1 白波五人男
河竹黙阿弥は1816年の江戸日本橋の生まれ。360本の作品を書き、明治の劇作家である坪内逍遥をして『江戸の芝居の大問屋だ』といわせている。白浪五人男が織りなす悪の華は、色彩美・音楽美にあふれた歌舞伎屈指の名場面として登場する。
白波五人男は、日本駄衛門(にっぽんだえもん)、弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)、忠信利平(ただのぶりへい)、赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)、南郷力丸(なんごうりきまる)で、泥棒の五人衆という意味である。
白浪五人男が稲瀬川勢揃(いなせがわせいぞろい)の場で、ひとりひとり登場して花道にずらりとそろい、気持の良い渡りせりふを述べるのが河竹黙阿弥の名作『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)』である。
私はこの歳まで歌舞伎を見たことはないが、子どもの頃に佐伯孝夫作詞吉田正作曲で昭和30年に三浦洸一が発表した弁天小僧菊之助という歌で名を知った。いまも、時々カラオケで歌う懐かしい歌詞をご紹介しよう。
牡丹の様なお嬢さん シッポ出すぜと浜松屋 二の腕かけた彫り物の 桜に絡む緋縮緬
しらざァいって聞かせやしょう オット俺らァ弁天小僧菊之助
以前を言ゃあ江の島で 年期づめのお稚児さん くすねる銭もだんだんに
とうとう島をおわれ鳥 噂に高い白波の オット俺らァ五人男のきれはしさ
着なれた花の振袖で 髪も島田に由比ヶ浜 だまして取った百両も
男とばれちゃ仕方がねえ つき出しなせえどこはなと
オットどっこいサラシは一本切ってきた
素肌にもえる長襦袢 鎬の羽織を南郷に 着せかけられて帰りしな
にっこり被る豆しぼり 鎌倉無宿島育ち オットどっこい女にしたい菊之助
歌舞伎屈指の名場面、青砥稿花紅彩画(白浪五人男)の鎌倉稲瀬川の台詞に登場する泥棒の五人衆の台詞はご紹介しよう。
2-1 日本駄衛門
徒党を組んで美濃・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・近江・伊勢などで押し込み強盗を重ねた強盗団の一味の首領で、後に自首して獄門となった。
問われて名乗るもおこがましいが 産まれは遠州浜松在、十四のときから親に放れ 身の生業も白浪の 沖を越えたる夜働き 盗みはすれど非道はせず 人に情けを掛川から 金谷をかけて宿宿で 義賊と噂高札に 回る配布の盥越し 危ねえその身の境涯も 最早四十に人間の定めはわずか五十年 六十余州の隠れのねぇ 六十余州に隠れのねえ 賊徒の首領日本駄右衛門 。
2-2 弁天小僧菊之助
白浪五人男の一人である弁天小僧菊之助だけは架空の人物で、河竹黙阿弥が両国橋で目撃した女物の着物の美青年のことを二代目歌川豊国に話し、豊国が浮世絵にしたのをみて歌舞伎に取り入れた。
さてその次は江ノ島の 岩本院の稚児上がり 平生着慣れし振袖から 髷も島田に由比ヶ浜 打ち込む浪にしっぽりと 女に化けた美人局 油断のならぬ小娘も 小袋坂に身の破れ 悪い浮名も龍の口 土の牢へも二度三度 だんだん越える鳥居数 八幡さまの氏子にて 鎌倉無宿と肩書きも 島に育ってその名さえ 弁天小僧菊之輔。
弁天小僧菊之助には名台詞がもうひとつある。青砥稿花紅彩画(白浪五人男)の浜松屋店先での台詞である。
知らざぁ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が 歌に残した盗人の 種は尽きねぇ七里が浜 その白浪の夜ばたらき 以前を言やぁ江の島で 年季勤めの児が淵 百味講で散らす蒔銭を あてに小皿の一文子 百や二百と賽銭のくす銭せぇ だんだんに 悪事はのぼる上の宮 岩本院で講中の 枕捜しもたび重なり お手長講の札付に とうとう島を追い出され それから若衆の美人局 ここやかしこの寺島で 小耳に聞いた祖父さんの 似ぬ声色でゆすりたかり 名せぇ由縁の弁天小僧菊之助たぁ俺がことだ
2-3 忠信利平
忠信利平は西に東に神出鬼没の盗賊、剣の達人でその腕は強く凄みのある人物である。寡黙ながら、正義感が強く優しい人物だったようである。
続いて次に控えしは 月の武蔵野江戸育ち 幼児の折から手癖が悪く 抜け参りからぐれ出して 旅をかせぎに西国を 回って首尾も吉野山 まぶな仕事も大峯に 足を留めたる奈良の京 碁打ちと言って寺寺や 豪家へ入り込み盗んだる 金が御嶽の罪科は 蹴抜の塔の二重三重 重なる悪事に高飛びなし 後を隠せし判官の 御名前騙りの忠信利平。
2-4 赤星十三朗
実在した前髪立ちの美少年辻斬強盗である白井権八(しらい ごんぱち)がモデル。白井権八は江戸時代初期の元鳥取藩の武士で、父を侮辱した家中の者を斬って江戸に逃れ大名屋敷に奉公した。吉原三浦屋の遊女小紫と馴染みとなったが、三両一人扶持という安月給のため金策に辻斬りを重ねて鈴ヶ森で磔刑に処された。
またその次に列なるは 以前は武家の中小姓 故主のために切取りも 鈍き刃の腰越や 砥上ヶ原に身の錆を 砥ぎなおしても抜け兼ねる 盗み心の深翠り、柳の都谷七郷 花水橋の切取りから 今牛若と名も高く 忍ぶ姿も人の目に 月影ヶ谷神輿ヶ嶽 今日ぞ命の明け方に 消ゆる間近き星月夜 その名も赤星十三郎。
2-5 南郷力丸
南湖の舟持ちの倅で、手に負えないほどの悪党だったという。日本左衛門の手下で、実在の盗賊の南宮行力丸(なんぐう こうりきまる)。
さてどんじりに控えしは 潮風荒き小ゆるぎの 磯慣れ松の曲がりなり 人となったる浜育ち 仁義の道も白川の 夜船へ乗り込む船盗人 波にきらめく稲妻の 白刃で脅す人殺し 背負って立たれぬ罪科は その身に重き虎ヶ石 悪事千里というからは どうで終いは木の空と 覚悟は予て鴫立沢 然し哀れは身に知らぬ 念仏嫌いな 南郷力丸。
南郷力丸の自己紹介は、漁師出身なので舟づくしの科白もある。
その相ずりの尻押しは 富士見の間から彼方に見る 大磯小磯小田原かけ 生まれが漁師に波の上 沖にかかった元船へその舟玉の毒賽を ぽんと打ち込む捨て碇 船丁半の側中を ひっさらって来るかすり取り 板子一枚その下は 地獄と名に呼ぶ暗闇も 明るくなって度胸がすわり 艪を押しがりやぶったくり 舟足重き刑状に 昨日は東今日は西 居所定めぬ南郷力丸 面を見知って貰いやしょう。