令して教職員が参加するストライキが決行されました。校長は前日の夜遅くまで分会長の説得に務められたが、妥協点は見いだせなかったようである。翌日の朝出勤すると、職員室は校長と教頭だけで閑散としていた。

8時20分になっても先生方の姿は現れない。8時30分までに出勤しない教職員はストライキに参加したと校長を教育委員会へ報告しなければならない。8時25分になって椅子から立ち上がった校長は私に命令した。

「時計の時刻が30分間違っている。直しておけ」と言いおいて校長室へ消えた。私は瞬時に校長の心を読めた。椅子を壁際の時計に下へ運んで、天井の近くにある掛け時計の蓋を開いて長針を30分戻した。

9時10分前になって先生方が出勤し、そそくさと授業の準備をして教室へ向かった。分会長が確認するように掛け時計を見た。30分遅れの時刻を見て驚いた表情を浮かべたが、何も言わずに教室へ向かった。

職員室に誰もいなくなったのを確認して、私は再び椅子を運んで掛け時計の針を30分進ませた。ほどなく授業終了のチャイムが鳴り響き、先生方が職員室へ戻って来たが誰一人時間が短いことに不満を言わない。

分会長に「時計を遅らせただろう」と質問されるのを覚悟していたが、何事もなく平穏に1日は終わった。当然校長は教育委員会に「教職員は定刻までに出勤した」と報告したようである。給与の明細表が届くと給与が減額された教職員は誰一人いなかった。

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 2) 赴任した小学校

札幌の小学校へ赴任すると納得できないことがあった。毎日のように市内の小中学校に勤務する教職員の訃報連絡が入る。連絡を受けて専用の用紙に記入すると次の学校へ連絡する。転勤して他の学校で勤務される先生との義理を欠かさないための配慮である。

月に何度あったか忘れたが、組合からの会議や行動指令なども電話でくる。組合は公的に認められた団体といえども、官公庁とは全く違う私的団体である。公用に使用する電話を組合用務に使えば当然電話使用料を負担するのが筋道であろう。

少人数の宴会で分会長に質問すると驚いた表情をして、「よくわからないので支部長に聞いてみたら」とはぐらかされた。組合の組織には、分会の上に支部があり支部長と呼ばれる人がいるようだ。

翌日、組合の支部長へ電話をかけました。「組合から会議や行動指令などが電話できていますが、それを電話連絡網で次の学校へ連絡する場合の電話使用料はどうなるのでしょうか」。一瞬支部長を驚いたようだったが、語気を強めて次のように説明した。

「電話については教育委員会と、公用と同様に使用してもよいと話がついているんだ。そんなことを言うお前は誰だ。学校名と氏名を言え。あとで学校まで行く」。学校まで来られたら迷惑です。剣幕に恐れをなして電話を切りました。

しかし、納得できたわけではありません。日本は侵略戦争をしたと左翼イデオロギーを振りかざして国や国民を辱め、国の方針に散華した軍人の慰霊も行わずに侵略に手を貸した者とさげすみ、選挙運動やストライキが禁止されているのに平然と法律を破っている。

自分たちが多数決で決めたことだけが民主主義だという、きわめて思慮に欠ける短絡的な考え方を振りかざす人々です。しかも、教育委員会は不当な労使慣行を認め、報道機関にこれが漏れると初めて知ったと調査して関係者を処分し、自らの責任は逃れます。

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 3) 村八分にするぞ

親しくしていた先生が分会長に選任され、ある日彼から組合へ加入するよう説得されました。ほかの先生方からも勧められたのでしょう、いつになく熱心でした。組合の主張と私の考えはあまりにも違い過ぎるから、遠慮しますと答えると彼は切り札を切りました。

「これほど言っても組合に入らないなら村八分にするよ」「村八分ですか。じゃあ、私がサービスでやっていた給与からの組合費の引き落としは止めます。法律通りに、給与は現金で直接職員に支払います。組合費は会計を決めて分会が集めてください。」

どこの学校でも学校事務職員は校内控除と呼ばれるサービスを行っていた。給与の支給に関する条例には、給与は現金で直接職員に支払わなければならないと規定されている。校内の会計担当者が様々な費用を個人から1円単位まで集金するのは不便である。

私は村八分にされてもまるで実感がわかなかったが、分会の会計担当者になった先生は毎月集金に苦慮されていた。組合費は切りよく四捨五入できず、1円まで正確に集金しなければならない。教員が40人近い職場で1日で集金完了は難しい。

数日掛けて集金したお金を集計すると過不足が生じている。分会長に過不足を説明すると集金した担当者の責任とされる。苦労した挙句に身銭を切らなければならなくなった。これでは会計を引き受けるものがいなくなる。ついに10か月で分会長はギブアップした。

「組合へ加入しなくてもいいから、前のように組合費を給与から差し引いてもらえないだろうか」「集金が大変だということは知っているよ。非組合員のままでいてもいいなら、これまで通り毎月組合費を控除して会計に渡すよ」

校内控除をしていた科目は組合費の他に、親睦会費、給食費、保険料、生活協同組合の買い物代金、その他必要に応じて頼まれたものだった。私が退職するまで続けたが、その後給与が口座振り込みになってからどうされているのだろう。

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 4) 主任手当は当然のこと

ちょうどこのころ学年主任に主任手当が支給されることが決まった。法律が制定され、学校は個々の学年主任へ主任手当を支給するため、月末に主任手当の請求報告書を作成して提出しなければならない。私は校長から学年主任の氏名を伺っていた。

法律で決められているから、私は学年主任の主任手当を請求する報告書を書いて官公庁へ郵送した。翌月、給与明細書を見ると請求した主任手当は該当欄に記録されていた。しばらくして給与明細を見た先生が主任手当が払われていることを知った。

分会で問題になり分会長に「あんたが主任手当請求したのか」と質問された。「法律に定められているから請求しましたよ。組合が反対していることは報道で知っていますが、組合は私的団体ですから私の業務を禁止できませんよ」

北教組は学年主任に支給された主任手当を集めて返納するとしたがそんなことが通用するはずもなく、30年余りにわたって返納する受け取れないが繰り返された。そして、北海道は北教組の返還行為には一切関わらず、普通為替証書等を廃棄処分することとした。

北教組は学年主任から集めた主任手当を、組合財政にプールして裏金の原資として組合の裁量で使い続けた。主任手当が裏金の原資になっていたということは、税金をもてあそんで選挙運動を賄っていたことになる。

主任制が骨抜きになって犠牲になるのは児童生徒のはずだが、組合はこういう疑問にもまじめに答えようとせず、教育委員会もその悪弊に手出しできず見て見ぬふりをしているのである。私たちの納めた税金は、国民のためではなく裏金に消えているのである。あまり説明しているとまた脅かされる可能性もあるので、この辺にしておこう。

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参考文献:学校の先生が国を亡ぼす(一止羊大、産経新聞社出版)